スイートピーとチョコレート

スイートピーとチョコレート
 
 
 
 はしゃいで紅潮した頬、緊張に青ざめた唇、何やら天を仰いで祈っている横顔。生徒たちの列を、ジャングルポケットはしげしげと眺めた。
 ネガティブにもポジティブにも、みんな一様にテンションが高い。二月の寒空の下だというのに、この周辺だけ妙に熱を帯びて暑い。
 でも、無理もないことだ。
 ジャングルポケットは一人うんうんと頷きながら、立て札を抱え直す。メガホンを口に当てて大きく息を吸うと、列の後ろの方へ声をかけてやった。
「フジさんのバレンタインお渡し会ならここであってるかんな! 道にはみだすなよー! 行儀良くしろ!」
 はーい、という、誰からともつかない返事にはくすくす笑いが混じっている。
「ポッケ! ポニーちゃんたちに向かってドスをきかせないよー!」
 フジキセキの明るい声が飛んでくると、列から黄色い悲鳴が上がった。プレゼントのお返しとして一人ひとりに渡している色とりどりのスイートピーが、あまりの声量に花瓶ごとビリビリと震える。
「ドス?! ええ?! ふつーっすよー!」
「ポニーちゃんたちにはもっと優しく丁重に接するのー!」
 待機列はくすぐられてすっかり舞い上がっている。少しうらやましいような気もしたが、この列に並ぶような立場だったら、そもそもこんな風にフジキセキとはやり取りできない。わざとらしく唇を尖らせてみせると、フジキセキからはパチンと星の弾けるようなウインクが返ってきて、ジャングルポケットの気分はすっかり良くなった。
 よく晴れて、寒いがその分空気が澄んで気持ちがいい。ほんの微かに春の柔らかさをはらんだ陽射しが、フジキセキの輪郭を美しくけぶらせている。
 
 
 
「フジ先輩、復帰おめでとうございます! また素敵なレースが見られるのを楽しみにしています!」
「ありがとう。君の頬のばら色に誓って、期待にはしっかり応えてみせるよ!」
「ひゃい……」
 スカーレットのスイートピーを受け取る手は、ぶるぶると震えている。
「ン、良かったな。じゃー次ん奴!」
「寮長! いつも私たちを助けてくださってありがとうございます! 日頃の感謝の気持ち、受け取ってください!」
「とても丁寧で綺麗なラッピングだね。君の心映えの美しさが伝わってくるな。大事にいただくよ」
「ヒエ……」
「オイしっかりしろ、腰抜かすなよ」
「ハイ……」
「気張って帰れよ!」
 最後のスイートピーのピンクを、フジキセキは優しく差し出す。
 二人で手を振って最後のファンを見送る頃には、すっかり陽が傾いていた。一段冷え込んだ空気に小さく身震いしていると、フジキセキの指が冷たい鼻の先にちょん、と触れた。
「冷えちゃったね。ポッケ、お手伝いありがと。お疲れさま」
「フジさんこそ、お疲れさまっす。すごかったっす。コメント全部ちげーし」
「一人として同じポニーちゃんはいないからね。皆素敵な気持ちをくれて……楽しかったな」
 なんでもないことのようにただ穏やかに微笑んでいるフジキセキに内心舌を巻く。
 受け取ったプレゼントを整理しているうちにあたりが暗くなってきたので、ジャングルポケットは自分の端末でフジキセキの手元を照らして、彼女が丁寧な手つきで甘いお菓子を詰め直していくのを見ていた。
 ライトの強い光の落とす濃い影が、テキパキと荷物をまとめていく。

「……ポッケは、良かったの? バレンタイン、イベントしてなかったね」
 手を動かしながら、フジキセキがポツリと尋ねた。
「俺は別に……フジさんみたいに、場のセッティングする会のヒトとかいねーですし。贈り物は学園宛てにしてます」
「人手だけの問題なら、ノウハウは教えられるよ? 君、今日も皆にとても上手に声をかけてあげてただろう? できるんじゃない?」
「……ていうか、なんか困っちまうんですもん。普段のプレゼントとかはあんま意識しねーんですけど。バレンタインのプレゼントって、レースで勝つだけじゃ返せねー気持ちも込もってる気がして」
 今日もなんとなくクラスでは居心地が悪くて、お渡し会の準備でこもっていられたのは正直助かっていた。甘くて、微かに苦いチョコレートたち。込められた気持ちを受け取れないと思ってしまうのは、それは……。
 滑らかに動いているフジキセキの指先を、ジャングルポケットは気をつけて見つめすぎないようにした。まだ置きどころの分からない、フジキセキに向ける、わけもなくもどかしくて、ドキドキする気持ち。似たような気持ちが込められていると感じるから、だから、チョコレートが受け取れない。

「プロ意識、足んねーんです。フジさんみたいにはまだなれません」
 顔を見せられなくて俯いているジャングルポケットの頭を、フジキセキはそっと撫でてくれた。
「私みたいにならなきゃ、って思う必要は全くないと思うけどね」
「でも……」
「慰めじゃないよ。君は真っ直ぐだから……君だけの、君の本当の気持ちを、ちゃんと大事にして欲しい、って思うかな。私たち、どうしても人の注目を集めるだろう? 大事なことだよ」
 フジキセキは最後の紙袋の口を、マスキングテープで簡単に閉じた。
「ライト、もう大丈夫だよ。ありがとう」
「ん、全然です」
 端末の照明を落とすと、一瞬だけ辺りが真っ暗になった。目が慣れれば、少し遠くの街灯や、校舎の窓から漏れる光で、ちゃんとフジキセキの姿が分かる。
 薄暮に瞳の青色が瞬いて、まっすぐにこちらを向いた。
「今日のこの会だってね、ある意味、舞台の上の私と私自身を線引きするためのものでもあるんだよ」
「線引き?」
「うん」
 フジキセキは抱え込んだ紙袋を愛おしそうに撫でながら続けた。
「どんなに力になってあげたいと思っていても、私が観客の皆に捧げられるのは、ステージの上の煌めきだけ。観客の真心には、役者として応えないと。それ以上をできると思うのは傲慢というものだし……。私自身を見失ったら、きっとパフォーマンスも煌めきを失うと思うんだ」
 どこか噛み締めるようにフジキセキは話している。実感があるのだろうな、と思った。 
「君が困ってしまうのは、それはそれで誠実な態度だと思うよ。込められた思いにちゃんと向き合ってるってことだろうから。きっとそのうち、しっくりくる答えが見つかるよ」
「……来年はフジさんと並んで、一緒にお渡し会しちまうとか?」
「はは、それもいいね」
 軽口に鷹揚に応えると、フジキセキは悪戯っぽく大きく笑って、突然ポンポン、と紙袋を叩いた。
「今日一緒に頑張ってくれたポッケには、私の真心を贈るよ」
 フジキセキはゴソゴソと紙袋を漁ってみせる。お菓子しか入っていなかったはずなのに、抜き取ったフジキセキの手には小さなブーケがあった。今日配っていたスイートピーの他に、薔薇や、ガーベラが華やかな赤に咲いていて、いつの間に仕込んでいたのか、ジャングルポケットは目を白黒させながら受け取った。
「いつもありがとうね」
 夜風が髪をなびかせるのを、フジキセキはほんの少しだけ照れくさそうにいじっている。微笑みがやわらかいのが、胸の奥をそっと撫でられているようだった。
「やっぱり陽が落ちるとぐっと寒いね! ご飯前だけど、ホットチョコレートでもどうかな? 今日のお礼に、ごちそうさせてよ」
「行きます! でも、あの……この花束、いっぺん部屋に置いてきていいですか」
「大丈夫だよ。もちろん」
「すぐ戻ります!」

 ジャングルポケットは小走りで寮へ戻った。気持ちのままに走ると誰かを跳ね飛ばしてしまいそうで、抑え込みながら走った。全力疾走より余程疲れた。
 弾む息を整えながら、小さな赤いブーケを机の上にそっと置く。
 横には、今朝どうしても持ち出せなかった、真紅のリボンで飾られたチョコレートの箱がある。
 
 ずるいだろうか。昼間のファンの行列に並ばないで、今あの人にこれを贈ろうとしているのは。ずるいことだろうか。そうかもしれない。でも。
 ジャングルポケットはチョコレートの包みをそっと手に取った。冬の室温に冷え、もて余した気持ちの分持ち重りのする小さな箱を携えて、フジキセキのもとへ帰る。

 自分の本当の気持ちが、これを今、あの人に、渡した先にしか見つからない。
 


 

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