お誕生日おめでとうございます🥳
改札を出たところで、首筋を汗が伝う。やっと秋らしくなって来たと思っていたら、また思い出したように暑さがぶり返した今日。
流れる汗を手巾で拭いながら歩く帰り道、酒屋の前で足が止まった。冷蔵ケースいっぱいに並べられたビールが見えたからだ。
こんな暑い日は、よく冷えたビールが美味いに違いない。そう思った。
そうすると、二人で飲むのだから一本というわけにもいかない。二本でも足りないかもしれない。
ということで三本を買って帰ることにした。
手提げのビニール袋の中、ガラス瓶どうしがぶつかって立てるがしゃがしゃという騒がしい音とと共に帰宅すると、家はしんとしていた。人の気配がない。
いや厳密に言うとゲゲ郎も、そしてその息子である鬼太郎も人ではないのだけれど。
ただいま、と小さい声で口に出してもみゆものの、いつも玄関先まで出迎えてくれる二人の気配はやはりない。
どうしたのだろうと居間へと真っ直ぐ向かう。すると卓袱台の上に置き手紙があった。
そこには、ゲゲ郎の字で、急な用事で妖怪どうしの集まりに行ってくるがすぐ戻るので心配しないよう、とそんなことが書かれていた。
妖怪がいるのは、なにも人里離れた山奥のような場所には限らない。街中であっても、妖怪はどこにでもいる。それはもうよく知っている。
共に暮らし始めた頃から、ゲゲ郎はたまにそういう集まりに呼ばれていたのだが、こんな風に前触れなく家を空けることはこれまでなかった。
ここ一、二年の間にこの街も開発が進み森が随分と減った。森の奥から新しく越して来たような妖怪からは、ゲゲ郎のようなかなり長命(らしい)の者はなにかと頼りにされることが、以前より増えたのかもしれない。
書かれているとおり、心配は無用だろう。ただ、せっかくのビールは、残念だが一人で飲ることとなった。
酒屋で、ついでに乾きものでも買えば良かったと思う。買い置きの枝豆があるというのに、それを茹でるのさえも億劫で、酒だけを煽っている。
空きっ腹に酒を入れてしまうのは酔いが回りやすいとかいうが、酒には昔から強い方だ。割に酒が好きだというのもあるかもしれない。
と、いっても自宅では然程飲むことはなかった。
だって、一人で飲む酒は。
それが、ゲゲ郎と共に暮らすようになって変わった。
簡単なつまみを作り、卓袱台を囲んで飲むこともあれば、小さな庭を眺め、旬の果物を肴に、縁側で隣同士並んで飲むこともある。
二人で酒を酌み交わすのは、いつも楽しい。
それなりの酒だとしても、やたらと美味くなるし、美味い酒はより一層に美味く感じる。
本当に、不思議なくらいに。
年齢も、これまで生きて来た道も、なんなら種族さえ違う。なのに、二人で気持ちよく酔って、他愛のないことで笑い合えるのは、かけがえのない時間だ。
しかし、だからこそと言うべきか。
久しぶりの一人の時間を過ごすと、共に居てくれる者のありがたみが余計に分かる。
すなわち、寂しさが身に沁みるということ。
よく冷えた瓶ビールは、本当ならもっと美味く感じるはずなのに。
琥珀色の液体を、手酌でもってコップにとくとくと注いでいると、なんだかため息がこぼれた。
買って来た三本のビールはあっという間に空になった。
普段ならこれしきで酔うことなんてないのに、案外酔ってしまった気がする。
頬や、項のあたり、それから耳の縁なんかが妙に熱くて、頭がふわふわとして、あの二人がここに居ないことがやけにやけにとってもさみしい。
それから、やたらとこいしくてならない。
ゲゲ郎の、手、や、自分よりも少し低めの、あの体温が。
つまるところ俺は今、触れられたいのだ、あいつに。
時計はそろそろ九時を指す。まだ二人は戻らない。
このまま、こんな酔っ払いが一人きり起きていても、寂しさ、それに加えてこいしさが募るばかりに違いない。まだ早い時間ではあるが、布団を敷いて一旦寝んでしまおうと決めた。
ビール瓶もコップもそのまま、居間から廊下を挟んだ向かいの寝室として使っている和室へと移り、押入れを開く。
そこに、重ねてしまってあるのは三組の布団。下から俺のと、ゲゲ郎のと、一番上に鬼太郎の、小さいやつ。
帰って来たらあの二人もすぐに寝るかもしれない。いつも通り三組を並べて敷き、一番端の、自分の布団の上に横たわる。
そういえば着替えてなかった、せめて靴下くらい脱がないと、とか酒の回った頭で考えていたその時、鼻先でゲゲ郎のにおいがした。
ああ、これはゲゲ郎の布団だ。すん、とあらためてにおいを嗅ぐ。布団だけじゃないこのら枕もそう。
たったのビールの三本くらいで、今夜の自分は酔っているらしい。間違えてしまった。
だからこんな、においをやけに強く感じるのだ。
たまらなくすきなにおいを。
「……っ」
ただでさえ熱く感じていた頬やらが、更に熱っぽさを増した気がするそして、触れられたい、という思いも強く。
とはいえ幾ら望んだところで、当のゲゲ郎が居ないのだからどうしようもない。
身体の内側で産まれた熱は、血のめぐりと共に全身をあっという間、埋め尽くしてゆく。腰の辺りが熱く脈打ったようにずくんとする。
性的な意味を持った疼きを確かに感じている。慌てて打ち消すように膝を擦り合わせてみたところでおさまらない。
じっと目を瞑り、週明けの業務のことなどに思考を走らせてもみたものの、無意味だった。そんなことでこの種の衝動が簡単に解消されるはずがないのは、男として三十数年生きていれば流石に理解している。
「くそ……」
小さく呟いて寝返りをうつと、ゲゲ郎のにおいがまた一際強くなった気がする。どうしようもない。とりあえず腿のあたりに触れてみると、脹脛がかすか揺れた。鼠蹊部までを撫であげてみると、本当にもうだめだという気分になる。
ここまできたらさっさと抜いてしまおう。そう考えてベルトに手をかけた。
こんな、自分で自分を慰めるなんて、いつぶりのことだろうか。考えても思い出せなかった。
家には自分しかいない。誰に憚ることもないというのに、久しぶりが過ぎるせいか妙な気恥ずかしさがあって、ベルトは音がしないように気を配りそっと外す。汚しては厄介だから、脱いだスラックスは足の先で蹴飛ばすようにして、布団の下へ避けた。
続けて、すっかり緩んでいたネクタイを解き、シャツも前を開いた。
あらためてランニングの裾、腹にひたと手のひら。それだけで、己のそれがひくと反応したのが分かる。
臍の穴を擽るみたく弄ると唇から漏れた息は過分な甘ったるさを孕んだ。
腹は括った。とそんな意気込みで下着の中へと指先を滑らせる。すぐに触れた陰茎は既に芯と熱を持ちはじめていた。きゅっと軽く握り、扱くと膝がひくひくと動く。
「ん、ぅ……」
そのままゆるゆると手を動かして扱きながら、物足りなくて、下着をずらしてもう片方の手、その指の先で先端をなぶる。
みるみるうちかたく変化してゆくそれ。上向きに勃ちあがってゆく。先っぽの穴からはとろり先走りが漏れた。
「はぁ、っ、は、……っく、」
ぬめりを借りると手の動きは自然早まり、余計に先走りはとろとろと溢れて、手指と陰茎をどろどろ濡らす。
「っ、ぁ……」
酒に酔っているということもあり、すぐに達することが叶うだろうと思っていた。だが、そうはならずにもどかしい疼きで腰がうずうずと揺れる。布団の上、身を捩り敢えて枕に強く顔を押し付けると、ゲゲ郎のにおいが胸の内に溜まって頭がくらくらする。
気持ちがいい。けれど、まだ足りない。
自分の、良いところがどこか。そんなのは、誰よりも自分が知っているそのはずだったのに、今は変わってしまったのかもしれない。
だって、もっと良くしてくれる手を知ってる。
「げ、げろ……」
思わず、その手の持ち主を呼ぶ。
と。
「呼んだか」
聞き慣れた声と共に、背中側にすとんと人の気配。
「わぁっ」
驚いた。などというものではない。心臓が止まるかも、と本気で思った。
下着に突っ込んでいた手を引っこ抜き振り返ると、にこにこと嬉しそうなゲゲ郎が肘をついて寝そべっていた。
「な、お前、な、なん、でそこに」
「なんでも何もなかろう。わしが帰る場所はここしかないぞ」
しれっと笑顔のままでゲゲ郎は言う。
「それは、そう、だが……、ていうか、お前、一人なのか、きたろ、は」
「それが鬼太郎は、今夜はあちらへ泊まってみたいというての。旧知のおばばに預けて来た。明日、共に迎えにゆこう」
言葉の理解も進み、近頃は、自我もしっかりと芽生えきたと感じていたが、もう、親から離れて一晩を過ごしたいと思うまでなんて。
「あいつも、そんなふ、うに」
「成長しておるのだな。すこし、寂しくもあるが」
「そうだな……」
親代わりをさせてもらっている立場からすると感慨深い。
子の成長に対しての感慨に耽るには、どうにもこうにも相応しくない状況なのが心苦しくはあるが。
「まあ、だからの、今夜はおぬしと二人きりということじゃ」
「あ。ああ。なら、お前も、疲れたろ。もう、さっさと寝ちまおう、ぜ。さっきまで一人で呑んでた、ら……少し酔ったみたいで」
「そうか」
うんうんと頷きながら、優しく声をかけてくれるのは良いのだが、その声が、耳のすぐそばでする。
「おい。ち、かい」
「だが、これはわしの布団じゃろ」
「あ、っ!」
さっきは耳のふちをかすめる程度だったのが、今度ははっきりと、耳の穴へ向かい、声と共に息が吹き込まれる。
わざとだろ。と憎らしく思いながら、びくっと肩先が跳ねたうえに声も抑えられなかった。あらためて、こんな場面を見られたことが、気まずい。
「……これはもしや、わしのにおいで、と考えるのは、自惚れかの?」
居た堪れない思いで何を言えばと逡巡していると、ゲゲ郎がそう尋ねて来た。普段どおりの飄々とした風情だった声音が、僅か揺らいでいるように聞こえた。
「……」
「水木?」
「ちがう。自惚れなんかじゃない。から……はやく」
振り返って、半ば自棄だという気持ちで告げると、笑みの形をした唇が唇に触れた。
重なってそのまま、承知、と応えてくる声を、ごくり飲みくだす。
喉から蕩けるようだ、と思った。
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