紺青の夜の孔雀玉

 夏祭り。
 賑やかな人の声や祭囃子が聞こえ、浴衣を着た人々が楽しそうに歩いている。屋台からはソースの香りが漂い、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、かき氷……さまざまな食べ物が並んでいる。
 そんな祭りの中、和仁は白秋と並んで歩いていた。
「たまにはこういった催しに足を運ぶのも、悪くはないね」
「はい、すごく楽しいです!」
 和仁は満面の笑みを浮かべる。

 彼らはこの日、図書館から少し足を伸ばして、街の花火大会へ来ていた。
 半月ほど前に花火大会の話を聞いた和仁がそわそわと落ち着かない様子なのを見かね、白秋が「行きたいのだろう」と声をかけた。その後、和仁は数名の文豪から一緒に行こうと誘いを受けたが、最初に声をかけてくれた白秋と一緒に来ることに決めたのだった。
「他の方はいらっしゃらないんですか?」
「酒飲みの連中を誘うと、すぐどんちゃん騒ぎになってしまうだろうからね。朔太郎くんや犀星くんには羽根を伸ばしてもらいたかったし……光太郎くんなら誘っても大丈夫かと思ったけれど、先約があるようだったから」
 そういうわけで、ふたりきりというわけらしい。

 ひととおり屋台を見て回ると、2人は休憩するため広場へと移動した。和仁はベンチに座ると、ふう、と息をつく。
「疲れたかい?」
「あ、いえ、久しぶりにこんなに人が多い場所に来たので……でも、平気です」
「それならいいけれど、無理はいけないよ」
「はい、ありがとうございます」
 そう言って笑う和仁の手には、りんご飴が握られている。
 数々の屋台を見て回ったというのに、和仁が求めたのは、そのりんご飴たったひとつだった。「本当にそれだけでいいのかい」と白秋が問うと、和仁は屈託なく頷いて、「はい、じゅうぶんです。ありがとうございます」と笑ったのだ。
 和仁はりんご飴をくるくると弄びながら、嬉しそうに眺めている。肩にもたせかけた杖から下がる根付の鈴が、ちりりと鳴った。
「……先生?」
 視線に気付いたのか、和仁が顔を上げて首を傾げる。白秋は微笑んだまま、首を振った。
「なんでもないよ」
 その手にもまた、りんご飴がひとつ。なんとなく食べるのが惜しくなって、袋から出せないままだ。
「……あの、先生。僕が一緒で、お疲れじゃありませんか?」
「なぜ君が一緒だと疲れるんだい」
「いえ、あの、その、ええと……僕は歩くのも遅いし、屋台の様子も説明していただかなくちゃわからないし……」
「……まったく、君ときたら」
 ため息をついてみせる白秋だったが、その瞳は優しげに細められていた。そっと手を伸ばし、ぽん、と和仁の頭に手を置いた。
「ふぇっ!? せ、先生……」
「僕は、君と一緒にいて疲れたことなんて一度もないよ。もうすっかり慣れてしまったからね」
 そう言って、今度はくしゃくしゃとかきまぜるように、和仁の髪を乱す。
「わ、わっ、せんせぇ……!」
 慌てる和仁を見て、白秋はくすくすと笑った。
「僕だって楽しんでいるさ。心配はいらないよ」
「そ、そうですか……?」
 まだ不安げな顔をする和仁の頭をぽんぽんと撫で、白秋は言った。
「そろそろ花火が始まる時間ではないかな」
「もうそんな時間ですか?」
 揃って空を見上げると、どぉん、と大きな音がして、色とりどりの花が夜空に咲いた。ぱらぱらと散っていく火花を眺めながら、和仁が呟く。
「『Toron……tonton……Toron……tonton……』」
「おや」
 白秋は目を細めた。
「『花火』かい」
「はい。この音、おんなじだなあと思って」
 銀、緑、薄紫、紅──色とりどりの光に照らされる和仁の横顔を、白秋は黙って見つめる。
「先生のことばたちは、いつも僕に、きらきらした世界を見せてくださいます」
「……」
「ね、先生。花火って、こんなにきれいだったんですね。僕、知りませんでした」
 その目に花火は映らずとも、和仁には花火の美しさが、確かに見えている。それは、白秋と、白秋の紡いだ言葉に出会わなければ、叶わなかったことだ。
 ひときわ大きい音をたてて、最後の花が空に散った。あたりが明るくなり、やがて元の薄暗がりに戻る。余韻が残る中、わあっと歓声があがった。
「……そうだね」
 白秋は静かに頷く。その相槌を受けて、和仁もにっこりと微笑んだ。
「さあ、帰ろうか」
「はい」
 袂を掴もうと伸ばされる和仁の手をするりとかわして、白秋はその手を取った。
「えっ?」
「ほら、行こうか」
 戸惑う和仁をよそに、そのまま手を引いて歩き出す。
「せ、先生?」
「なんだい」
「て、手を」
「ああ、はぐれてしまってはいけないからね」
 そしらぬ顔で答えると、和仁は少し黙り込んで、ぱあっと顔を輝かせた。
「えへへ……なんだか、嬉しいです」
 ぎゅっと握り返してくる手がとても温かいことに気付いて、白秋は人知れず苦笑する。
「……こんなところ、牧水や啄木に見られでもしたら、いったい何を言われるか」
「え? なんですか?」
「いや、なんでもないよ」
 ごまかすように手に力を込めると、それに応えるように、きゅっと握り返される感触があった。それがまたいとおしく感じられ、思わず笑みがこぼれる。

 からころと、下駄の音が、2人のあとを追いかけていく。

powered by 小説執筆ツール「notes」

16 回読まれています