Happy Birthday Coffret
9月25日。
そのちょうど一週間前に、きららがちょっともじもじしながら声をかけてきて、あこの心臓はどくんと跳ねた。
彼女はちらりと上目遣いであこの方をうかがってから言う。
「この日はね、きららとね、デートしてほしいの……!」
何を言われるかなんて大体予想がついていた。だからこそ、最初からその日は丸一日オフにしていたのだから。けれども実際にちゃんとこうして言われると、嬉しいものだ。
あこは頬が火照ってくるのを自覚しながら、あくまで平静を保った口調で、仕方ありませんわね、とだけ言った。
「じゃあじゃあ、つまりデートは――……」
「だから、してあげるって言ってますの! 分かりなさいな」
「わ――――い! あこちゃんのお誕生日に、デート~~~~♡やったぁ♡♡」
「ちょっと、抱き着いてくるのはおやめ!」
そんなわけで9月25日はきららとデートすることが確定し
たのだった。
いよいよ今日はその当日だ。
お洋服よし、メイクよし、持ち物よし。
抜かりなく指さし確認をおこなう。どれもオールオッケーだ。あこはうんうんと頷いた。
「完璧ですわね」
そう言った自分の顔がすぐ傍にある姿見に映っているのに気が付いた。やけに満足げで期待でいっぱいの顔。なんだか照れくさくなってしまって、ぶんぶんと首を振った。
いくらこの後デートだといっても、浮足立ちすぎではないか。こんなことでは彼女にからかわれてしまう。こほんと咳払いをしたけれど、そわそわとした気持ちは続いていた。
まだ時間にはかなり余裕がある。けれどもこのまま部屋にいてもそわそわは消えそうになくて、どうにも落ち着いていられない気がする。
「ちょっと早いですけれど、出発してしまおうかしら」
待ち合わせ場所はNVAの前だ。
最初、その待ち合わせ場所を告げられた時は、お誕生日であるあこの方から彼女の元まで出向くのかと、なんとなく腹落ちしなかったのだが、どうやらとっておきのプレゼントを用意しているらしいというのが察せられて、今は楽しみの方がかなり勝っている。
NVAなら早めに到着したとしても、誰か顔見知りに会って立ち話の一つでもするかもしれないし、船の中で待たせてもらえるかもしれない。ものすごく時間を持て余すこともないだろう。
忘れ物はないかもう一度見てから部屋を出ようとしたその時、キラキラフォンが鳴った。画面には今まさに思い浮かべていた相手の名前が表示されている。
「もしもし、きらら? どうしましたの?」
「あのね、言い忘れてたんだけど、今日はメイクしないで来てほしいの」
「はぁ!?」
「そのままのあこちゃんも可愛いから♡じゃあよろしくね!」
きららはそれだけ言って、電話はすぐに切れてしまった。
あこは思わずシャーッと八重歯をむいて叫んだ。
「にゃ、にゃ、にゃんにゃんですのよ、メイクしないでって! こっちはお洋服のこともそれに合わせたメイクのことも色々考えて、それでちゃんとこうして完璧に完成してますのにっ! 直前になっていきなり……!」
きららと過ごす今日一日のことを思いながら、あこも色々準備をしていた。とびきり可愛い自分で彼女に会いたい。そう思って、数日前から今日のメイクやコーデのことを考えてきたのだ。
こんなに頑張ったのに『そのままのあこちゃんも可愛いから♡』とは何なのか。
「ありえませんわ、なんなんですのあの子!」
今日のためにいそいそと準備していた時間を全部否定されたような気がして悲しい。あんなことを言ってきたきららの元になんて行きたくないとすら思えてくる。
大体、きららだってこれまでのデートには気合を入れてオシャレをしてきたではないか。あこの気持ちくらい分かりそうなものを、どうして突然メイクしないでなどと言うのか。悲しくて悔しくて腹立たしくて。もう今日のデートなんてすっぽかしてやろうか。そんな考えまで頭に過る。
「――はぁ。どうせすっぽかすなら有用に時間を使いたいですわね?来週出演する番組の台本チェック、まだですし……」
どこか自暴自棄になったようにのろのろと身体を動かして、机の上に置いてある台本をめくった。出演者の項目には、あこの他に虹野ゆめ、香澄真昼、ハルカ☆ルカの名前が並んでいる。この番組に27代S4としてゲスト出演する予定なのだ。
「そういえばゆめには、誕生日にきららと過ごすってバレてしまっていましたわね」
きっと収録の日、誕生日デートがどんなだったかとゆめは聞いてくるだろう。
「行かなかった、なんて言ったら、どんな顔しますかしらね」
唇から乾いた笑いが漏れた。でも本心では全然笑えなくて、さっきよりもしょんぼりした気持ちばかりがこみあげてくる。
「もし、今の状況をゆめが知ったら、絶対行くべきだよって言いますわよね」
きららとの関係について一歩踏み出せない時に、ゆめはいつでも背中を押してくれた。真剣な眼差しで、きららちゃんにもきっと考えがあるんだよ、あこちゃんだって本当は行きたいんでしょ? と言ってくれるに違いない。
「まったく、仕方ありませんわ」
どんどんあこを応援してくる”脳内虹野ゆめ”に押されて、あこは振り返った。床に放り投げたバッグをちゃんと立てかけてから、洗面台へ向かう。メイクを落とすためだった。きららの希望通りの姿で行ってやろうではないか。
秋の爽やかな潮風がオレンジブラウンの髪をかき上げてくる。NVAの白と金色の船体が柔らかな光を跳ね返していた。あこはサングラス越しにそれを眺める。口元はマスクで覆っていた。
「まったく、トップアイドル中のトップアイドルのわたくしにすっぴんで出歩けだなんて、そんな人、世界のどこを探してもなかなかいませんわよ?」
不満げに言いながらもマスクの中の口端は上を向いている。
元々かなり早めに準備を済ませていたため、メイクを落として保湿してから、改めて身支度をしても十分に約束の時間に間に合っている。
着きましたわよと連絡してやれば、それじゃあきららの部屋に来て! とすぐに返事が返ってきた。
「きらら。来てやりましたわ」
ドアをノックしてそう言うと、ややあってから、ちょっと待ってねと甘くてふわふわした声がして、すぐに扉が開いた。
「あこちゃん、お誕生日おめでとう~~大好き!」
会うなりそう言われて、胸がきゅんきゅんと跳ねた。きららはいつだってこうだ。
彼女はいつも突然理解不能なことを言い始めてあこのことを振り回してくる。それは今に始まったことではない。その度に勘弁してくれとも思うこともあるけれども、結局きららはいつもまっすぐにあこに大好きを伝えてきて、それを聞くとこうして許してしまうのだ。
「まったく……ひとまずありがとうというのは言っておきますわ」
「あれ? あこちゃん、サングラスにマスク……?」
「これはあなたがメイクしないで来いなんて言うから……! で、この後どうしますの? そにょ、いくらあなたが、そのままのわたくしでも可愛いなんて思ってくれていたとしても、わたくし、これ以上すっぴんで外を出歩くの、ちょっと抵抗あるんですけれど――」
あこの言葉を最後まで聞かないままできららは部屋の奥まで駆けていき、すぐに戻ってきた。その顔には得意げな表情が浮かんでいる。
「はいっ、プレゼント!」
差し出されたのはきれいなライムグリーン色のギフトボックスだった。パステルパープルのリボンがかけられている。開けてみて、と彼女に言われるままにリボンをほどいて蓋を開けた。
「あらあら、まぁまぁ」
中にはコスメ一式がみっちりと詰まっていた。
「ふふーん! すごいでしょ! きららセレクトの”あこちゃんお誕生日コフレ”だよっ」
コフレというと、期間限定でブランドから販売される化粧品セットのことだ。クリスマスコフレやバレンタインコフレ。そういう言葉はよく耳にするけれど、”あこちゃんお誕生日コフレ”だなんて。まさかこんな風にプレゼントされるだなんて考えてもみなくて驚いた。
じっくり中を見てみれば、ファンデーション、チーク、マスカラ、アイシャドウに化粧下地、美容液、ネイルまで入っている。どれも話題のものばかりだった。あこのお気に入りのブランドのコスメもあれば、老舗のブランドがこの秋発売したばかりの新色パレット、それに最近韓国で話題沸騰だというブランドのチークまで。一つひとつを厳選して、あこのことを考えて集めてくれたのではないか。そのことに思い当たった瞬間、胸がじんわりと熱くなって、目じりに涙が滲みかけてきた。
「まったく、あなたってひとは……」
すっぽかさないでここまで来て本当に良かった。心からそう思う。彼女に対する自分の気持ちを改めて確認する。
「きらら、わたくし……わたくしは――……」
こみあげてくる気持ちを少しでも言葉にしようと口を開いたら、きららの手が伸びてきて、あこの目じりに触れた。
「だめだよ、あこちゃん」
「はぁ!? ちょっと、あなた、今かなりいいところでしたのに」
「泣いたりしたらメェ~だよ! これからメイクできないでしょっ」
「ん? これから、メイク……?」
きららはうん!と頷いて、お誕生日コフレの中からまず化粧下地を取り出した。
「はい! 今からこのコフレであこちゃんのことメイクして、それからデートするの♡」
「にゃ!? そういうことでしたの! それなら先に言っておいてもらいたかったですわ!?」
「だってびっくりさせたかったんだもん~~」
悪びれずに言う彼女の無邪気な笑顔に、一応シャーッと吠えてやったが、その後はおとなしく化粧水と日焼け止めだけ塗ってきた頬を差し出してやった。
きららは腕まくりをして、メイクブラシとメイクスポンジを握る。そうして手際よくメイクを始めた。
「まずはこれを薄ーく塗って~、そしたらこれをこうして~~、それからポンポンってして……はい、あこちゃん目、閉じて~」
「ええ」
「それでこれをくるくるって馴染ませて~、こうして、こうでしょ、その後はこれ!うんうんいい感じ!もういっちょリップに赤みを足して~!最後はこうしてから、こう!! でーきた! あこちゃん、目開けてみて」
目を開けると、正面にある鏡の中の自分と目が合った。
コーラルピンクに温かみのあるブラウンを合わせた目蓋。束感のある睫毛に、ローズピンクのチーク。マットなブラウンレッドのリップが全体の印象をグッと引き締めている。いつもより大人っぽい自分がそこにいた。
「……今日ばっかりは認めますわ。あなたがすごいってこと……わたくしのこと、こんな風にメイクしたいって、完全にイメージを固めて、それでコスメを選びましたのね。あなたこういうプロデュース力ありますものね。悔しいですけれど、センスのいいプレゼント過ぎますわ……」
それはあこの素直な気持ちだった。あまりに率直にこんなに褒めてしまえば、きららは調子に乗るかもしれない。でも確かにそう思ったし、言っておきたかったのだ。
どうだろうか。今の言葉を聞いて、きららは得意げな顔をしている? それとも勢いあまって抱き着いてくる? 飛びつかれるのは困るので、ちょっと身構えながら彼女の方をちらりと見れば、なぜだか俯いていた。
「きらら? どうしましたの?」
覗き込んでみれば、その顔は真っ赤に染まっていた。
「は? あなた、一体どうしましたの」
「や、やだ……あこちゃん……カオ、近い」
「何言ってますの? お腹でも痛くなりましたの?」
「ちがうよ! あこちゃんの顔が良すぎるの!! まさかこんなにめっちゃくちゃキレイに可愛くなっちゃうなんて思ってなかったんだもん!」
「にゃあ!?」
「想像の100万倍だよこんなの!! なんなの!! 可愛すぎ!!」
「あなたがメイクしたんでしょうに、何を言ってますの! 大体メイク中にも見てたでしょう」
「だぁってぇ~~改めてメイク完成したの見たらもうむりで~~~~」
きららは耳まで真っ赤にして恥ずかしがっている。
すっぴんで来いと言ったり、サプライズでメイクしたり、かと思えば可愛すぎると言って恥ずかしがったり。まったく仕方のない彼女ではあるけれども、そこがなんとも愛おしい。さすがにそれを言葉にして伝えるのはやめておくことにする。そのかわりに彼女の肩を引き寄せて、唇を重ねてやった。
さっき塗ってもらったばかりのリップの色がきららの唇にうっすら移る。
「あなたもこのリップ、似合うと思いますわよ?」
「きゅ、急にそういうことしちゃメェ~~~! もうっ!メロすぎ!!」
「まぁ、あなたより年上になりましたし? 今日はわたくし、誕生日ですし、ここからはこちらの好きにさせていただきますわ? まずはあなたにもお揃いのメイクしてもらいますわよ」
「えっ」
「ほら、目を閉じなさいな」
きららはどぎまぎしながらも、今日の主役であるあこの言葉に従って素直に目を閉じる。くるんとカールした睫毛にあこの吐息がかかって僅かに揺れた。
きららの部屋の窓の向こうには静かな海と澄んだ秋の空がある。きっとこの後のデートは、これまでよりもちょっぴり大人っぽくて、ときめきいっぱいの時間になるに違いなかった。
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