シャンプー
はあ、さっぱりした。
最初は水しか出て来うへんシャワー浴びると、帰って来たな~、て気持ちになるわな。
冬は耐えられんけど、夏はまあ我慢できる。
背中からじりじりと出て来る汗を我慢しながらドライヤーでざっと髪乾かして、汗の滲んで来た首元にタオル掛けて部屋に戻ると、四草がテレビの前のちゃぶ台に陣取って、材料の並んだ画面を睨んでるとこだった。
――すし酢は酢を大さじ一と四分の一、砂糖を大匙一、塩を小さじ三分の一、ちりめんじゃこは大さじ2……。
広すぎる台所で、料理研究家がアシスタントを脇に従えて調味料を手際よく混ざ合わせてるところやった。
「静かにしてください。」といつものテンションの低~い声になった四草の手元にはオレの学生時代に使てたような細い罫のノートがあって、鬼のような面相で落語の代わりに料理の手順を書き記している。別にオレの方を見ぃ、とか言うつもりもないけどな。
「なに『きょうの料理』を親の仇みたいな顔して見てんねん……。」
オレがおらへん間に、四草の部屋の扇風機は最近の最新型に形を変えていて、テレビの下には見慣れないビデオデッキまでがあった。
部屋におらん間の演芸番組とか、適当に録画して見てんのかと思ったら、なんや入れっぱなしのテープの背に書いてある見出しは、サラダうどんやらロールキャベツやら。
何があったんか知らんけど、オレがおらん間に、料理が趣味になってしもたらしい。
しかも、きょうの料理て。
料理番組選ぶにしても、いくつかあんのやから、三分クッキングとか、おしゃべりクッキングとかのが面白ないか?
オレ、あのキューピーのコマ回しのアニメみたいなヤツ、好きやねんけど。
……まあええか。
がりがりと鉛筆で書き取りしてる四草の横に座って「今日の夕飯、何にするんや?」と聞いたら「まだ決めてません、」と返事が返って来た。
お前、今日作るんと違う料理の予習して、どないするんや?
……て聞いたところで無駄かもしれへんなあ。
「お茶飲みたいねんけど、麦茶作ってあるか?」と聞くと、返事の代わりに「小草若兄さん、シャンプー、もしかして僕の使いました?」と言われてドキッとした。
お前、もしかして、前世は猫と見せかけて犬やったんか?
どんだけ鼻が利くねん……。
「ええやろ。ちょっとくらい。それより茶、」
「ええことないです、そのちょっとが気が付いたら毎晩のことになってくんですから、」
「オレの分のシャンプー、丁度昨日なくなったとこやん。」と言うと、知ってます、と答えが返って来た。
「さっさと自分の分のシャンプー買うてきてください。最近そこに出来た薬屋に詰め替えの安いの売ってますから。」
「シャンプーなんか、今は買う金ないで。」
「それなら石鹸で全部洗うたらいいでしょう。それなら僕も文句は言いません。」
「そないなことしたら、オレのキューティクル、全部死んでまうやんか。」
貴重な小草若ちゃんのキューティクルやで、と言い募ろうとしたら睨まれた。
「そんなに髪ツヤツヤにしたいなら、自分の金でどうにかしたらええやないですか。」
うっさいぞ、とヘッドロックのひとつも掛けられたらええんやけど、今それしたらオレ、下はペラペラのトランクス一枚切りやし。
いや、こいつのこと意識しとる訳とちゃうけど、まだ明るいしな。
「ええわもう……夕方になったら買うてくるから起こしてくれ。」
ごろん、と横になったらテレビからはフライパンの中に材料を入れるときのあの油の弾ける音が聞こえて来て、目を瞑った。
四草の部屋に戻って来てからこっち、夕陽に溶けていなくなってしまえばええのに、てこれまで散々口にしてたあの捨て台詞を吐くことがほとんどなくなった代わりに、気が付いたら冷蔵庫の中に入れてたプリンが消えてるとか、オレが好きで付けてたタイがいつも仕舞ってある引き出しから消えることがあって、迂闊にそういう発言が出来へんようになってしもうた。
そらもう、食いもんなんかは煙みたいにどこぞへ消えてしまうわな。
オレの、て書いたみぞれ氷も、小草若、て書いたプッチンプリンも、仁志、て書いた大福も、油断してるその間にす~っと幽霊みたいにおらんようになってる。
なんで人の買ってきたもんを食うてまうんや、このドアホ、て言うても、底抜けに効き目があらへん。食べられるのが嫌なら、適当なとこに引っ越したらええやないですか、て不機嫌なツラされんのも、割と堪えるで。
次から二人分買うて冷蔵庫入れとけとか、絶対に言わへんからな、コイツ。
……むかっ腹立てても、草々みたいにそないして言うてくれたら、オレかてふたつ買って来たらんこともないのに。
薄眼を開けて窓辺の籠入りカラスを見ると、黒いカラスは視線に気づいたようにオレの方を見返して『オトシブタ ナンデセナナランネン!』と一声、籠の中でバタバタと黒い翼を広げて飛び回った。
しゃあないなあ。
夕方にドラッグストア行く時は、ヨーグルトでも買うてくるか。
こいつの名前も書いといたら、オレのまでは取って食べへんやろ。
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