My beloved master
思い描いていた計画が想像通りに進むなんていうのは、ほぼ奇跡みたいな事だ。予想と実践で誤差が出来てもわずかばかりで、がっかりするほどのものは芽生えない。ましてや動く死体を造るという元から無茶な計画なら尚更。その点でいえば、今のモリアは順調なのだ。
動く死体――ホグバックが造った没人形にモリアが影を入れる。ゾンビはただそれだけで、順調に思い通りに動く奇跡の者になってしまうのだから。
※
飾りで満たされた大きな天井に黒い影法師が飛んでいく。当てもなくヒラヒラと飛んではパッと消えるそれを、モリアは眺めていた。己の分身であるその影は退屈しのぎに飛んでいて、モリアの巨体は寝床で伸びるままだった。もう眠りについて良い時刻なのに、この意味の無い遊びをしばらく続けている。
モリアの頭の中では思考が気怠げに流れていた。日中造っていたゾンビ達の事。これから造る様々なゾンビ達の事。全て上手く仕上がっていて、命令通りに動く。そうやって支配できるからゾンビなのだ。命令以上の事はしない。出来ない。
「……アァ」
モリアの口から声にも及ばない音が漏れ出た。些細な出来事を思い出して、それを直ぐさま吹き消すような溜息の音だった。
今日は食料の調達にと、生前は漁師だったというゾンビに魚を捕れと簡単に命令した。何となく試しの命令だった。漁師のゾンビは迷いなく海へ飛びこんで、その弾みに潮水を飲みこみ体から影を逃がしていた。抜け殻の没人形はそのまま海に沈んだ。
将軍ゾンビやモリアの屋敷に仕える使用人のゾンビ達など、成功例はいくらでもある。これからは更に増えて、いよいよオーズだって動く日も来るだろう。確かな希望が見えている。だがそれと同時に、モリアの頭の隅では何かがずっと燻っていた。
ジリジリとした感覚の頭を晴らすように、モリアは頭の後ろで手を組んだ。収まり良く手を枕代わりにして、両目は変わらず天井の影を見る。すると、気まぐれに飛んでいたそれが廊下の方を眺め始めた。影の長い耳もわずかに廊下へと傾いている。その様子で、重たげにしていたモリアの両目が一瞬見開いた。そしてすぐ閉じると天井の影法師が部屋の壁をすり抜けていく。音もなく頭が廊下へ出た。真っ黒な影にモリアの目だけが入れ替わり、広くて長い廊下を見渡した。夜中で静まった辺りに、小さな足音が聞こえた。見つからないようにと、極力抑えたような歩幅の足音は廊下の角へ消えていきそうだった。モリアは躊躇せずに後を追った。廊下の暗い天井に影として居れば気づかれる事はない。足音にはすぐ追いついた。その正体は丸い体をさらに丸めて、コソコソと歩くホグバックだった。
何だか泥棒のような、いかにも怪しく移動する姿にモリアは片眉を上げた。ホグバックはまだスリラーバークの新入りで、仕事に集中するためにあまりあちこちと出歩かない。こんな夜中だったら研究室に篭もりきりになる。けれどモリアの眼下に居るその天才医者は、用心深く足音をひそめて進んでいる。
どこへ行くのかと、モリアは好奇心のままにホグバックを見つめて追った。ろくな灯りも持たないで辺りを見渡して歩き、モリアが潜む暗い天井を時おり見上げるが気づかない。その度にモリアは少し笑いながらホグバックの後に着いて進んだ。そしてとある一角に来ると止まった。図書室の前、その扉をホグバックがゆっくり開けて中へ入って行く。モリアも続いて中に入った。
明かり取りの窓が無い図書室は余計に暗い。ホグバックは壁伝いに手を這わせて歩くと、不意に本棚の前で立ち止まった。今度は並ぶ本の背表紙へ手を這わせる。指が一冊の本に止まった。本の角へ指を乗せて少し引く動作をした。すると本棚の奥からゴゴ、と鈍い音がし始めた。次いで本棚が回転扉のように動き出す。ホグバックはその開いた扉の中へスルリと入って行った。成り行きを見ていたモリアも迷わずあとへ続いた。自在な影の身だと隠し扉だろうが何だって造作も無いのだ。
「あ、やっと来たな! お前もうちょっと早く来れねーのか?」
隠し扉の先は小部屋で、おまけに先客がいた。ペローナが顔を出したホグバックに高飛車な態度で声をかける。小部屋の中はこじんまりした規模のせいで灯りが点いていても薄暗かった。
「ウ、仕方ないだろ! モリア様に見つからないようにゆっくり慎重に来たんだから」
「ホグバック、ここの扉のスイッチの位置もう覚えたのか? 割と分かりにくい本棚なのに…すげーな、やっぱ天才じゃん」
ホグバックはペローナの言葉に少したじろぎながら喋る。そしてもう一人の先客のアブサロムがマイペースに喋った。モリアはその様子を部屋の隅の石壁にまぎれて見た。……普段はバラバラなのに顔突き合わせて仲良くしてやがる、こんなちっせェ場所で。しかも、主人である自分から隠れて秘密の会話。モリアの好奇心は純粋に増して、影の体が少し延びていく。するとその時、ペローナの目が鋭く光った。
「そうだ。モリア様に見つかるのが一番ダメなんだぞ。お前ら、分かってるよな?」
ペローナの発言を聞いた瞬間、モリアは石壁の中へ引っ込んだ。ペローナにはゴーストの能力がある。影に似たすり抜ける力は偵察にお誂え向きで厄介だ。石壁を隔てるだけで三人のいる小部屋の物音は聞きづらくなった。けれど湧いた好奇心はまだ新鮮で、止める気にはならない。モリアは耳を出来るだけ傍立てて、三人の秘密の会話を聞き取ろうとした。
『……リア様が寝てから…ダンスホ…ルに皆で……支度は…べて隠し……モリ…様にバレたら……い…が無い……』
どうやら三人も声を潜めて喋ったらしい。声は途切れ途切れで聞き取るのはやっとだった。しばらくすると声は止み、代わりに紙をさばく音やロープを巻くといった作業のような音がし始めた。モリアはそれを聞き留めると、隠し部屋から静かに去った。
思いがけない三人の暗躍と秘密の会話。好奇心のすえで妙な土産を持ってしまい、モリアはさっぱりと眠気を忘れた。ひとまずダンスホールへ着くと、自室にいる本体を起こして己の影と合流させた。そもそも影の身だけでは感覚が少し冴えない。ひとつになった体の感覚に、モリアは気分を変えるようにして息を吐いた。だが頭の中に土産はまだ残っている。自分専用の巨大なソファに座ると、じっくりそれを解体しようと考え始めた。
まず、三人の態度。モリアに見つかったらマズイと、随分大げさだった。そして途切れ途切れに聞いた会話。何かを準備しているようで、最後には『モリ…様にバレたら……い…が無い……』と言っていた。わざわざ隠し部屋に集まるまでして、深刻だ。それらを踏まえて欠けた言葉を探す。――『モリア様にバレたら、いのちが無い』が、当てはまる気がする。大げさな態度とも合う言葉だろう。モリアは己の顎辺りを一度さすった。
このスリラーバークで三人がそこまで真剣になる事、その目星を今度は考えていく。それぞれ自由に任せるままで、好きにしている。唯一とすれば、モリアを海賊王にならせろという使命だけだ。では、これがどうやって『いのちが無い』に繋がるのだろうか。何かモリアを怒らせたり、失望させるような事を起こす気でもあるような言葉に感じる。モリアはまた己の顎辺りをさすった。視線が彷徨う。頭の中で答えがぼんやりと繋がりそうになっている。
三人の秘密、準備、使命、いのちが無い。つまりは、使命が果たせない。出来なくなった。モリアに従う気が無くなったから。そうなれば逃げるしかない。準備がいる。逃げて、外に出る準備。――三人は、スリラーバークから出たがっている。
ぼんやりしていた符合がハッキリとした答えになった。モリアはその答えに揺らぐ視線を止めて目を見開いた。虚をつかれたようで一瞬心が真っ白になる。そしてすぐに別の気持ちが心を染めていった。
突拍子もない答えにバカなと、自分自身を一蹴する尖った気持ちが湧くのに、たった今まで三人が居なくなるという可能性を考えもしなかった自分に戸惑いが強く溢れだす。少し落ち着かなくなり、顎に当てていた手を滑らせて胸元に乗せる。頭はいやに冷静だったので、深く考え始めていく。
モリアにとっての三人は何なのだろう。海賊、過去、関係。色々な言葉を通して姿が浮かぶ。また答えが繋がりそうになっている。何故だかモリアの背筋が微弱に震えた。頭だけがどんどん考え進む。モリアは己の力を信じて自ら海賊になった。三人はどうだったか。それぞれの理由でモリアの元に集っている。死者を侍らせているモリアの傍の、命がある者たち、命がある仲間。
モリアは徐にソファから立ち上がるとバルコニーへ向かった。頭に浮かんだ『仲間』という言葉が尾を引きそうで、それから逃げるようにして足早で歩く。
開け放してあるバルコニーの枠へ手を着いて立ち止まった。霧がいつも通り濃くて夜がずっと続いている光景だ。モリアはスリラーバークを見下ろし、朧気な海面を眺めた。水平線すら霧で消えている。その先に出発していく船を想像した。
ペローナは年頃の娘だから、可愛いものを求めて外に出ていっても不思議じゃない。アブサロムは嫁を欲しがっていたから、スリラーバークのような暗い土地よりも外の方が断然望みがありそうだ。ホグバックは元より名声のある医者だったのだから、今も大勢待っている人がいる。その人たちの所へ帰っても何もおかしくはない。
生きて、元気な姿のままで、三人は船に乗って消える。少し目を閉じてそう想像すると、モリアの心は澄んでいった。目を開けると灰色の霧が辺りを満たしている。肌寒くなる空気はモリアの心を澄んだまま硬くしていくようだった。
「ご主人様~~! どこにいらっしゃるんです……あ!」
「こんな所にいた! あ~良かった!」
「寝室にいないから探しましたよ~! こんな時間に起きてるなんて、どこかお加減でも悪いので?」
モリアひとりきりのダンスホールに、突如騒がしい声がやって来た。モリアのお付きのゾンビたち、ギョロ、ニン、バオだった。三人は真っすぐにバルコニーへ向かい、モリアの事を心配そうに見上げた。モリアに振り返る様子は無く、黙って景色を眺めている。ゾンビたちが少しソワソワとし始めると、モリアはゆっくりと振り向いた。
「……てめェら、おれの元から離れたいか?」
モリアが抑揚なくゾンビたちへ問いかけた。三人は一瞬キョトンとした顔をすると、同時に口を開きだした。
「離れませんよ。私たちのご主人様はあなただけですから」
三人は揃って全く同じ返答をした。それを聞いたモリアはほんの少し肩を落とした。予想通りの答えだった。ゾンビは従順なのだ。硬くなった心が散り散りに消えるような、他愛なくほぐれていくような感覚がモリアを包んだ。
「……あぁ、何でもない。そうだな、そろそろ寝室に戻るか」
気持ちが完全に落ち着いて、モリアはいつもの調子で喋るとダンスホールを後にした。ゾンビたちも迷いなく従って着いて行く。
寝室に到着するとゾンビたちが手際よく寝床を整えて、モリアはごく自然に横たわった。見慣れた天井を見上げてゆっくり瞬きをすると、まぶたが徐々に重くなり始める。――次に目覚めるときには、三人はもう居ないだろうか。薄らとそう考えながら、モリアは意識を手放して眠りへ落ちていった。
※※
「ご主人様、ご主人様! 起きてください!」
モリアの寝室にギョロ、ニン、バオの声が響いた。大の字で寝ているモリアにはその目覚ましの声は届かなくて、ニンが弓矢を出した。矢が放たれるとモリアの鼻ちょうちんを割った。
「ンア゛……? ア……なんだ……」
「おはようございます、ご主人様!」
「ア?…………もう起きる時間か…? 早ぇだろ、オイ……」
眠気まなこのままでモリアはゾンビ達に愚痴っぽく言った。起き抜けの感じがいつもより浅く、寝足りない気がした。そしてゆるゆると頭をもたげるとゾンビ達を睨んだ。
「ハ、ハイ。前にお眠りになってから二日しか経ってません」
「けどご主人様! 大事なことがあるんです!」
「そうなんです! ダンスホールへ行きましょう!!」
三人のゾンビ達は必死に訴える。主人の睨みでも失せないその様子に、モリアの眠気は引いていった。上半身を起こして、三人の顔をしっかりと見た。
「大事なこと?」
「そうです。詳しくはいえないんですが……三怪人の皆さまのご命令なので!」
ゾンビ達が口を揃えて言ったその言葉で、モリアは確実に目が覚めた。
屋敷の広い廊下をゾンビ達に付き添われてモリアは歩いた。目的地のダンスホールに近づく毎にまた心が澄んでいくような、硬くなるような心地を覚えた。……何があろうと無かろうと、それで良い、そういうもんだ。モリアは曖昧な思考を意識した。そうして頭を鈍らせて、石畳の廊下を緩慢に進む。ダンスホールの入り口に差しかかり、ゆっくり一歩踏み入れていった。心が程よく麻痺している。
「モリア様、お誕生日おめでとうございます!」
弾けるようなペローナ達の声と、鮮やかな紙吹雪がモリアに勢い良く降り注いだ。目の前にあるダンスホールは、様々な飾りで満たされて見違える光景だった。ペローナとアブサロムとホグバックが、お手製らしいクラッカーをパンと鳴らして紙吹雪が舞う。ゾンビ達も手伝って賑やかしている。モリアはただ目を丸くした。視界にあるものが多すぎて、一歩踏み入ったままの姿でピタリと動けなくなってしまった。全てがちゃんと居る光景に、息さえ忘れている。それを見たペローナがホロホロ! と嬉しそうに無邪気な笑い声を出した。
「これはサプライズ大成功じゃないか?! やったァ♡! 今年は人手が増えたしいつもと違うお祝いをしたかったんだよ、あぁ成功して良かった!」
「人手でって、ゾンビが増えてそんな張り切るもんかね……ま、そのゾンビどもはこのおれ様が造ってるんだが」
「カッコつけんなよホグバック。お前も何やかんやであの飾り作るのこだわってたじゃんか」
そう言ってアブサロムが上を指さす。天井には|欠片蝙蝠《ブリックバット》の形をした紙飾りがいくつも垂れて、ペローナのゴーストたちがその周りを飛んでいた。モリアはそれを無意識のまま見上げた。何だかずっと手放していた心と頭が徐々に戻りつつある。その傍で、三人がまだ自由に話し合っている。
「モ、モリア様の誕生日に張り切って何が悪い!」
「誰も悪いなんて言ってないだろ?」
「ホロホロ、お前らやめろよ! 今日はそういうの良いじゃん、折角成功したんだしさ。サプライズ、モリア様にバレたら意味が無いからな」
ペローナが何気なく喋ると、モリアの耳が反射的にピクリと動いた。意味が無い。いみが無い。少し前に組み立てて完全だった言葉の欠片が剥がれていく。バカな勘違いだった。三人は自分が忘れていた誕生日を祝おうと真剣だった。
そう確信すると、モリアの心はすっかり元に治まった。そしてじわじわと温かくなる。その温度ともに胸の底からむず痒い感覚が湧いてきて、モリアはそれを振り払うように大きな声で笑いだした。三人が一瞬ビックリした顔でモリアのことを見上げた。モリアは一頻り笑うと、眼下にいる三人に顔を向けた。薄らとまだ笑みを浮かべる口が、三人へ話しかける。
「てめェら、おれの元から離れたいか?」
モリアの問いに、三人それぞれがポカンとした表情になる。けれどすぐに、揃って口を開き始めた。
「離れませんよ」
「私のご主人様はモリア様だけだもん」
「おいらのご主人様はモリア様だけですもん」
「おれのご主人様はモリア様だけですから」
微妙な違いはあるものの、三人は同じことを告げた。言い終わった後は神妙にしてお互いの顔を見つめ合う。モリアはそれらを見て取ると、笑みを深くした。三人の答えは予想通りのようで、初めて聞くような驚きのある響き方もした。
モリアの胸にはまだむず痒さがある。温かくなったそこに手を当てると、もう認めざるを得なくてモリアは肩を震わせてまた笑う。やたらと機嫌の良さそうな主人に、三人は訳も分からずその様子を見上げた。するとモリアは両手を大きく振り広げた。
「キシシシシ! それでこそおれの三怪人だ。さて、てめェらのことだ。誕生日がこれだけで終わりなんてないよな? ほら、おれをもっと楽しませてみろ!」
モリアは威厳良く声を張り上げて言った。ただ表情はからかうような、楽しさに溢れている。溢れたものはそのまま三人に伝わっていく。
「ええ、勿論! パーティーはこれからですよ!」
主人と三怪人、どちらの声もが合図になりダンスホールは一気に賑やかになった。ゾンビ達も用意されたプレゼントやケーキを運んで慌ただしくなる。
パーティーは夜通し続いて、天井の欠片蝙蝠がしばらく揺れて踊っていたほどだった。
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