【名夏】ケーキバース


 風邪をひいて、学校を休んだ。
 しばらく熱が出て寝込み、その間鼻を詰まっていて匂いもせず、無理やり食べたお粥も味がしなかった。だからその時は風邪のせいで味がしないんだと思っていた。違和感に気が付いたのは風邪が治って学校に行ったとき。
「今日の給食、変だよね」
 変じゃないよ、と誰からも返事が返ってくる。
「味がしない」
 薄いとか、辛いとか、そういうものではない。味がしない。
 そこでやっと気が付いたのだが、おかしいのは給食ではなく自分だった。


 味がしないことには特段困ったことはなかった。というか、それなりに幼いころから食事に味が付いていないものだと刷り込まれたせいか味がしないことに慣れたせいもあり「そういうもの」として育っていた。大人になってもそれは変わらず特別に困ることもなかったためそれを話題にすることもなく人に言うこともなく生きてきて、ただ空腹を感じたらその袋を満たすように。生きるために食事をとるのは、無意識に呼吸をしているのと同じようなことだと自分では思っていた。

 だから夏目がお菓子を作ってきた時にはとても驚いた。
「これ……味がする」
「あはは。そりゃあスコーンですから」
 感想に笑う夏目にはこの喜びが伝わっているだろうか。
 味がしたのはもう何年ぶりなのだろうと思い返せないほど久しいことだ。以前は甘いもしょっぱいもちゃんと感じていたのに今は無味無臭であることが当たり前になっていた。だからこれほどまでに味がすることに感動している。当たり前がひっくり返った瞬間だった。
「美味しいんだねスコーンって」
「そんなにですか?」
「うん。知らなかった」
 夏目はこちらの返事を、嬉しくてゆっくり噛みしめているように見えた。本当に嬉しそうに笑っている。
 味がしないこちらの事情など知らないだろうから、それには少し良心が痛んだがこれが美味しいことには変わりないからそっと自分の中にとどめておく。ただ美味しいことと感謝を伝えておく。また。もっと。食べたい。
「もしよかったらまた、作ってほしいくらいに美味しいよ」
 あまり必死にお願いすると気持ち悪がられるかもしれないと控えめに伝えるがうまくいっているだろうか。友人が作ってくれるお菓子を懇願する大人なんて格好も悪いし気持ち悪がられるかもしれない。しかし失敗したらこんなに美味しい、味のあるものがもう食べられないのかもしれないのだから慎重にもなる。
「学校の友達と、試しに作ってみたものだったんですが。名取さんに食べてもらいたいとふと思って……」
 そういう夏目の顔が赤い。照れている。
 この雰囲気は。
「私に食べて欲しかったって、そんな嬉しいこといってもらえるなんて、夏目に言ってもらえたからかもっと嬉しく感じるよ」
「……。また作ってきます」
 まるで学生の恋愛のような雰囲気だ。
 今までも夏目のことは大切な存在ではあったが、それとは別の感情の芽生えすら感じる。
 こんな風にわかりやすく頬を赤らめている。わかりやすく自分に好意を向けてくるのだから無視することなど出来ない。それのせいもあって友人とは別の関係になりたいと思い始めていることに気が付いた。
 気が付いてからは早い、次に会う約束をする。そして確かめたいことがあるためもう一度お菓子を作ってほしいとお願いした。
 次に作ってもらったものも味がした場合、夏目のつくるお菓子には味が付いているということになる。
 これは、自分「が」または自分「に」好意を持つ人の作るものに味を感じられるような病なのかもしれないなどとメルヘンなことすら考えてしまった。

 夏目からお菓子を貰った後、もしかしたら自分の味覚が治ったのかもしれない、とは考えた。
 だから別れた直後にコンビニで甘いものもしょっぱいものも買ったがどちらも味がしなかった。ということは「夏目の作った」あのスコーンにだけ味が付いているという仮定が確実になった。
 夏目の好意のおかげでそれは早々に実現する。自分では数日開いたことによりはっきりと自覚した、友情というより恋愛に近い自分の感情を認めつつあった。自覚したせいかいつもより可愛らしく見える夏目が、今回はチーズケーキにしてみました、と小さな箱を持って家に来る。
「本当に、美味しい」
 自分が立てた仮定は間違っていないことがそこで証明された。
 夏目がつくったというこのケーキもまた味がしっかりしてそれもちゃんと甘かった。
 今まで食べ物には味が付いていないことが当たり前だったのだが、今回特定の条件下で味覚が復活したかもしれないという事実がほぼ確定してきたことがあまりにも自分にとっては嬉しいことだったようで、それを数口食べたあと嬉しすぎて夏目を抱き締めてしまっていた。
「え、な、名取さん」
「ありがとう夏目。本当に美味しいんだ。ありがとう」
「えっと。こんな初心者が作るものがそんなに美味しいとは思えませんが。……でも喜んでもらえて嬉しいです」
 夏目はこちらの身体を引きはがす様子もなく背に腕を回してきた。
 身体がより密着する。
 そのせいで夏目の首筋のその素肌に直接唇が不意に触れてしまって、夏目は身体を震わせたがやはり離れたりはしなかった。
 いい匂いが。とてつもなくいい匂いがする。焼き立ての菓子はこういう匂いなんだろうか。あまりにも刺激的な匂いで吸い込むことばかり考えてしまう。きっとこれを食べることが出来たら。
「名取さん」
「……なんだい」
 食べることが出来たら?
 そんな物騒なことを人相手に考えたことなんて今まで勿論微塵もなかったのに。意味が分からなくて気持ち悪くて咄嗟に夏目から離れる。
「ケーキ、また後で食べてください。名取さんの調子が悪そうだからまた来ます」
 離れた夏目はそう言ってあっさりと、何事もなかったように帰って行ってしまった。
 あまりにもあっさりとしていてさっきの甘い雰囲気や、自分の不審な思考は嘘だったのかもしれないと思ってしまったが、この部屋に夏目を彷彿させるその匂いがまだ残っていたり目の前のチーズケーキがあることで本当だったことを教えてくれている。
 残っているチーズケーキの欠片を食べてもやはりとても甘くて美味しかった。
 久しぶりに味を感じることがあまりにも嬉しすぎて脳が、それをつくった夏目すらも美味しそうだと勘違いしてしまったのだろうか。
 先ほど夏目の肌に不覚にも触れてしまい緊張で乾いた唇を舐めてみるとそこがとてつもなく甘い気がしてやはり夏目が甘いのではと再び脳が錯覚して気が付くとケーキはなくなっていた。

 そこからもまた早かった。 
 夏目の好意も分かっていたし、自分の気持ちも当然分かっているのであとは進んでいくだけ。
 何回か会うことを約束して友人の枠を越えない付き合いを進めていたが、性別の壁や年齢の差など気にすることは幾つかあれどより長い時を一緒に居たいと夏目に底知れぬ好意を抱いている自分が、夏目に思いを伝えることにした。
 両想いと分かり付き合うとなったその時の夏目は嬉しさのあまりに泣いてしまっていて、そこで初めて首ではなく唇にキスしたわけだったがそれがあまりにも甘くて、これが恋愛なのかと眩んだ。甘い。甘すぎる。
 こんなに、美味しいのか。
 夏目がこんなにも沢山満たしてくれることが幸せに思えた。

 何回目かの泊りで、夏目がやはりお菓子を作ると言ってくれた時にはとても嬉しかったがここでやっと、ほんの少しの違和感をちりと感じてしまった。放っておけばよかったが何故か引っかかって口に出さずにいられなかった。
「お菓子作り、好きなんだね」
「名取さんが喜んでくれるから」
 可愛らしい。笑った顔も、照れている顔も全部可愛くて美味しそうな夏目。
「お菓子がこれだけ上手なら、他の料理も美味しいんだろうな」
 ええ、とか頑張ります、とか照れていうのかと勝手に想像していたのだが、思いのほか返事がすぐ返ってこず少し表情が曇ったようにも感じた。気のせいだろうか。触れてほしくなかったのかもしれない。
「他の料理は。まだ勉強中で」
「いいんだ。夏目のお菓子ってとっても美味しいから、それだけでも満足なんだよ」
 少し前までは味もしなかった。適度に噛んで潰して飲み下すだけの作業だったのに今はちゃんと美味しいと感じる、食事を楽しむことが出来ている。こんな幸せを手放してはいけない。
 夏目がなんとなく間が悪そうな顔をしたのはきっと自分が料理のレパートリーを言及したせいだろう。気を付けなければ、と思いながらもやはり魚や肉などをつかった料理も夏目が作ったら美味しくなるのだろうかと期待せずにはいられなかった。

 先日仕事でそれなりに良い品質の肉を貰い、味覚を失っていた以前なら肉など咀嚼に時間のかかる食べ物で面倒だと思っていただけだったのだが夏目と食べたら美味しく頂けるかもとそれは気持ちも明るく家に持ち帰ってきた。
 冷蔵庫を開けた夏目は一瞬怯えたような顔をしていて、そのあと「この肉は……」と聞いてくる。その表情の意味が分からなかったが、高い肉を調理することに緊張しているのかもしれないと勝手に解釈してしまった。
「頂いたんだ。良い肉のようだったから、夏目と一緒に食べられたらと思って」
「そう、ですか。でもおれ」
「ごめん勝手に、作ってもらう前提で……」
 自分で焼いて食べれば、などと一蹴される可能性を失念していた。
 普通の人だったらそういう風にして食事をすることもある。ただ自分は夏目が作った料理にしか味を感じないという不思議な、気味の悪い体質なのだ。これは自分自身しか知り得ない。美味しく食べたい気持ちが盛り上がってしまいどうしても夏目に調理してもらう必要があると押しつけがましくなってしまったことに言ってから気が付く。
「なんでも作ってもらおうとしてごめん。私が焼くよ。ただ、あまり料理しないから味が不安で」
 と、言い訳をする。本当は味が分からないから他人に食べさせるなんてことが出来ないだけだ。
「そうですよね、大丈夫です、作らせてください」
「無理しなくていいよ」
「多分、出来ます。美味しく食べたいですもんね」
 夏目は少し不安そうな顔をしていたがこの肉も調理してくれることを承諾してくれた。
 なんとなく、会話に違和感があったがそれより美味しい肉が食べられるかもしれないという喜びにはすべてが小さいことのように思えた。

 一口。二口。
 期待して食卓についた自分を、夏目も見ていただろう。だから食べた後の一言目の感想を間違えてはいけないと咄嗟に思った。
 三口。
「……甘いですか?」
「え」
 味覚と、今度は言葉も失ったかと思った。
 そのとおりだ。甘かった。
 夏目が調理してくれた目の前の肉を内心興奮しながら食べた、その味は言われた通り甘かった。
 美味しい。美味しいけど甘い。
 肉が、ケーキを食べたときと同じ味がした。美味しいけどそれはおかしいと頭で分かってしまっているからこそ混乱して言葉が出なかった。ひねり出す。
「美味しい、よ」
「甘いんですよね?」
 間髪入れずに問うてくる夏目には迷いがない。
 自分の味覚障害にも混乱しているのに、それに加えて夏目も意味がわからない。どうして今思っていることがわかったのだろう。
 夏目が作ったものだけに味を感じていた。それらは甘いはずのお菓子ばかりだったから甘いのは当然だった。
 だけど今食べた肉も甘いのは。しかもどうして夏目がそれを知り得たのか。
「やっぱり全部、甘くなっちゃうのか」
 夏目は真顔でたしかにそう言った。
 意味は分からなかったが、夏目はこうなるのをまるで知っていたようじゃないか。
 あまりにも意味も味も飲み込めなくてただ視線を少し落とす。テーブルの上に置かれた夏目の細い指に、さっきはなかった絆創膏が巻かれているのが何故か目に留まった。
 血がしっかり滲んだ絆創膏が傷の深さを物語っている。その情報も目に入っては来たが落ちるように流れて行ってそれ以上捉えることが出来なかった。
 何もかもが流れていってしまっていたがふと、テレビから流れ着くニュースをまた耳が捉え、やっと頭が反応する。
『昨夜、〇〇であった殺人事件は、加害者が警察に自ら出頭しフォークであると自供しており───』
 フォーク。
 フォークが、人を殺したと。
『───被害者はケーキであることが判明しており、捜索は───』
 夏目と目が合う。
 テレビの画面に映っていたのはケーキとフォークという近年新たに分類されるようになった性についての簡単な説明だった。近頃よく目にするその種の説明。人を性別と、さらにはそのケーキ・フォーク性でも分けられるようになったらしいが母数はそんなに多くなく情報があまり出回っていなかった。
 知っていることと言えば、後天的に「フォーク性」が出現し、「ケーキ性」の人を美味しそうに見えてしまう奇異な欲を抱えるという、こと。
 ここでやっと物事がつながり始める。
 目の前の夏目は静かにテレビを消した。一瞬の無音。
 夏目の手にある小さな傷の数。甘い味付けにしかならない料理。あまりにも美味しそうに見える、それらを作った君は。
「でもおれのこと好きだって言ってくれましたよね。食べちゃいたいくらい好きだって、思ってますよね」
「……そういう意味じゃ」
「でもおれの、美味しかったでしょ」
 滲んだ絆創膏の貼られた手を振って笑っている。
「もうおれのお菓子以外で満足出来ませんよね」
 なんで笑っている。
 もう何も考えられなかった。
 
 
2025/05/24


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アマ~~~~~~い!!!になるように見せかけて夏目君は(自分がケーキだと)分かってて名取さんに甘い(に決まってる、自分の血入ってる)菓子を食べさせて胃袋つかんでやろっていう
名→夏かと思いきや名←夏的な話

夏目のことがめっちゃ好きで、自分のものにしたいとかちょっと愛が逸れて噛みたいとか思ってたけどそれは恋じゃなくてフォークの特性だったことに気が付かない名取、
気が付いて自分の体液を混ぜて食事を作っていた夏目君の話 病んでる~!

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