家具


「家具、増えましたね……。」と僕が言うと、隣に座ってソファの上からテーブルの上のビールを飲んでいた男は、「そない言われてみたら増えたかもしれへんな、」と空っとぼけた顔をした。
「……かも、やなくてそうなんですよ。」と語気を強めに言うと、「いや、今日のはおチビの部屋の本棚やん。オレのとちゃうし!」と兄弟子が慌てて釈明した。
「これ以上買うたら掃除も手間やし、暫くは増やさんといてください。寝具も布団からベッドに替えましたけど、この先のマットレスの手入れとかだけやのうて、交換とか考えたら、それなりに大きい出費が出て行きますからね。」
「お前もベッドでええか、て最初は乗り気だったやん……。」
「それはそれ、これはこれです。」
昔は小さいテレビでやってるテレビ番組で、ぱっとテレビを消してさあ稽古しましょうと言えたところが、大きなテレビを買うてしまったせいで、録画した番組消化して、そのまま惰性のようにテレビに見入って何をするでもない時間というのが出来てしまうようになってしまった。
相手が見たいんやろうと思ってたまの善意の気持ちで録画したものが、相手がその番組にすっかり興味をなくしてしまっていたことにも気付かずにいた、なんていうしょうもないすれ違いで、二人揃って見たくもない旅行番組を見続けていたこともあった。
子どもに言われて気付くのだから、お互い、テレビが見たいというよりは、茫洋とした気持ちでただ眺められるものを欲していたところがあったのだろう。
小浜に行って海を見て来たらええやん、と子どもは簡単に言うが、実際のところ、「草若ちゃん」のフットワークが異様に軽いだけで、普通はこんな、近所のおとくやんほど気軽に行ける距離とは違う。
かつてはまあ、さて稽古しますかと言いながら、澄ました顔で二人して隣の部屋に移って別のことをやっていたこともあったわけだが、今やあの、ベッドである。
まあ元凶は、ベッドそのものと言うよりは、あのマットレスである。
今回ばかりは僕が悪かったのを認めるが、そこだけはケチったらあかんというところに金を出さなかった悪い例の典型で、ホテル風でもないマットレスの上で腰を動かすたびにギシギシ言うのが妙に気になって――これがなぜか、ホテルでセックスをするときには全くといって気にならない――、かといって、今更床で出来るかと言うと、子どもが使う可能性もある客用布団をそのために使うわけにもいかず、何も敷かずに抱けばそれはそれで、兄さんの身体に負担が掛かる。腰が痛いと口を尖らせるところは、多少可愛く見えなくもないが……。
思うに、昔の家はよく考えられていて、ちゃぶ台は夜になれば廊下に出すか、立てかけて隅に寄せておいてその空間に布団を敷くことが出来た。
掃除かて、これまでならちゃぶ台を避けて布団を上げて掃除をしておけば良かったけれど、一人でどかせない家具がひとつでもあれば、そのために時々模様替えをして下の畳や板の上の埃を取ってやる必要がある。
寝室にベッドがあれば、マットレスをどこかで陰干ししたり、ひっくり返したり。
ソファを置けば、カバーの手入れ。カーペットを敷けば、カーペットの手入れ。
家具を置く余裕がなければないで、案外に暮らしていけるし、空間があればあったなりの家具を買いそろえたところで、始末せなあかんものも増えて、それまでの生活様式がすっかり変わってしまう、ということに、やっとのことで気が付いたわけや。
まあ、今更布団に戻すにしても、子どもへの言い訳をどないするか……。
「ベッドはどっかに引き取ってもろて、布団に替えてまうか?」
「……人の心読むの、止めてください。」
「そうかて、今日のお前の顔、めっちゃ分かりやすいで。」と言いながら、兄弟子はウヒョヒョヒョヒョと妙な笑い方をしている。
「……もうちょっと年食ったら、嫌でもベッドが良くなるて言いますけどね。」と僕が言うと、パッと顔を赤らめた。
……そっちの『良い』とちゃいます。
「朝起きるときに身体を起こすのが楽とかそういう話です。」
「そんなもんか?」と首を傾げる兄弟子に、師匠が逝ったのはまだ早かったですから、とも言い辛い。
「足腰が弱って来たら、あの姿勢からやと布団から起き上がるよりも立ち上がりやすいでしょう。」
「逆に布団の上げ下げ出来た方がええんとちゃうか? 大体、お前がマットレスの手入れせんとあかんとか言うてたやん。あれ、年食った方が絶対きついで。比べたら、前の煎餅布団の方がまだ軽いのと違うか?」
「まあ、確かに……どっちも一長一短てとこでしょうね。」
「あ、ビールのうなってしもた。」
「そろそろ部屋戻りますか?」
このままここにいても、稽古の続きは出来そうもない。
風呂に入って、パジャマも着ていて、後はこの、飲み食いを終えたテーブルの上を片付けて、歯を磨くだけだ。
「あんなあ、しぃ、」と兄弟子は妙に小声になった。息に酒の匂いが混ざっている。
「なんですか?」
「このソファの上やと、どんな具合やと思う?」
今のその具合というのは、ベッド代わりに使った場合の寝起きの具合というよりは、また別の「具合」のことだろう。
「それはまあ……使ってみんと分からんのと違いますか?」
オレもそう思う、と言って、年下の男はこちらの首に腕を回して来た。
テーブルの上を片付けるのは、明日の朝になりそうやな。
そんなことを思いながら、僕はビールの味のする不味い味のキスをそのまま受け止めることにした。

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