本音は墓標の下

 あ、と思ったのは通話の発信ボタンを押してしまってからだった。

 きっかけはちょっとしたことだ。
 事務所へ顔を出したら、丁度ファンレターの仕分けが終わったところだと声を掛けられて。オフィススタッフから検閲済みの手紙の束を渡された時に、脇に退けられた箱を視界に入れてしまったのがいけなかった。
「──そちらは?」
「え? あ〜……こっちは処分させていただくやつです、申し訳ないけど」
「……。そうですか、いつもお疲れ様です。助かっていますよ」
「いえいえ! しかしHiMERUさんは手紙の量がすごいですね〜。断トツですよ」
 数多のコズプロ所属アイドルの中で、HiMERU宛のファンレターの数は群を抜いている。理由は単純。HiMERUがその一通一通にご丁寧にも返事を書くタイプのアイドルだということは、ファンの間であまりにも有名だからだ。
 しかしそれは同時に、ファンからの好意も悪意も、直接届きやすいということをも意味する。そして何十通にひとつ紛れ込んでいる『悪意』からアイドルを守るのは、雇用主たる事務所の仕事だった。
「ファンの皆さんの気持ちに恥じないよう、HiMERUも頑張らなくてはいけませんね」
 笑顔で礼を言ってそこを離れると見せかけて、退けられた方の箱から封筒をひとつ、抜き取った。誰にも気づかれてはいまい。
 HiMERUは何事も無かったかのように事務所を後にし、手紙を自室へ持ち帰った。

 そして今、HiMERUは激しく後悔していた。
 何を? 己の軽はずみな行動を。そして。
『あい、もしもし?』
 よく考えもせず、衝動的に電話してしまったことを、だ。
 自分が悪い。自分が悪いことはわかっている。が、
(〜〜っ、なんで出るんだよ……!)
 副所長からの業務連絡を見落として小言を喰らう程度には、スマホのチェックを怠っているくせして。どうしてこんな時に限って着信に気づいてしまうのか。
『ん……? メルメルだよな?』
「……」
『もしもォ〜し、聞こえてる?』
 HiMERUは動揺やら困惑やらで言葉を発せずにいた。そんな心境など露知らず、スリーコール目であっさり電話を取った天城は、端末の向こうから『お〜い』とか『ヘイヘ〜イ』とか呼び掛けてくる。
「…………、間違えました」
 ──そう、間違えたのだ。HiMERUは天城に電話をするつもりなどなくて、ただの操作ミスで。用はないと言ってこのまま切ってしまおうと、そう考えた。
『え〜? メルメルから電話くれるなんて珍しいっしょ? 俺っちちょっと嬉しかったンだけど』
「いや……」
『あ、なァせっかくだしちょっと喋ろうぜェ。別に俺っちも用はねェけど、なんか仲良しっぽくて良くねェ?』
「本当に、間違えただけなので……!」
 夜分に失礼しました、では。
 そう一方的に告げ、スマホを耳から離す。離そうとした。なのに、
『……ウソつき』
 機械を通したからか、いつもより低く響いた天城の声に、阻まれた。言葉に詰まる。
『いまどこ』
「──っ、部屋、です。寮の」
『行くから待ってろ』
「は? いや、こんな時間に……同室の方もいますし」
 だから来るな、と言わなければ。天城は横暴だが、道理のわからない奴ではない。HiMERUは努めて淡々と言葉を発した。
「ご迷惑に、なりますから。本当に、何でもないですから……」
 さあ、「わかった」と言え。諦めろ。何故か少しばかり緊張して、スマホを握り締める。ざわ、と向こうの空気が動いた気がした。

「み〜っけ」

 不意に。その声は電話口からと背後から、ほぼ同時に聞こえてきた。
「え? ……ぅ、わ」
「ほォらやっぱ中庭だ、観念しやがれっての」
「あま、ぎ? 何すっ、離してください!」
「やだね。この短時間で二度も俺っちに嘘つきやがってよォ、ちょっと傷ついたじゃねェかバカ」
「HiMERUは馬鹿ではありません」
「じゃあHiMERUじゃなくておめェがバカ」
 後ろから腰に回された両腕でぎゅうぎゅう抱き締められてしまえば、HiMERUは降参するほかない。「わかりましたから」と絞り出すとやっと、背中にくっついていた熱が離れていった。
「ンで? なんかあったンだろ」
「……」
 黙りこくっているHiMERUを見やった天城は、困ったように頭を掻いてふうと息を吐いた。
「……別に、言わなくてもいーよ。おめェが電話してくるなんてよっぽどのことだろうと思ってさ、なんかほっとけなくて俺っちが勝手に来ただけだからよ」
 そのままの流れで近くのベンチへ自然に腰を下ろす。一連の動作をぼうっと眺めていると、ぽんぽんと座面を叩くてのひら。
「ん」
「……、ん……」
 促されるまま隣に座り、何をするでもなくただ静かな夜の中にいた。

 ──本当は。
 こっそり部屋に持ち帰った手紙は、ソロ時代からの『HiMERU』のファンによるものだった。凝った意匠の封筒だから覚えていたのだ。毎度同じレターセットを使って、HiMERUと出会えた喜びを何枚にも渡って綴ってくれていた。それがスタッフの手で端に退けられていたから、つい気になってしまった。
 部屋に帰って便箋を開くと、そこに閉じ込められていたのは恋慕でも応援でもなくて。「最近のHiMERUくんは何か違う」「どうして変わってしまったの」「大好きだったHiMERUくんを返して」……怨念すら感じさせる筆跡に、ひたすらに呪詛が込められていたのだった。
 ショックだった。傷ついた。でも彼女はもっと傷ついている。
 そんな時に、縋るように手に取ったスマホで思わずコールしてしまっていたのが、天城燐音の番号だった。

(ああそうさ──あんたの言う通り、俺は嘘つきだよ。天城)

 そうと知りながら、(どうやったのかは知らないが)HiMERUの嘘を看破して見つけてくれた。見つけてもらえて、救われた気になって。あまりにも身勝手だ。
 けれど天城には、それで良いのだろう。何にも気付かない振りをして、「しょうがねェな」とでも言って笑うのだろう、この男は、与えることに無頓着すぎる。たぶんきっと、お互い様だ。
「──あなたも暇ですね」
「あァ? おめェはホントに俺っちのことが大好きだな!」
 今だけは甘えを許して。五分でいいから、目を閉じていて。そうしたらいつも通りの完璧な『HiMERU』でいられるから。
 座面に投げ出された手の指と指を絡めて、熱いてのひらを強く握った。隣の男が口元だけで笑った気配がしたが、確かめることはしなかった。





(台詞お題「……ウソつき」)

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