春の嵐
その日、燐音の叫び声が事務所じゅうに響き渡った。
「だァからヤダっつってンの‼」
「ぼくの誘いを断るって言うの? 失礼しちゃうねっ!」
負けず劣らず大ボリュームの日和の声が追い掛けるのを、事務所にいた人間はなんだなんだと見守る。注目されてはなお面倒だ。
日和の横をすり抜けて脱兎のごとく駆け出す燐音、その腕を、エントランス付近ですかさず捕まえる手があった。茨である。「天城氏‼」と耳元で張り上げられたハイバリトンは燐音には「!」マーク十個ぶんくらいに思われた。脳味噌がぐわんぐわん揺れる。
「だァ〜てめェもてめェもうるせェ〜‼ なんッなんだよおたくのユニットは! マスターボリュームがイカれてるとしか思えませんねェ⁉」
「これは失敬! 自分、無視されると死んでしまう性分でして! これも自分なりの生存戦略なのであります、どうかご寛恕くださいねえ!」
適当なことを喚き立てる我らが副所長は悪びれる素振りすら見せない。しっかり距離をとった上で「ご愁傷さまっす」みたいなぬるい視線を送ってくるジュンに助けを求めるのは、諦めた。
「兎にも角にも天城氏、パーティですよパ〜〜〜リィ! 嬉しいでしょう〜あなたパリピユニットのリーダーですもんねえ! パーティ大好きでしょう〜⁉」
「お〜お〜そりゃもう、お祭り騒ぎは大好きっしょ。ただし楽しけりゃァな!」
「ぼくんちのパーティが楽しくなかったことが一度でもあったかね、ねえ凪砂くんっ?」
「……ううん、日和くんと行くパーティはいつだって楽しかった」
「ほらね‼」
「うぜェ〜〜〜」
違う、そうじゃない。仲間内で飲み食いして踊るような気楽なものならこんなに渋ったりしない。これほどまでに気が乗らないのは、日和のお父上の誕生会と銘打たれたこの催しが、実質事務所の株主総会だと知っているからだ。お偉いさんがわんさか集まる、堅苦しいドレスコードもある。上等な食事にありつけるのはそれらが冷めきってからだろう。ンなもん何が楽しいっつうンだ。ニキが泣くぞ。
相変わらずパーソナルスペースの狭い茨が、不意に声量を絞って耳打ちした。
「良いですか天城氏、我が事務所の筆頭株主K氏をはじめとするお歴々が、一同に会する滅多にない機会なんです。今顔を売っておくことがおいおい、あなたの可愛い働き蜂さん達の命を救うことになるかもしれないんですよ? ええ、ええ、これは決して誇張表現などではございません。あなたならおわかりでしょう!」
「……チッ」
「出席、なさいますね?」
思わず舌打ちをする。今ばかりはこの歳下の副所長が正しい。
燐音は三分近い長考の末、答えを決めた。
馬鹿みたいに天井の高い豪奢なホール、室内楽団の奏でる豊かな音色、煌びやかな衣装を纏った人、人、人。そしてさざめき、笑い声、ありとあらゆる多国籍な料理とアルコールの匂い。
「……オエ」
口からまろび出たのはそんな呻き声だ。アイドルの身の上で、公共の場で発するべきでは断じてないひどく汚い音。けれど呻かなきゃやってらんねーと思ったから燐音は呻いた。解釈違い? 俺っち元々そんなキレ〜なアイドルじゃありませんから。
「だァからヤダっつったンだよ」
「わあ、不機嫌。僕に当たらないでほしいっす」
「あァ? 当たってねェっしょ」
「いだっ! 物理! 物理で当たるのマジやめて!」
別に不機嫌じゃないし当たってもいない。ただちょっとイラついたから軽く肘で小突いただけ、こんなのはスキンシップの一環だ。
お偉方への挨拶回りをひと通り終え、ニキは立食パーティを目一杯楽しむフェーズに入っていた。隣で御馳走を掻き込む相方を一瞥し燐音は小さなフルートグラスを煽った。神経を使えば使うほど食欲は減退するばかりだし、少量ずつ提供される高価なアルコールでは悪酔いもさせてもらえない。大人しく壁の染みに徹しようとグラスを傾けていたところで、見たくもないものが目に入った。それだけだ。
「あ〜……HiMERUくん絡まれてるっすねえ、いッづ、〜〜〜ッ‼」
今まさに見たくないと思っていたものに無神経にも言及したニキの、向こう脛に革靴のつま先がめり込んだ。痛かろう。大声を出さなかっただけ褒めてやる。
「……。絡まれてるっつかアレっしょ。こはくちゃんを紹介しときてェンだろ、今後のためになると思って。あいつ、コズプロの関係者には顔見知りも多いはずだし?」
「ったた……ちゃんとしてて偉いっすね……燐音くんと違って」
「うっせ」
HiMERU本人から申し出があった通り、こはくを連れて歩くのは自分よりも彼の方が適任だ。だから任せている。任せているけれど、それはそれ。
オッサンどもに囲まれて愛想を振り撒き、満点の笑顔で桜色の最年少を褒めそやすHiMERUを見ていると、燐音の腹の中はどうもモヤモヤして落ち着かない。理由は単純、つまらない独占欲だ。彼の隣はダブルセンターの相棒たる自分のものじゃなかったのか。
少し離れたところにいるHiMERU、横の燐音、と順に視線を滑らせたニキは、頬張っていたトロトロのローストビーフを飲み下すと事も無げに言い放った。
「寂しいって言いに行ったら?」
「はァ?」
「いつもみたいにダル絡みしたら良いじゃないっすか。構われたい〜ってチワワみたいな顔してないでさあ」
「だっ⁉ ……れがチワワだ」
「自覚なかったんすか。はあ〜タチわる、これにころっと騙される女の子もいるんだろうな〜。HiMERUくんは騙されないでほしいなあ」
「ニキてめェ後で覚えてろよ」
はいはい怖い怖い。そう言い捨てて身を翻し、ニキは追加の食事を求めてどこかへ行ってしまった。
わかったような口を利いていたがあいつはどこまで知っているのか。燐音がアイドルとしてのHiMERUをどれだけ信頼してどんな風に憧れているかなんて、ひと言も漏らした覚えがないのだけれど。
ぽつんと取り残されるとますます所在ない心地になる。こんな時は記憶を無くすまで酔っ払うに限るのに、ウエイターから受け取ろうとした新しいグラスは横から伸びてきた細い指が攫っていった。
「――お疲れさまです、|リーダー《・・・・》」
首を四十五度ほど捻れば、たった今脳内を占拠している男が立っていた。すらりとした痩身でミッドナイトブルーのスーツを着こなし、華やかな社交場に溶け込んでいる。なんだか眩しい。平常時は絶えず回転している頭が上手く働かない。言葉が喉の手前でつっかえる。
「……、メルメル……こはくちゃんは?」
「桜河はスイーツを取りに。椎名と合流しているのを見ましたよ」
「お〜そっか。おまえもお疲れさん。それロゼ」
ピンクに透き通ったグラスの中身をちび、と控えめに口に含んだHiMERUは、ほんの僅かに眉を寄せた。お口に合わなかったらしい。
「……。飲みやすそうな色をしているから飲んでみましたが、お酒……ですね」
「ぎゃはは、マイナス五億点の感想っしょ。まだ慣れねェ?」
「ええ……名実共に飲める年齢にはなりましたが、特別美味しいとは思わないのですよ」
「良いンじゃね? 俺っちがおめェらの分まで空にしてやっからよ」
「そんなこと言って、あまり酔ってないじゃないですか」
「へ? いやいや何言ってンの気持ちよ〜く酔ってるっしょ、も〜燐音くん超ご機嫌よ?」
「――本当に?」
ひやりとした。月のように冴えざえとした瞳に射竦められ、思わず声が裏返った。
燐音はきっとHiMERUが思う以上に彼を頼りにしているし、反対に頼りにされたいとも思っている。だから彼の前では至っていつも通りの陽気なリーダーの顔をしていたかったのだ。何も心配要らねェぜと、不敵に笑っていたかった。なのにこういう時、HiMERUは誤魔化されてくれない。グレーのダブルブレステッドスーツに合わせて普段よりもタイトにセットしている髪を思いっきり乱したくなる。俺のバカ、せっかくこいつが楽しんでるって時に水を差すンじゃねェよ。気ィ遣わせてどうすんだ。
「天城。……、踊りましょう」
「……なんて?」
自己嫌悪の渦にはまりかけていた燐音はHiMERUの言葉を拾い損ねて、ぽかんと間抜け面を晒した。差し出された掌とその顔とを交互に見やる。
「HiMERUの、……俺の手を取って」
返事をする間もなく、ぐんっと手を引かれる。ぐいぐい引っ張られる勢いのままフロアのど真ん中へ。この男は稀にこういう思い切りの良さを発揮することがある。
「リーダーは?」
「リ、リーダー⁉ おれ、」
「違う、ボールルーム」
「ボ……」
「ソーシャルダンス。踊れますか?」
ソーシャルダンス? 『Crazy:B』のカラーとはかけ離れているし、ESのアイドル全員に尋ねたとしても、会得している者はそう多くなさそうだが。むしろそう言うあんたは踊れンのか。
「いややったことね……うおお⁉」
「結構。俺がリードします」
「待っ、ワァ〜〜〜⁉」
言うが早いか。HiMERUが燐音の腰に回した手にぐっと力を込め乱暴に引き寄せた。骨盤同士がごつんと当たった感触がある(ライブの演出でだってこんなに接近したことねェってのに!)。右手はHiMERUの左手にがっちりと包まれ、すっかりワルツの準備が整ってしまった。
そこでようやく周囲に気を配る余裕ができた燐音は、ヴァイオリンアンサンブルがゆったりとした三拍子を刻んでいることに気がついた。
「スローワルツです。あなたは何も考えず頭を空っぽにして俺に全て預ける、良いですね?」
「……いーけどォ……」
「いきますよ。Un, deux, trois――」
一歩。HiMERUが長い脚で大きく踏み込む。釣られて一歩、また一歩と、ホールドされた身体が勝手に動く。まるでひとつの生き物のよう。
どうして野郎同士組んで踊っているのかはさておき、HiMERUのリードは完璧だった。導かれるままに脚を動かすと世界がぐるりと回る。回転のシークエンスの中にライズ&ロアーを当て込んで、なめらかにスイング。その繰り返し。燐音は穏やかな波に身を任せるようにただ揺蕩っていれば良かった。優秀なパートナーは「できるじゃないですか」と小さく笑った。
曲の中盤までくれば元よりダンスの得意な燐音はコツを掴み始めていた。密着している部分から相手が次にどう動こうとしているのかが手に取るように伝わり、踏み出す歩幅は示し合わせたようにぴったりと揃う。
(……、気持ちいい)
アンサンブルの鳴らす音色とふたりの呼吸が混ざり合いひとつに溶け合っていくのを、くるくると撹拌するかのようにフロアに円を描き続ける。背に添えられた手の支えを借りて上体を反らせば、目に映る景色がカラフルに様変わりして気分が高揚する。今宵自分たちを照らすのはギラギラしたステージ照明ではなく、プリズムのように繊細に煌めくシャンデリア。あちこちで踊っていたカップルは皆いつの間にか足を止め、今は音楽さえふたりのためだけに奏でられていた。
「……だいぶ注目されてっけど。いーの?」
「良いでしょう、別に。パフォーマンスだとでも思ってもらえば」
遠くの方で「ぼくより目立つなんて許せないね!」みたいに嘆く声が聞こえる(今日の主役はあんたのお父上であって、少なくともあんたじゃない……なんて、薮蛇だろう)。
――ああ、楽しい。
周りの視線も、話し声も、色彩も音も何もかもを置き去りにして、ただ夢中でステップを踏む。あんなにも息苦しく全てが色褪せて見えたパーティ会場で、彼と踊っている間だけは呼吸が楽になった。
「――天城」
「……」
「天城。前見てください、俺じゃなくて」
「う、いや見てねェし」
嘘。見てた。白状するともうずっとその横顔に見とれていた。堂々と背筋を伸ばして人々の目線を鮮やかに奪っていくHiMERUは、燐音が憧れてやまない、輝かしいアイドルのかたちをしていたから。
「……ねえ、天城。あなたはHiMERUを――俺を、信頼してくれていますか?」
「え、」
ドキリ、心臓が変なリズムで跳ねた。彼はステップを止めずに、歌うように言葉を紡ぐ。
「どうなのですか?」
「え、し……してるしてる、超してるよ」
「ふむ……。ふふ、いやすみません、意地悪を言いました。実を言うとすこし不安だったのですが、今はちゃんと……わかっていますよ。信頼関係がないとダンスはできませんから」
「……なんで?」
なんで、そんなことを聞くのか。問われたHiMERUは一度瞼を伏せた。
「頼りにされたかったのですよ」
「してるっしょ、頼りに」
「そうでしょうか? 酔ったふりもできないほど神経を尖らせて、ひとりで疲弊していた癖に?」
「うぐ……」
「今日HiMERUたちがのびのび過ごせているのは、確かにあなたが気を張ってくれているお陰ですけれど。最年長でリーダーだから負担が多くて当たり前とでも思っているのかもしれませんけど……もう、全ての荷物をあなたが抱える必要はないのでは?」
「……」
「HiMERUもあの頃のあなたと同じ、大人になったのですよ」
ちらりとこちらへ顔を向けた男は悪ガキの笑みを浮かべて見せた。不器用な彼の遠回しな言葉が腹の底まですとんと落ちてくる。
「はは……そっか」
こはくを紹介する役割をHiMERUが買って出たのは、ユニットや仲間の将来を見据え、何かできないかと彼なりに考えた結果だ。〝守られるだけの立場を卒業したい〟という意思表示でもあったのだ、きっと。それを不都合なものにカテゴライズして〝見たくない〟などと切り捨てたのは己の過ちだった。彼は未来でも燐音と並び立つために行動していたと言うのに、〝さみしい〟だなんて。身勝手で浅ましい自分が嫌になる。
「悪かったよ」
「わかればよろしい」
わざとらしく偉そうなリアクションにふたりして吹き出し、顔を寄せて笑い合う。思考の邪魔をしていたモヤはすっかり晴れていた。
「この先も……俺の隣に立っててくれるか」
「プロポーズですか? それとも宣戦布告? どちらにしろ受けて立ちましょう」
「茶化すなよ。……ありがとな、メルメル」
やがて音楽が止み、オーディエンスから惜しみない拍手が贈られる。歓声に混じって聞こえた「ぬしら余所でやらんかい!」という耳に馴染んだ野次にはっと我に返った燐音は、咄嗟にHiMERUの腕を掴み駆け出した。
「なんとな〜く、逃げてきちまったけど……?」
「あは、良いんじゃないですか。流石に、ふう、居た堪れなかった……ですし」
ホールを抜け出し逃げ込んだ先は噴水のある庭園だった。ひんやりとした春の夜風が火照った頬に心地よい。乱れた息を整えながらゆっくり歩き、薔薇の生垣を通り抜けたところにあるベンチに腰を下ろしてようやく、肩の力を抜くことができた。
「だァ〜〜疲れた‼」
「ほんと、はあ……ぶっ通しでリハした後みたい」
「おめェ体力ねェのにな」
ケラケラ笑って揶揄うとむっとした顔をされた。彼は元々負けず嫌いなのだ。
だから尚更、と思う。庇護対象であるうちは決して対等にはなれない。燐音がHiMERUを信頼しているのは事実でも、本当の意味で同じ場所に立ってはいなかった。それを彼は感じ取っていた。そういうことなのだろう。
(けど、さみしかったのは本当)
HiMERUの考えを理解してもなお、じりと身を焼く微熱が残る。言ってしまえばヤキモチ。この感情はさっきまでのモヤモヤとは別物だ。少なくとも同性の仲間に抱くべき感情とは違う――こんなのまるで、恋みたいじゃないか。
「綺麗な場所で……天城?」
「……」
ついうっかり。いや、うっかりでキスする奴なんてろくな人間じゃないと断言できるが、燐音は今まさにそのろくでなしであった。ダンスを終えたばかりで気が昂っていたのかもしれない。
隣に座っているHiMERUにキスをした。前後の記憶は何故かすっぽ抜けていて、〝キスをした〟という事実だけが燐音の中に残った。
「〜〜〜っ‼ ッ、……⁉」
声もなく口をぱくぱくとさせる彼を見て正気を取り戻した。キスをした。なんで? 動機は不明。咄嗟の犯行。魔が差した。以上、弁明の余地なし。
「おわ〜‼ ごめん‼」
「……、いえ、……」
HiMERUは黙って俯いてしまった。何か言ってくれ。いっそ罵ってくれ。信用をこんな形で裏切るなんて最低だと。けれど彼は貝のように口を結んだまま。怒ってるのか。怒ってるよな。どんな顔してンだろ。
申し訳なさを好奇心が上回り、俯いた顔を覗き込む。そしてすぐに後悔した。夜目にもはっきりとわかるほどに赤く染まった頬、潤んで揺らぐ瞳に釘付けになる。燐音の中で燻っていた小さな火種が、弾ける音がした。
「なに、その……顔」
「……見るな」
「キス、初めて?」
「HiMERUは……アイドルですから」
「うん、そっか。……その割には随分油断してたみてェだけど」
「……あんただから……」
「ん?」
「くそっ、あんただけです、こんなの、許しません、普通は」
絞り出したようなか細い声に動揺してしまう。それってつまり、俺だけに許してくれるってことで良いンだよな? 俺にとって都合が良すぎる、夢とかじゃねェのか。むしろ踊ってたところから既に夢だったりして。
酒が入っている、非日常に興奮してもいる。互いにそんな状況で正常な判断なんてものができるはずもなく。
今度はうっかりじゃない、顔を両の掌で包み込んで慎重に触れる。逃げられたり押し返されたりは、しない。受け入れられている。鼻先を触れ合わせたまま内緒話をする。
「避けねェの?」
「してから言うことじゃないでしょう」
「たしかに」
「なに笑ってるんですか」
「痛て」
噛み付くように口付けられて一瞬歯が当たった。初めて交わしたキスはそんな不格好なもので、日頃のスマートな彼からは想像もつかないくらい必死で、ものすごく愛しかった。
夢中で唇を重ねながら、やっぱりさっきのはプロポーズだったってことにさせてくんねェかな、と燐音は内心で呟いた。だってもう、他の誰にも渡せそうにないのだ。アイドルの『HiMERU』だけじゃなく彼という人間をそっくりそのまま、自分のものにしたくて堪らない。
ざああ、風が唸りを上げて花びらを吹き上げる。すぐ側で子供の嵐みたいなつむじ風が生まれ、一頻り暴れては消えていく。薔薇の芳香が濃く漂った。
「あまぎ、」
「ごめん、もうちょい、このまま」
まだ肌寒い外気から守るように、己の体温を分け与えるようにきつく抱き締める。燐音の中に立ち現れて渦を巻く嵐はまだ止みそうにない。
あーあ、マズい賭けに手を出しちまった。アイドル、同じユニット、男同士、他にも問題はたくさん。負けたら失うモンが多すぎる。
(でもなーんか、離れがたいンだよなァ……)
せめて風が収まるまで。
燐音はもぞもぞと身を捩り、HiMERUの肩口に顔を埋めた。しばらくは夢と現の境を彷徨うことに決めたのだ。
あと三十分もすればニキとこはくが探しに来るだろう。それまではこの夜にひたすら身を浸すのも良い。
「お疲れさまでした、天城。良い夢を」
背中に回った手に抱き締め返されるのをどこか遠くに感じながら、燐音はそっと目を閉じた。そうして暗闇にほのかに残る彼自身の香りを見つけたのだった。
(ワンライお題『お疲れさま/パーティ/あんただけ/花/夢』)
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