願い事


正月に天満宮に来ると、時々人が手にしている大きな団扇みたいな『なにか』。
西遊記に出て来る芭蕉扇みたいに仰いだら、きっとごてごてについた飾り付けが、みんなどこかへ落ちて行ってしまうだろう。
「草若ちゃん、あれ、買った後どないすんの? 持って帰った後って、飾っておくにしてもなんやぽろぽろ落ちて来いへんかな?」
僕がそう質問すると、隣で僕の手を握ったひとは、「あれは熊手ていうてなぁ。」と磯村屋のおじさんばりに語り出した。


日暮亭に一番近い大阪天満宮は、夏には天神祭という大きな祭りがある有名な神社だ。
夜にお父さんと夜更かしして外に何か食べに行ってたらしい草若ちゃんが、ふわあ、と大きな欠伸をしているところを見上げてると、「手、離すなよ。」とお父ちゃんが言った。
いや、僕と手つないでるの草若ちゃんやん。
そもそも、ここなら迷子になったところで、そこに日暮亭があるの見えてるし。
僕がそう突っ込もうとしたところで、前から来たおじさんとぶつかりそうになった。
うわ、危ないなあ。
「なんでこっち来んねん。」と言いながらぱっと手を離して通りすがりのおっちゃんと僕の前に腕を出して庇ってくれた草若ちゃんは「疲れたらちゃんと言うんやで。」と僕の頭の上から言って、僕の手をもう一回、ぎゅっと握った。
さっきまではそうでもなかったのに、お参りの列に付いてしまったら、すっかり知らない人の頭しか見えなくなっている。
「人、いっぱいやね。」と僕も前を見たまま言った。
「正月はいつもこんなもんや。」とお父ちゃんが言った。
夏に奉納の花火見に行きたいと言ったら「なんで混んでるとこにわざわざ行かなならんのや。」と文句を言っていたくせに、初詣はいいらしい。
口に出しては言わないけど、単に暑い時の人込みの方が苦手なのかもしれない。
今の時期なら、着込めば、ある程度寒さはしのげるし、草若ちゃんみたいに、ダウン着た中にまだカイロ貼ってるような人もいる。
「おチビがもう少し小っちゃかったら、肩車出来るんやけどな~。」と草若ちゃんが言った。
「僕、別にお父ちゃんの肩でええよ、草若ちゃんの肩車、なんや高くて怖そうやねんもん。」
「……そ、そうかあ? そんなら四草、お前が肩車するか?」
「しませんよ。」
「オレがお前のこと肩車したってもええけど。」
「せんといてください。」
淡々と温度を下げていくお父ちゃんの声に、(正月早々、仲が良くてよろしおすなあ、)と僕は心の中に京の大店の旦さんを呼び出してえびす顔になってしまった。
う~ん……このままやと、今年も初喧嘩までマッハやな。
そもそも、今朝から何も口論してないのが逆に奇跡みたいな気がしてきた。
「そもそも、子連れでこういう人ごみにおるんが間違いなんです。」
お父ちゃん、心配してくれるんは嬉しいけど、別に僕のことダシにせんでも、元から人の多いとこ苦手やんか。
「抱っこひもで背中におぶってるならともかく、さっきみたいなアホが子どもにぶつかって来たらどないするんですか。」
「まあそうやな。とっととお参りして、とっととウチ戻るか。」
「まあ、そうですね……。」
あれ、お父ちゃん、なんや照れてるな?
今年もそんなちょろいことでどうすんのやろ、と思ったけどまあええか。
「あ、あれいいな、あのでかい熊手!」
「え、……あんなん売ってるんや……。」
いつもながら草若ちゃんの空気読めなさも大概やけど、確かに、今横を通ったおじさんが抱えている熊手は、僕が今日見た中でも、桁違いに大きかった。
宝船と言わんばかりの大きさに小判やらえべっさんやら、景気よく大きいのが色々くっついてて、ごつくてカッコええな、と思う。
大きすぎて、周りの人が皆、映画の『十戒』みたいに潮が引くように道が出来てるのも便利アイテムっぽくて楽しそうに見える。


あれって商売繁盛のために買うもんなんや。
まあ、今のウチにはちょっと置いとく場所なさそうやけど、と僕が思ったようなことをお父ちゃんも考えてたようで「商売の家でもないのに熊手なんて買ってどないするんですか。」と言う声が聞こえて来た。
「あの大きさ、大体二十万くらいか? もうちょい安うて、丁度ええ大きさのあったらええねんけどな。」
人の話をすっかりスルーしてそうな草若ちゃんのひとりごとに、お父ちゃんは大袈裟にため息を吐いて「人には子どもの前で金の話すんなて言うくせに……。」と言った。
「そらま、そうですけどぉ。」と草若ちゃんが、これまたわざと丁寧語っぽい言い方をして肩を竦めている。
そういえば、いつもはお父ちゃんが敬語を使ってるから忘れてしまうけど、お父ちゃんより草若ちゃんの方が年下なんやな、これが。
落語家の世界って、鶏口となるも牛後となるなかれ、て諺の見本市みたいな業界なんやな、というのは、周りの大人を見てると、すごく良く分かる。
僕からしたら、いつも謎なんやけど、草々おじさんて、なんやオチコのおばさんにもお父ちゃんにも若草ちゃんにも、時々すご~~~~く態度大きいもんな。二番弟子て、日本料理の二番出汁みたいなもんちゃうんかな、て僕は思うのやけど。
そんなことを考えてぼんやりしていると、まだ熊手にこだわってるのか、「なんや派手なんが欲しくなったんや。最近服も買ってへんし、ええやろ。」と草若ちゃんが甘えるように言った。
「そこは僕に断らずに好きな服買ったらええんと違いますか? 熊手なんて、宝くじみたいなもんでしょう。」
「お前なあ、こういう日の縁起物と宝くじを一緒にすんなて。」
草若ちゃんは、ほとほと呆れた、というような顔をお父ちゃんに向けた。
「……まあええわ、金は天下の回りものや。たまには普段とは違う買い物するのも、気分が変わってええもんやで。それに、お前の仕事も増えるかもしれんやろが。」
ソコヌケがリバイバルするとかな、と草若ちゃんが言うと、お父ちゃんはいつもの皮肉屋な笑みを口元に浮かべて、ふ、と笑った。
「もう一回あの頃みたいなブームが来たら、アホほど仕事増えて、またローンで局の近くのマンション引っ越す羽目になって、熊手買わんかったら良かった、て言うことになるんとちゃいますか。」
えっ、昔の草若ちゃんが売れてたのは知ってたけど、そんなに?
「お前はなあ、正月早々、オヤジみたいなこと言うなや。……不吉やろうが。」
上機嫌だった草若ちゃんの声のボリュームがちょっと下がった。
「そら、オレもお前も日暮亭建てるときに一回すっからかんになっとるし、おちびのこと上のガッコにやれるくらいは稼げたらええやろとは思うけどな。オレはもう、あないな予言は十分やで。」
あの頃みたいな体力もなしに、と言って笑う顔は、ちょっと疲れてるようにも見える。
「体力、まあまああるやないですか。」
夜とか、とお父ちゃんがぼそっと言ったところに、草若ちゃんが無言で僕の上から無理やり手を伸ばして、お父ちゃんの耳を引っ張ってる。
危ない、危ないて、こんな人込みん中でするとことちゃうよ。
「痛いです、草若兄さん。」
「当たり前や、痛くしてんねんから。」
ああ、もう、正月から何やってんの、二人とも。

大人ふたりが仲良く初喧嘩をしてる間に、やっとお参りの順番がやっと回って来た。
「そろそろ順番やで、願い事ちゃんと決めてるか? 今年はオレが底抜けに楽しい年にしたるからな、まずは健康と安全や!」と草若ちゃんが言う隣で、「足が速くなりたいとか喧嘩が強いのが格好ええやろとかそういうのもあるかもしれんけど、学生のうちは、学業優先にしてよそごと考えんでもええからな。」とお父ちゃんが言った。
ふたりとも勝手なこと言ってるなあ。
「僕はもう、今年の願いごと決めてんねん。」


ふたりが仲良う、喧嘩せずにいてくれますように。

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