笑うだけの話
補給の為にと立ち寄った島はぽつりぽつりと小さな村があるだけで、森が島の面積の大半を占めていた。医療器具は十分に仕入れることは出来なかったが、広大な森には珍しい薬草や食べ物なんぞが豊富に実り、動物も多くいた為に食料としては十分な確保が出来るかと、気落ちしそうになっていたところをなんとか持ち直したときだった。馬鹿みたいな笑い声が進むその森の先から聞こえてきたのは。
それは、懐かしいというにはまだそう遠くない過去に聞いた声に酷似しており、いやいやそんなまさかと、でもな、と思いながら見聞色の覇気を広げてみれば、案の定と言うやつだ。慣れてしまったその気配に大きなため息が出るよりも先に大きな舌打ちをしたのは仕方ない事だろう。回れ右をしてしまってもよかったが、おれが気付いたという事は向こうもおれに気づいている可能性が高く、逃げたと思われるのも癪だし、それに、どうせこんな広くもない島だ、そう時間を置くこともなく直ぐに鉢合わせてしまうだろう事は容易に想像出来てしまったため、半分諦め気味でそのまま足を進めたのだ。
ガサガサと草を踏み鳴らして歩いていけば、少しだけ開けた場所に出る。そこにはやはり頭に浮かべた顔が二つあり、だがその様子のおかしさにおれは呆気にとられてしまった。
「お前ら、どうしたんだ……」
「アッハッハッハッハッ!!ヒー!ハハハハッ!ハッハハハ!あ!とらっとらお!あはは!トラ男だー!あはは!ひさっ、久しぶりっあははは!あいっかわらず!そうっだなー!あはははは!」
「……麦わら屋……と……」
「ハハハハハッ!アッハハハ!とらっ!あははは!トラ男!アッハハハ!たすっ、たすけっ!ハハッ!アハッハッハッハ!」
「うるせぇ、何言ってるかわからねぇよ、ゾロ屋」
少し前に同盟を組んだ麦わらの一味、その船長と二番手がそこに居た。それは想定内であったから良しとする、あまり宜しくは無いが良しとする。しかし二人して腹を抱え、地面を転がり回って笑っている姿を目にしては首を傾げるしかない。服に土が付こうが草が付こうが構いやしないというよりかは、構ってはいられないという程に笑い転げている姿は正直異常でしかなく、思わず半身後退してしまった。あまり関わってはいけない、あまりというか、絶対に一切関わってはいけない事態になっていると、頭が警鐘を鳴らす。
「お前ら相変わらず楽しそうだな、あばよ」
「まぁ待てよ!ハハハッ!トラ男!待てって!!久しぶりだし!再会の!うた、うたげっあははは!宴しよう!アハハハハ!」
くるりと反転、なんなら能力を使ってさっさと飛ぼうとすらしていたというのに、ゴムの男というのは厄介極まりない。片手を上げて能力を展開するよりも早く、よくよく伸びる腕がおれの襟を掴んできた。首が閉まる感覚が瞬時に訪れ、情けない声を上げながら引き寄せられガツンッ!と頭が地面に打ち付けられてしまう。
「いってぇな!!何しやが……」
「あははは!トラ男!頭打ってやんの!あははは!」
おれが頭を打ったのがそんなにおかしいかゾロ屋。地面をバンバンと叩きながら笑いこける姿はやはり異常で、こいつこんなに笑う男だったかと異常な状況に拍車をかけて疑問に思う。
麦わら屋はともかくとして、ゾロ屋も確かによく笑う男ではあった、同盟を組んでいた時、酒を片手に歯を見せて笑っていた姿は今でもよく思い出しては、呆れて笑ってしまう程だ。思い出し笑い何ぞしたことも無いのにゾロ屋に関しては度々そのような事をしてしまう。
だがしかし、その思い出の中のどこにも、こんなにも大口を開けて笑い続けていた瞬間はなかったと思う。
酒を飲ませた時も、ペンギンが海王類に襲われて爪が引っかかった下半身の服が破れ尻が剥き出しになった時も、シャチが食堂ですっ転んでカレーを頭から被って白いツナギをカレーの色に染めあげた挙げ句、数日匂いが取れなかった時も、笑ってはいたがここまで爆笑していた事は無い。そうだ、まさに爆笑。笑いが大爆発を起こして止まらなくなっているのだ、今は。
笑い続けて腹を抱え、ひきつけでも起こしそうなほどの姿、地面を叩きすぎて手が赤くなっているのを麦わら屋の笑い声を耳元に聞きながら見ていると、コロリと地面に転がるものが目に入った。
「アハハハハハ!トラッ男!実はおれたちよー!アッハハ!」
「うるせぇ離せ」
「食っちまってよー!アハハハっ!おれは!慣れってからいいけど!アッハハハ!ゾッゾロは!アハハッ!」
長い腕がグルングルンと胴体に巻きついて離してくれやしない。それで耳元で大音量の笑い声を響かせる麦わら屋に青筋を浮かべながらも、転がっているそれを目にして、異常事態の正体を知る。知って、呆れ返ってしまった。
「食ったってのは、それか」
「アハハハ!ルフィのやろ、が!アハハハっ!む、無理やり!たすっ!あははっ!たすけっ!あはっははは!とめって、くれ!ひははっ!ヒィー!アッハハハ!」
齧った跡が残る転がるそれはキノコだ。拾い食いをしてるんじゃねぇよとかそんな事はどうでもいい、食べてしまったそのキノコそのものが問題すぎる。
「ワライダケ……だからか……能天気馬鹿と筋肉馬鹿が笑い馬鹿になってるのは」
「あははっ!ひでぇ!あははっははは!」
「ばっばかって!あははっ!い、言うな!!アハハハハハっ!たすけっ!とま、らねぇ!アッハハハ!」
「……暫くしたら収まる。そうやって笑い続けてろ」
「あはっはは!い、ま!とめって!くれ!あっははは!げほっ、ごほっ!あはっ、ごほ!」
とうとう噎せ返ってしまったゾロ屋は苦しそうにしながらも、それでも笑いを止めることが出来ないようだ。
ワライダケというのはその名の通りで、そして今目に入っている状況のまま、食べたら笑い続けしまうキノコだ。可笑しくもないのに笑ってしまうという症状は、自分の意思では止めることも出来ず、ゾロ屋のように呼吸すらままならなくなってしまう。死を招く程ではないにしても、呼吸が苦しくなるという点と、自分の意思ではどうにも出来なくなってしまうという点から毒キノコに分類されるものだった。それを食べてしまったというのだから、呆れてしまう。
しかも麦わら屋の言葉、おれは慣れている、という言葉と、ゾロ屋は、という言葉。このゴム野郎、毒キノコを率先して食べて尚且つ、ゾロ屋にも食わせているという事だ。呆れが最大限にまで増幅してもうため息すら出ない。
ただ、とつい眺めてしまう。涙を浮かべて大口笑って、餓鬼みたいに笑い転げるゾロ屋。本当に苦しいのだろう。強制的に浮かべられた笑顔に反して眉間にはこれでもかと言うほどに深い谷。苦しそうにして、涙を浮かべ、どうにもその様は見慣れぬもので、そのまま眺め続けてしまいそうになる。無理やり視線を外して、出ないと思っていたため息をわざと吐き出さなけば見続けていたかもしれない。
「はあ、止められねぇんだよ。だが、そのうち止まる。どうせならそのまま笑っておけ、麦わら屋はともかくとしてテメェは普段そんな笑わねぇだろ、いい機会だ、楽しく過ごせばいいんじゃねぇか」
「あっははは!お前が!言うっな!アハハハハ!おまっお前だってふだ、ブフッ!普段から!ムスッてしてんだっから!アッハッハッハッハッ!」
「ヒィー!あっひゃひゃひゃ!たしっかに!トラ男も笑えって!アハハハっ!たのっしーから!アッハハハ!」
笑い声が森に木霊して、言っていることは不明瞭であるのにムカつく事を言われたのは確かだと感じた。どうせおれに出来る事はないのだからと、グルングルンと巻きついていた麦わら屋の腕から無理やり抜け出した時だった。
「食え!」
「は?!やめっ!」
笑いすぎてテンションが普段以上にハイになってしまっていたのだろう、平素から鬱陶しい程に元気な男が、力加減も考えずに迫ってきて転がっていたキノコを口に突っ込んできやがった。
「ぐっ、っ!」
当然、口にしてなるものかと抵抗する。寄せてくる体は押し返し、口は真一文字に閉じて、歯は食いしばって決して口には入れないようにした。死は招かないが毒キノコだぞ、食ってやるかってんだ。
だが、笑いすぎてテンションがおかしくなっているのは何も麦わら屋だけじゃなかったというのが、おれにとっての不幸だった。
「道連れだ!ハハッ!アッハハハっ!」
「ゾッロ……やっ、グ!」
ああもう本当に。最悪だった。
麦わら屋を突っぱねる腕を、あろう事か涙まで浮かべて不本意だと眉間のシワで知らせていたはずのゾロ屋が押さえつけてきやがった。咄嗟に文句を言おうとした口に、キノコが突っ込まれる。そしてそのまま口を閉ざされてしまった。
苦しさや、反射。まぁ言い訳だ。ゴクンと飲み込んでしまった事に対する言い訳に仕方ないだろう苦しかったんだからな、と訴えようにも訴えられない。
「っ」
込み上げる吐き出しそうになる衝動。吐き出したいのはキノコであるのに、実際に吐き出されそうなものは違う。
「くっ、ぅ……ふっ……!」
離れた麦わら屋やゾロ屋なんぞにもう構ってはいられない。プルプルと体が震える。この毒キノコ、その効果のなんとも速いことか。
「ぅっくっふ、ふふっ、ふ……ふっは…!あっははははっ!」
「あはははっ!とらっとらお!あははは!食った食った!あはは!」
「あひゃっひゃっひゃ!トラ男ー!たのしいだろー!」
「たのったのしいわけ……!っぐっね、ぇ……だ、ろっ!ふふっはははははは!あっはははは!ひっ、は、ははっ!」
吹き出したら止まらない。決壊した川のように次から次へと笑いが込み上げてくる。
何も楽しくないどころか感情だけなら怒り心頭、怒髪天を衝く勢いだってのに、込み上げてくるものは止まらない。
「あはは!はっははは!ひっく、はっ、はははは!」
この笑い声は本当に自分のものかと耳を疑いたくなるが、事実自分の口は端が裂けそうな程に開いて、喉が痛みを覚えるほどに声を上げている。げほっと、普段使わない使い方をした喉が文句を言うように咳き込ませてくるけれども、おれの意思では止まらないのだから何とか頑張ってくれとしか思えなかった。
ワライダケの効果はいつまでだ?こいつらはいつから笑っている?そんなことを考えて尚且つ対策をしたいというか今すぐにでも止めたいのに、笑い続ける声が邪魔で上手く頭が回らない。
「あっはは!はーっ、はーっ……ははっ!お、おち、落ち着いて、来たかもしれねぇ……ふふっ、はは!」
「アッハッハッハッハッ!ハハッ!ふざっ、あははっ、げほっ!ぐっふ、はっはは!ふざけやがっ!あはははは!」
「ふははっ!トラ男!まだ、笑い続けるぞーっ!あはは!ははっ!」
食べたばかりのおれとは違い、先に食べた二人は段々と笑いが起きなくなってきたようだが、おれはつい先程口に入れられてしまった。大きく深呼吸をして息を落ち着かせている二人の傍らで、身を捩り腹を抱えながらとうとう地面に転がってしまいながらも、笑い続けてしまう。
「あっははは!はは!ふふっ、あ、あははは!おま、おまえらっ!あははは!ぜっ、たいに!ころっふふ、あははっ!はははは!ころ、す、から、なっあははは!」
「ははは!トラ男何言ってるかわからねー!おもしれー!」
地面に座り込んでいる二人が笑い転げているおれを見てキノコの効果なんぞ関係なく笑っているらしかった。それが腹が立つ事この上なく、しかし文句を嵐の如く言ってやろうにも込み上げる笑いが邪魔をしてくる。自分の意思とは関係無いというのは本当に厄介でしかなく、意のままにならないのはまさに毒だ。こんな状態でもし敵にでも相見えたらと思うとぞっとする。
「あはははっはは!はは!ふははは!あっ、ははは!くっ、そ!はははっはは!とま、ら、あははは!とまら、ねっあははははは!」
「おち、落ち着くまでっ!ははっ、待つしか、ねぇんだろ?ふ、ふははっ!」
「うる、せ、ははッあははは!ふっふふっアッハッハッハッハッ!っげほ!」
笑うゾロ屋におれが言ったことを返される。その通りだよくそったれ。自分の身に降りかかるとその言葉がなんとも腹が立つ。棚上げなんて言うな、こうなるなんて想定外だったんだから。
ヒーヒー言いながら笑い続けるおれをみて、ゾロ屋も麦わら屋も笑って、そして完全に落ち着いたらしい麦わら屋は「他に何かねぇかな」なんて言いながら森の奥へと向かって行ってしまった。涙が浮かぶ目で赤い色と黄色い帽子が去って行くのを恨めしく思いながらみても、おれはただ笑い続けるしかない。
「あはっ!はは!行っちまいやがった!あのっ、あははは!あのやろっ!あっははは!」
「ははっ、トラ男すげー笑ってんなぁ」
「てめっ、も!だっ、た、ろ!あははは!ひっく、げほ!あはっはは!とま、とめッ!アハハハハッ!」
「止めらんねぇんだよなぁ」
転がって笑うおれの傍で足を投げ出すようにして座ったゾロ屋の見下ろす顔が面白がっている者のそれで、この発作が落ち着いたら殴り飛ばしてやる事を決意しつつ、収まるしかないという言葉をそのまま実行するしかないと諦めておれはただ馬鹿みたいに笑い続けた。
そうして暫くして、込み上げるものが収まり、呼吸がしやすくなってきたことに気づく、なんとか症状が落ち着いてきたらしい。
荒くなった息を整えるように深呼吸をしている間にも残り火のように笑いが起きるが、大爆笑という程ではなくなってきた。
「はーっ、はぁ、あはっ、はは……ははっ、はー……はぁ……はぁ……ゲホッゴホッ!ごほっ」
「お、落ち着いてきたな」
「テメェら、げほっ……いつか、殺す……特に、麦わら屋……げほっ」
「おれもたまにそう思う」
呼吸が落ち着いてきたとはいえ、普段の疲労感とはまた別の疲れがどっと押し寄せて来てしまったから起き上がるのも億劫だった。
ゴロンと仰向けに寝転がって森の木々を視界の端に、青々とした空を見ている。先程まで爆笑の嵐だったせいでうるさくて叶わなかったが、今は随分と静かだ。たまに風にそよぐ擦れる葉の音や、遠くに聞こえる小鳥の鳴き声がようやく耳に入ってきた。
「あー、クッソ疲れた……」
「お疲れさん。ふふっ、しっかしなぁ、あんなに笑うお前、初めて見たぜ」
「おれだってあんなに笑ったことは無い……笑う必要も無い」
そもそも笑ったのだって本当におかしくて笑った訳でもない。キノコのせいだ。
頭は痛むし、目は涙のせいか熱くて痒くなる。喉も酷使したせいでイガイガとした不快感が付きまとって、なによりも、だ。
「くっ……腹、いてぇ……」
ズキッと痛むのは、これまた酷使してしまった腹筋だ。笑うというのは存外至る所を使うもので、腹もそのひとつ。ズキズキと筋肉が痛んで不愉快でしかない。
「こんなにも、痛むのか……いい事じゃねぇ……」
「トラ男、ホントに笑った事少ねぇんだな。んなもん、別にいい事じゃねぇなんて事もねぇよ。楽しけりゃ笑うし、腹痛むのもそりゃしょうがねぇ」
「楽しくて、こんな笑ったことなんぞ……」
ない。
ふと、記憶を遡る。腹を抱える程に笑ったことがあっただろうかと、最近の記憶から遠い昔の記憶へと意識を飛ばしてみて、ああ、いつだったか、餓鬼の頃は、確かにあったかもしれねぇと思い出した。
まだ両親や、妹がいた時。そして、コラさんと共に行動していた時。子供で、なんの力もなくて、でも感情だけは表す事が出来ていたような気がする。だけれど本当に子供の時だけで、大人に近づく度に笑うなんてのは少なくなり、今や声を上げて笑うなんてことはした事がなかった。
「……笑うことが少ねぇと思っていたが、割かしありそうだな、テメェらは」
「まぁな、楽しい事ばかりってわけでもねぇが、ほら、船長があれだろ?だから笑うような事も多い。たまに腹が立つ事もあるけどな」
「そうかよ、今回はおれを巻き込んで楽しく笑ったわけか。やはり、麦わら屋だけじゃなく、テメェもいつか殺す」
「ははっ、やってみろよ。そう簡単に殺されてやらねぇから」
未だに起き上がらないおれを、座ったままのゾロ屋が、見下ろす。明るい空が緑色の向こう側に見えた。キラキラと輝くピアスが眩しくて、笑うゾロ屋すらも、眩しく見える。
「でも、ま……お前の笑ってる面ァっての、悪くなかったぜ」
「ああ?」
「いっつも悪巧みしてそうな顔ばっかだったじゃねぇか。それがあんな、餓鬼みてぇに笑うの初めて見た。そんで、悪いもんじゃねぇ……良いなと思ったよ」
「なにが」
ワライダケの効果が無くなったゾロ屋が浮かべるものは、そっとした静かな笑みだった。森の静寂を打ち消すことなく、守るような笑みだ。
「なにが、良いんだよ」
「さぁな。良いと思ったから良いんだよ」
「意味わからねぇ」
「そうか、そうか。おれはわかってるからいい」
いつかワライダケなんて必要なく笑えればいいな、なんて言う。
あんな爆笑、ワライダケがなけりゃしねぇよと、おれは眩しくも静かな笑みから目を逸らして呟き、痛む腹をさすった。
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