まなざしは四角

 アルバムの初回特典としてMV集をつけることになった。『Crazy:B』としては初の試みである。

 そうと決まってからは怒涛のスケジュールだった。収録内容は事務所のYチューブチャンネルで公開済みの既存曲プラス、初公開となる各々のソロ曲によせたミュージックビデオが四本。後者は新規に製作せねばならない。
 今回の映像作品がプレミアなのは何よりも、メンバーが互いのMVの監督を務めた点だ。HiMERUたちは出演だけでなく、撮影にあたってのディレクションまでしなければならなかった。ちなみにこれは燐音のゴリ押しで決まったことだ。
「おらおめェら、才能を示してきやがれ♪」
 例によってなんの相談もなしに決定事項をぽんと投げて寄越したリーダーは、主にニキからの大顰蹙を買った。
「監督なんてできるわけないっす! やったことないし! やり方もわかんないし!」
「難しく考えンなって、要はこはくちゃんがいちばん魅力的に見える画を撮りゃいいンだよ。ニキがこはくちゃんの良さをプレゼンするとしたらどうする? どう見せたい?」
 厳正なくじ引きの結果、ニキがこはくの、こはくがHiMERUの、HiMERUが燐音の、燐音がニキのMVを、それぞれ担当することになった。
 画角、照明、表情に仕草、正味五分ほどの映像の中で見せたいストーリー。成程、プレゼンとは言い得て妙かもしれない。HiMERUもそう思う。「なるほど、素材を生かして最高の料理に仕上げる〜的なかんじっすね。それならできそうっす!」と真剣に頷くニキの言には、すこしばかり首を傾げてしまったが。

「かくかくしかじかで、ミュージックビデオが完成致しました☆」

 そして今日。茨とHiMERU両名の過密スケジュールの合間を縫って、これから納品された映像の最終確認を行う。事務所の一角で茨がノートPCを広げた。
 製作担当者とは何度かやり取りをしたけれど、HiMERUの仔細にわたる注文を、その都度見事に叶えてくれた。完成品を観るのが素直に楽しみだった。
「天城には?」
「見せていませんが問題ないでしょう」
 最終確認に本人が同席しなくて良いのだろうか。多少の不安をおぼえるが、茨とHiMERUのダブルチェックを潜り抜けるNGなどそうあってたまるかと考え、まあいいかと椅子に座り直した。
「ちなみに自分はひと足お先に拝見しました!」
「……どうでした?」
「それは見てのお楽しみであります♪」
 茨の口ぶりからして本当に問題なさそうだ。そうHiMERUは判断した。イヤホンを着用すると彼の操作でムービーがスタートする。
 イントロ、エッジィなギターリフにクラップが乗っかる。真っ暗な中を時折光が這っていくようなイメージののち、コーラスの入りに合わせてタイトルイン。グラフィック・アート風のデザインには拘らせてもらった。いいかんじだ。
 冒頭はラップ。不健全なムードがこれでもかと満ちる薄暗い空間を、身体を揺らす人々やネオンサインの波間を滑り抜けていく燐音の姿。煽り気味の画角で追い掛けるカメラを振り返りながら、挑発的に、誘惑するように歌う。生まれながらに備え、しかし慢心することなく本人が磨き続けた、圧倒的な支配力に舌を巻く。
 なおこのシークエンスには、エキストラに紛れて『Crazy:B』のメンバーがカメオ出演している。こういった宝探し要素も自分たちらしい遊び心だろう。
 ビリヤードやカードゲームに興じるカットを何度か挿入しつつ、曲は最後のサビに差し掛かる。映像の中の燐音は、一貫してカメラの先を歩いていく。ローアングルからひたすら彼に追従する視点はまるで、日の当たらない地の底から導かれるままに、一歩一歩階段を上がってゆくよう。

“スリルが欲しいんだろ?”

 カメラにぎりぎりまで寄った燐音がぐんと身体を引けば、そこは情熱的な太陽の下。
「……っ」
 HiMERUは知らぬ間に息を止めていた。数秒前まで彼が見せていた、成熟した雄のみが持ち得る暴力的な色気は、既に鳴りを潜めて。今はステージでボルテージが最大値にまで高まった時と同じ、ひかり輝く笑顔を惜しげもなくこちらへ向けて。

 ──アイドルが。
 命のすべてを燃やし誰をも魅了する、闇夜のしるべとなる一等星が。HiMERUの目を、心を捕らえて離さなかった。

「……狭く暗い場所から、外へ。広い世界へ連れ出してくれた憧れのお星さま──といったところでしょうか」
 うう、我ながら寒いことをほざいてしまいました。失敬失敬! 茨がそんなことを言いながら己の肩を抱き締め、大袈裟に身震いして見せる。いやあしかし、とてもいいMVだと思いますよ! 流石はHiMERU氏であります!
「……」
「……HiMERU氏? おやあ、もしや自分は見事、核心を言い当ててしまいましたかね?」
 口を閉ざしてしまったHiMERUに何を思ったのか、茨は調子よく言葉を続ける。
「照れなくてもよろしいんですよ? これがあなたのプロデュースした『アイドル』……フフ、あなたが世界じゅうに見せびらかしたい天城燐音の姿、というわけですな! あっはは! 大丈夫ですよ自分はよくわかっていますから! HiMERU氏がアイドルとしての天城氏を買っているということはよく」
「〜〜〜ッその口を閉じろ今すぐ!!」
「あっはっはっ!」
 気まずさのあまり茨に襲いかかったHiMERUだったが、あっさりいなされデスクにべしゃんと崩れる羽目になる。鼻の頭を打った。
(最悪だ……)
 茨の言ったことは当たっている。HiMERUをここまで連れて来てくれたのは、導いてくれたのは紛れもなくあの男だ。あの、破天荒で暴君で狡くて喧しくて、優しくてあたたかくて聡明で真っ直ぐな、天城燐音という男だ。
 自分はいつしかこれほどまでに、あのアイドルに焦がれていたのだ。目を逸らし続けていた事実を、己の撮ったMVによりまざまざと突き付けられるなどと。最悪の辱めだ。恥ずかしくて恥ずかしくて、顔を上げられない。
 唯一の救いは、まだこの映像を本人に見られていないこと。この場にあいつがいなくて良かったと、心の底から安堵の息を吐く。問題を先送りしただけだということには勿論気付いている。
「ええと……仕上がりは申し分ないのです。ですがその、副所長──」
「副所長ならもういないぜ?」
 頭の上から降ってきた声に、HiMERUはがばりと身を起こした。おかしなことが起きている。茨が燐音になった。おかしいだろう。一体どんなまじないを使ったのだ、奴は?
 目を白黒させるHiMERUを頬杖ついて見下ろす燐音は、にかりと笑ってスマホを振って見せた。
「MV、できたンだって? 蛇ちゃんが連絡くれたから見にきたっしょ♪」
「あの毒蛇〜〜〜」
 ややもすれば口から魂が抜け出ていきそうなHiMERUを押しのけ、再生ボタンを押そうとする男。咄嗟に我に返りその手を引っ掴むことで寸前、阻止する。怪訝な顔で振り向かれた。当たり前である。
「何すンだよメルメル?」
「だっ……その、まだ……」
「あァ?」
 天城の碧い瞳が見つめてくる。ひかりを湛えたその色は、言葉よりも余程雄弁に、楽しみだ、はやく見せろと伝えてきて。
 HiMERUは火照る頬を必死に隠しつつ、苦し紛れにこう絞り出すほかなかった。
「まだ……見ないでほしいのです……。あの、驚かせたくて……」
「え〜何それェ、メルメルカワイ〜とこあんじゃん♡ わかった♡」
 本リリースまで決して見ないという約束を取り付け、デレデレと弛んだ頬をそのままに、天城は事務所をあとにした。チョロくて助かった。
「なんだ、見せなかったんですか?」
「……副所長……」
 またどこからともなく男が姿を現す。もう気持ちが疲れ切っていたが、一縷の望みをかけて茨の腕をがしりと掴むHiMERU。
「と、撮り直し……」
「駄目に決まっているでしょう」
「では今のMVのクレジットからHiMERUの名を削除してくれませんか」
「それも駄目です。もう告知してしまっているんですよ。ファンの皆さんが首を長ぁくしてお待ちです」
 ほぞを噛むHiMERUに、茨はとどめとばかりにとびきりの笑顔を向けた。
「HiMERU氏が天城氏をどんな風に見つめ、どんなところを愛しく思っているのか! 皆さんに知っていただきましょうねえ!」
「……妙な言い方をしないでくれます!?」
 いよいよ耐え切れなくなったHiMERUの貴重な大声が事務所内に響き渡った、とある平和な午後だった。

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