途中までのDom/Sub

 ハーツラビュル寮の副寮長であるトレイ・クローバーがSubであることは、周知の事実だ。Domであり同じ寮の寮長であるリドル・ローズハートへの献身を見れば、誰だってその事実に納得するだろう。非公開であったトレイのSub性が学園中に広まったのは、リドルがオーバーブロットを起こしたことがきっかけだった。事件の後、教師陣による寮生一斉調査でストレス値が閾値を大きく超えていた為に、デイヴィス・クルーウェルによる一対一のカウンセリングとケアが必要になったのだ。
 ──トレイ・クローバーはSubであり、特定の相手と信頼関係を結んでいない。
 Subは信頼関係を結んだDomとのコミュニケーションで欲求を満たし、ストレスを発散する。もちろん、リドルのオーバーブロット事件によってハーツラビュル寮のほとんど全ての生徒へのカウンセリングやケアが必要となった。1〜2回の短期で済んだ者も、校外のカウンセリング施設への通院が義務付けられた者もいた。しかしDomであり、緊急時にSubへのケア資格を持つクルーウェルの長期的な個別ケアが必要になったのはトレイのみで、それはSubであるトレイと信頼関係を築いたDomがいないことを示していた。
「失礼します」
 軽く2回、扉をノックしてトレイはカウンセリング室に入った。「時間通りだな」とクルーウェルが笑う。机の上に置かれたタブレット画面はいつものようにカメラ機能こそ使われていないものの、通話機能がオンになっている。本来ならば、カウンセラーがクライエントに対してカウンセリング以外の役割を兼任することは禁じられている。教師と生徒というラベルを持つトレイとクルーウェルは、カウンセラーとクライエントの関係になり得ない。しかし魔力を持たぬ生徒の入学や、リドルの他にもオーバーブロットする生徒が相次いだことで人手不足が重なり、他の教員の監視下でのカウンセリングが続いてしまっている。
 トレイはクルーウェルにいつもの眉を下げた笑みを返しながら、彼の対面に置かれた椅子に座った。クルーウェルとのカウンセリングとSubの性質を満たす為のプレイはすでに「お約束」と化している。
 大別すればDomは支配すること、Subは支配されることで喜びを感じるが、その『支配』の内容は人によって千差万別だ。トレイは『他者に望まれた食事を作ること』『望まれて作った食事を褒められること』に強い喜びを感じることが、クルーウェルとのカウンセリングとプレイで分かっていた。であれば、今日もストレス値を測る為の魔法がかけられたアンケートに丸を付け、クルーウェルの質問に答えた後は、家庭科室で望まれた料理を作って終わるだろう。
 元々、リドルの暴政とオーバーブロットさえなければ、Subの欲求を散らす軽い薬を飲んでSubとしての欲求を制御出来ていたトレイだ。クルーウェルはカウンセリング資格を持つDomの教師の中でも仔犬──クルーウェルは生徒達のことを仔犬、あるいは駄犬と呼ぶ──の管理が厳格であるから長引いてはいるが、こうしてカウンセリングを続け、欲求の形さえ理解できれば、他者とのプレイも必要なくまた薬で制御出来るようになるはずだった。
 ──本当に?
「仔犬」
 アンケート結果に目を通していたクルーウェルに呼ばれ、トレイはハッとして彼を見た。クルーウェルの美しい額には、隠しきれない皺が寄っている。
「どうかしましたか?」
「……このカウンセリングだが、4年に上がる前には終わらせると以前告げたな」
「ああ、はい。覚えています」
 ナイトイレブンカレッジでは4年次で研修が義務付けられている。トレイはすでに研修希望先が決まっており、つい先日、必要書類を提出したばかりだ。クルーウェルは常々研修までにカウンセリングとトレイの欲求の制御方法の確立を終わらせると言っており、抑制剤も自身の伝手を使ってトレイに合うものを見つけ出している。
 だというのに何をそんなに難しい顔をしているのだろうか。
 首を傾げたトレイに、クルーウェルは「これは提案なのだが」と告げた。
「学園にいる間だけでも、Domと契約を結んでみないか?」
「は?」
 クルーウェルの言葉に、トレイは目を丸くした。トレイとクルーウェルもDomとSubとしてカウンセリングとケアを行う関係上契約を結んでいるが、それとは別の契約だとはすぐに分かった。
 二の句が告げないトレイに、クルーウェルは「あくまでも提案だ」と再度念を押した。
「学園に来るまでは薬で制御し、学園に来てからも薬と寮にいるDom達の細々とした要求を叶えることでSubとしての欲求を満たしていたと言っていたな」
「はい」
「お前の欲求は平均よりも弱い方だ。その内容も他者の食事を始め、身の回りの世話をし尽くすことにあるようだから、うまくいっていたんだろう。しかし、今はその欲求に波が出てきている」
「それは、」
「Bad Boy.『話は最後まで聞くように』」
「っ」
 軽いコマンドを混ぜられて、トレイは息を飲んだ。一瞬だけ呼吸の仕方を忘れ、すぐにこれではいけないと首を振る。
 相手はクルーウェルだ。授業でヘマをしない限り、叱られることも犬にされることもない。
 ゆっくりと息をし始めたトレイにクルーウェルは小さく息を吐き、話を続けた。
「DomとSubの契約は基本的に仔犬達の自主性に任せているが、例外があるのは知っているな? 校外にパートナーがいたり、特殊な事情で一時的な相手が必要となる場合だ」
 それはトレイも知っている。特に今は各寮の寮長、あるいは副寮長がオーバーブロットを起こしたことに当てられて、不安定になっているDomとSubの生徒が複数いる。その為、学園側で相性を診て、一時的なパートナーを紹介し、彼らの安定を図っていた。
「お見合いじゃん。学園長が真剣に仲人してんの笑えるんですけど」と面白がっていたのはトレイの寮の後輩で、その発言を聞いて彼の首を刎ねたのはリドルだった。
 DomとSubのケアはどうしても相手が必要となる。相手がいなければ心身に深い傷を追うこともある。それを避ける為に行う切実な契約を笑うことは、いくらリドルのオーバーブロットが原因だったとしても許されないことであったからだ。
 つらつらと語られたクルーウェルの説明を聞き終えて、トレイはようやく深く息を吐いた。
「つまり、今の俺はカウンセラーではない契約相手が必要な状態なんですね」
「このアンケート結果が間違っていなければな」
「それは……ないでしょうね」
 トレイは苦笑した。学園長は時に突拍子のない言動をし、生徒にも舐められているが実力は確かだ。そしてその結果に今までトレイのカウンセリングを勤めていたクルーウェルを始め、他の教員達も納得しているのだろう。
 であれば、トレイの答えは決まりきっていた。
「分かりました。研修までの短い間ですが、それで良ければ。相手はいつ決めますか?」
「もう候補は決まっている。とはいえ、名前を聞いて無理だと思えば断ってくれても構わない」
 クルーウェルがタブレット端末を手に取り、タッチパネルを操作した。
 そして画面に表示された相手の顔写真付き資料──学生証だった──を見て、トレイは目を丸くした。
「は?」
「まあ、お前もよく知っていると思うが」
 と前置きして、クルーウェルはその名を告げた。
「キングスカラー、レオナ・キングスカラーが、お前の契約候補だ」

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