ろうそくと、クラッカーを添えて - デプ/ウル

 皿に当たったフォークの先が、カツンと高い音を立てて響く。壁一面にパイが納められたパイの倉庫──あるいはパイのカプセルホテル──には、白い丸テーブルを挟んで向かい合った二人以外に人の姿はない。デッドプールがパイを掬う音と、ウルヴァリンが時折コーヒーを啜るほかには、天井から生えた時計がチックタックと無機質に秒を刻む音だけが空間に在る響きすべてだった。
「うん、前評判通り美味いわ。俺ちゃんキーライムパイには結構うるさいんだけど、これはかなり満足できる。明かに大量生産のラインから出荷されたものにしてはね。イェルプにレビュー投稿しておこうかな。ローたんも一口どう?」
「いらねえ」
 ライム色で統一されたダイナー風の椅子に足を放ってくつろぐローガンは、デッドプールが差し出したフォークを一瞥して、またコーヒーを啜った。
「そんなこと言わずに。誕生日おめでとう」
「今日じゃない」
「違う違う、あんたの中の人の話だ。バトルシップごっこならブリトーを用意するから日を改めて」
「またそれか」
 パイの間に響く音に、ローガンの溜息が加わる。ずり上げたマスクの下、デッドプールがパイを口に含み、咀嚼をしてからサッと一瞬口元に笑みを作った。
「じゃあなんでもない日おめでとうってことで」
 先ほどよりも大きな一口をフォークで切り出し、差し出す。ローガンはデッドプールのマスクとフォークへ交互に視線を向けて、のろい仕草で椅子から足を下ろした。白いパイクラストに乗ったライムグリーンが、どこから当たっているのかわからない照明に照らされて鮮やかな色を見せている。ローガンが首を伸ばして大口でパイを食らう、それにつられるようにしてデッドプールの口も開いて、ぱくんと閉じた。
「……いけるな」
 しばし咀嚼を続けたあと、軽く首を傾けてローガンが唸る。フォークをもぎ取られたデッドプールは勝ち誇ったように肩を竦めて、「だろ」とローガンのコーヒーを奪った。
 満足げな笑みを浮かべるデッドプールの膝をローガンの膝が突き、罵り合いとも小競り合いともつかない小言の応酬を何度か続けたところで、二人の耳にカツカツと床を蹴る靴音が届いた。リノリウム調の床に革靴のヒールが厳めしくぶつかり、急いた足取りで段々と距離を詰めてくる。
「あなたたち、ここで何をしているの?」
 TVAのロゴと同じオレンジのドアを勢いよく開いて現れたB-15は、わずかに肩を上下させながら腰に手を当て、丸テーブルを囲んだ二人を見下ろした。
「コーヒーを飲んでる」
「パイを食べてる」
 三人の頭上でチックタックと秒を刻む時計が、カチッと硬質な音を立てた。そこにいる誰もが気づいていないことだったが、60秒に一回動くそれは、デッドプールがあるパイのドアを開けてから18回目の音だった。
「私は時間軸旅行をしながら暴れてる変異体の捕獲を頼んだはず。コーヒーを飲んでパイを食べることはお願いしてない」
「ごめん、ちょっと小腹がすいちゃって。それって俺たちが行かなきゃダメ?」
 ズ、とデッドプールが音を立ててコーヒーを啜った。B-15のはっきりとした眉がひくり、と平静に翳りを差し込む。
「あなたたちの実力を見込んでの頼みとも伝えたわよね。それとも虚無に飛ばされた職員たちの回収を頼むべき? 無限広がる空間で一人ひとりの時間オーラをたどって地道に回収していかなきゃならないけど」
「行くぞ、ウェイド」
 唐突に、テーブルに置いていたマスクを手に取ってローガンが立ち上がった。すっかり平らげられたパイの空皿に、ローガンの投げ出したフォークがからんと滑る。続けてデッドプールも立ち上がり、ずり上げていたマスクを下ろした。手早くタイムパッドを手繰ったB-15が、傍らにタイムドアを出現させて二人に道を譲る。
「しょうがないね。ところでこの美味しいキーライムパイ、何個か持ち帰ってもいい? これだけあるんだしいいよね?」
「あなたたちの家に送っておく」
 投げやりに答えるB-15に「ありがと」とデッドプールが腕を広げ、B-15はさらに一歩下がった。
「キーライムパイもなかなかだけど、コーヒーもそこそこいけるよね。もしかしてLから始まってNで終わるブランドのコーヒーだったりする? パイのついでに水筒に用意してもらいたい。あといつも思うんだけどここの電球暗くない? だから客が少な、ウッ────」
 被ったマスクのズレを調節しながら、ローガンが赤い尻を蹴り上げた足を下ろす。それからオレンジの敷居に一歩踏み込み、B-15を振り返って「パイは2個で頼む」とだけ告げ、その長躯をタイムドアに滑りこませた。
 パイの間にはまた、彼らが訪れる前と変わらずチックタックと無機質な秒針の音だけが響いている。カチッと時計の長針が歩を進め、はあとB-15の溜息が床に落ちる。
 細い通路を駆けてきた実働部隊員が、ブーツの音を床に響かせてB-15に並んだ。
「長官、二人が変異体に接触しました」
「わかった」
 ヒールを鳴らしてB-15は扉をくぐりかけて、後ろに続く隊員を振り返った。たたらを踏んだ隊員が、戸惑ったように「長官?」と呟く。
「……悪いけど、パイを2個箱に詰めてもらえる?」



@amldawn

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