舞台裏(スパイパロ)

 餃子、炒飯、麻婆豆腐、回鍋肉。
「このお店美味しいね。あ、これも追加で」
 酢豚、八宝菜、春巻にエビチリ。
「見かけによらずよく食べるよね~ヒメルンさんって。俺達も負けてられないっていうか」
 青椒肉絲、棒棒鶏、小籠包……
「何張り合おうとしてるの、アニキ。燐音先輩の顔見てみなよ」
「燐音? 箸動いてないけど大丈夫?」
 担々麺を口に運ぶ手を止めたヒメルは、はす向かいで口元を押さえている燐音に呼び掛けた。
「さっきから豆苗しか食べてなくない?」
「いや、俺っちはこれだけあればじゅうぶん……」
 彼は苦く笑って瓶ビールを煽った。そっちはもう五本目くらいだ。
 今日は〝『2wink』へのお礼とお詫び〟とか言っていたか。調べものを引き受けてくれた(それから血気に逸るニキとこはくを押さえてくれた)見返りに、中華料理をご馳走する約束をしていたのだそうだ。
べつにヒメルは関係ないのだけれど、「いいなあ。俺も食べたいなあ」と羨ましがっていたら一緒に連れてきてくれた。こうやって甘えれば大抵の我が儘は通るということを、ヒメルは対要で学習済みである。
「おめェらマジで食べすぎっしょ。俺っちの奢りとは言え……つーか奢りだからこそ普通はこう、遠慮とかするもんなんじゃねェの? 知らねェけど」
 積み上げられた皿を数え始めたものの、途中でげんなりしてやめた燐音がぼやく。
「もぐもぐ……燐音先輩だからいいの!」
「そうですよ。いくら俺達でも燐音先輩じゃなかったらちゃんと遠慮します」
 にひひ、と顔を見合わせる双子は宣言通り容赦なく料理を注文し、そのすべてを残さず胃に収めていった。フードファイター顔負けの食べっぷりだ。
「ったくよォ、うちは大喰らいが多くて嫌ンなるぜ」
 呆れたように言う男は、けれど目を細めて優しげな保護者の顔をした。この表情には見覚えがある。要がよくやるやつ。
「もぐ……そういえば……ごくん。燐音もお兄ちゃんなんだよね」
「ん? そうだけど」
 急に話題を振ったからか、彼は綺麗なターコイズブルーの瞳を丸くした。
「年下の子を甘やかしたり世話焼いたりするの、好きでしょ?」
 にっこり笑って言えば今度は「うっ」と呻いて顔を顰める。恐ろしそうな二つ名に反して、本人はこんなにも表情豊かで可愛げのあるひとなんだよなあ、とヒメルは思う。
「そりゃ……お兄ちゃんってのはそういうもんっしょ」
「はいはーい! 俺もゆうたくんを甘やかすの大好き♡ お兄ちゃんのバケツ杏仁豆腐食べていいからね♡」
「それ飽きただけだろ……! 要らないから!」
「ふふ。燐音は優しいね」 
〝嫌ンなるぜ〟なんて言ってはいても内心嬉しいのが滲み出ているし。まだ付き合いの浅いヒメルにもわかる。とことん身内に甘いのだ、この男は。
 頬杖をついて微笑むと、燐音はばつが悪そうに向こうを向いてしまった。照れなくたっていいのに。
「……うわ、副部長に呼ばれちゃった。三十分後だって」
「まあ! ほんと人使いが荒いんだから!」
「あ? 何、おめェら仕事なの?」
 本部からの召集を受けたらしい『2wink』が慌ただしく立ち上がる。ひなたは最後にあんまんをふたつ、懐に詰め込んでいた。
「すみません燐音先輩。ご馳走さまでした」
「お~、気ィ付けていってきな」
「は~い、ありがと! ヒメルンさんもまたね!」
 元気に手を振ってふたりは店を出ていった。あとに残された燐音とヒメルの耳に、改めて周囲のざわめきが流れ込んでくる。人気店なだけあってテーブルは満席、雑然とした店内を常に従業員が行き交って忙しそうにしている。うん、いい店だ。
「さっきの話だけど」
「……どれ?」
「〝燐音は優しいね〟まで戻って」
「ああ……ハイ」
 ヒメルには、大切な家族の恋人たるこの男に伝えたいことがあった。
──最近要が悩んでいる。それも燐音とのことで。
「優しすぎるのも考えものだよね」
「待て待て、なんの話?」
「要が……その」
「?」
 指を二回曲げてこっちへ寄るよう促す。訝しげに眉根を寄せた端正な顔が近付いた。話題が話題なだけに、できるだけ小声で打ち明けたい。
「要がね……最近エッチする時、燐音にやたら気を遣われるって愚痴ってて」
「ぶっは!」
 つんのめった燐音の額がゴン、とテーブルにぶつかる鈍い音がした。まあまあ痛そうだ。
「は? ええ……はァ? どこまで知って、」
「たぶん……ぜんぶ?」
「~~~~~‼」
 彼は掌で顔を隠して悶絶した。あの秘密主義者が他人にそこまで話しているとは想像もしなかったのだろう。
(でもお生憎さま、俺は『他人』じゃないから……ね?)
 逆に言えばヒメル以外には一切口外しないと確信を持って言えるから、安心していい。保証しよう。
「無理。恥ずかしすぎる。死にたい」
「軽はずみにそういうこと言わないで。怒るよ」
「スンマセン」
 恐らくこの男は、恋人と同じ姿かたちをした自分の困った顔や怒った顔にめっぽう弱い。それを知っていればヒメルは、天城燐音をある程度コントロールできてしまう。我ながら性格が悪いな、と内心で零しつつ、でもそこも同じ顔のあの子と似てるんだよなあ、なんて。
「気、遣ってるの?」
「……答えなきゃ駄目?」
「駄目」
「う……。遣ってる、と思う」
「なんで?」
「……」
 あらぬ方向に泳いだ視線をこちらに戻すべく、ヒメルは燐音の顔を両手でがっしりと挟んだ。
「いつから?」
「うぐ……『S』のアジト潰したあとから」
「だろうと思った。なんでなの。言って」
「要に言わねェ?」
「言わないよ。約束する」
「……はあ。わかった」
 ひとつ息を吸い、観念したように瞼と口を開く。
「前よりもっと、あいつのこと好きになっちまった……から……」
「うん」
「大事にしてェと思ってるよ? けど夢中になると駄目なんだよ、加減できねェっていうか」
「うんうん」
「怖い思いさせるかもって考えたら、前みたいに衝動的に抱けなくなっちまったっつうか……セックス中も常に素数を数えてるっつーか」
「うんうん、それでそれで?」
 ぐわし、燐音の大きな掌がヒメルの頭頂部を掴んだ。
「てめェ面白がってンだろ⁉」
「ばれた! あっはは!」
 手を叩いて大声で笑う。指先が頭皮に食い込んで痛い。ああ可笑しい、絶対要に言ってやろう。
 真剣なお悩み相談室の空気は一分も持たなかった。ああ、自分にはスパイの才能はないのだ。そう思うと残念なようなほっとしたような、複雑な心境である。
「ふふ……なんだよもう、下らない」
「あン? 下らなくねェっしょ、俺っち大真面目!」
「強引に迫って押し倒すくらいの方がキュンとするらしいよ。がんばれ燐音☆」
「おめェな、どこでそういうの覚えてくンの?」
「ひなたが貸してくれた漫画」
「ヒナ~~~」
 下らない理由でよかった。ヒメルはひっそりと安堵の息を吐いた。
 ──本当は、もし燐音がこの期に及んで要を庇護対象として見ているのだったら、灸を据えてやろうと考えていたのだ。対等でありたいと願う恋人に過保護にされるのは、あの子が何よりも嫌うことだから。
 もっとも、あんなこと(ほとんど自殺未遂みたいなものだ)があったばかりだから〝守らなければ〟みたいな発想になるのは致し方ないけれど。要はあの時ひとつの壁を乗り越えて、ちゃんと強くなったはずなのだ。
「大丈夫だよ、たぶん。燐音が思ってるよりず~っと、要は重い男だから」
「へ?」
「そのくらいでびびったり、ましてや逃げたりしないってこと。むしろ燐音の方こそ、要の重~い愛を受け止める覚悟、しといた方がいいと思うけど。いざって時に腰抜かさないようにね」
「ヒメルン……? それってどういう──」
「ご馳走さまでした。お姉さん、お勘定!」
 大好きなひとへの執着の強さで言ったら、この世の中で要に敵うひとなんてきっといない。実際現在進行形でそれだけの愛情を向けられているヒメルだからわかる。
 良くも悪くも、彼は愛するもののために本気で人生を賭けてしまえる男なのだ。
「期待してるよ、燐音」
 言えばどこまでわかっているのか、燐音は「任せろよ」と不敵に笑った。本当に、この男になら任せてやってもいいかもしれない。
 ヒメルは愛しい家族への手土産にと、最後に五品ほど追加オーダーした。伝票を見た燐音が「ぎゃっ」と悲鳴を上げたのには知らんぷりをしてやった。

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