アイスクリーム


首都高のベイブリッジは実際に走るより遠くから見ている方が綺麗だ。
譲介は窓の外を眺めながら、そんなことを思った。
パワーウィンドウを少し下ろすと、コーヒーと肉まんの匂いが充満していた車の中に排気ガス交じりの夜風が入って来る。
「譲介は、TETSUさんのことを諦めようと思ったことはないのか?」
「――何だよ藪から棒に。」
「助手席で寝潰れそうだから話題を提供してるだけだ。今ので目が覚めただろ。」
そう言って、一也は、底意地が悪そうに見える顔で笑った。
時々肘が当たりそうになるから隅に身体を寄せていたのに、そのことをすっかり忘れて正面を向くと、一也の小さな国産車はすっかり渋滞の中に入り込んでいて、楽しかった夢が覚めるような心地がした。
ゆっくりと進む車中で、一也が話し相手に付き合えと言い出した気持ちも、分からないではない。
今日は、中華街でブランチよりずっと遅い食事をして、KEIさんご推薦の店に、金華ハム入りの月餅を買いに行った。
月餅が一番種類が多く出るのは、中秋の名月と呼ばれる九月辺りらしい。言外に店員から今は時季外れなんですと言われたふたりで、結局はオールシーズン買える普通の月餅をいくつか手土産に買って、暮れなずむ夕方の山下公園なんかをぶらついた。
男二人でもそれなりに楽しんでしまったけれど、譲介が我儘を言わずに、もう一人ないし二人の、運転が出来る人を誘うか、あるいは電車で来ることを選んでいたとしたら、ふたりともくたびれた身体を座席に預けて寝ながら帰ることが出来たかもしれないのだ。コーヒーを飲んだところで、眠気が完全に吹き飛ぶとは限らない。
年上の人からはまだまだガキだなと笑われることの多い譲介でも、この時間の運転が気が張る仕事なのだろうと思うくらいの想像力は残っている。
「寝てない。」
だからもっとまともな話題を選べよ、と譲介が続きを言いかけたのを遮るようにして「いや、オレが後五分黙ってたらお前は寝てた。」と一也はきっぱりと反論した。
「TETSUさん言ってたぞ、譲介のヤツは直ぐ寝るからナビは向いてないって。」
あの人の家で、譲介がどんな気持ちを抱えて寝入ったふりをしているのかは分かっているくせに。どんどん狸寝入りが上手くなっていくな、と柄にもない当てこすりを言う。
食べた後でこんな風に不機嫌になるなんて珍しいなと思ったけれど、確かに運転しなくていいのはいい身分だ。
譲介にとって、一也との付き合いがひどく気が楽なのは、ひとつには、好きな人が誰なのかはすっかりバレているというのもあるけれど、四つも年が上であるのも関わらず、一也が、仕事を離れても、決して年上だと偉ぶって兄貴風を吹かせることがないところにある。
都合が悪い時ばかり、大人らしくしたらどうだと言うのは、やはり気が引ける。
「どこかで会ったのか、あの人に?」とだけ聞くと、TETSUさん誤送信したんだよ、と一也は言った。
「そろそろ冷蔵庫の中にあるアイスを食ってけ、って言うから何だと思ったら。…多分譲介に送ったつもりだったんじゃないか。」という一也に、ふうん、と譲介は返事をする。あの人そういうところは年相応なんだよな、と譲介は思う。
一也に、ホッとしたか、と問われて、素直にうなずく。
「それにしても、ずっと行ってないって?」
一也の声は、からかいが半分、気遣いが半分と言ったところだ。
「……行けないだろ流石に。」
「前ほど頻繁には、だろ?」
「そうだな。」
否定はしない。
確かに譲介は、置きアイスをしていくくらいには、あの人の家に通っていた。
「それでやせ我慢して何かいいことあるのか?」と一也は笑っている。
「オレと一緒にメシ食ってもあの人のこと考えてるだろ。……っと、こういうのはなんだか愁嘆場の台詞みたいだな。」とひとりでしゃべって勝手にツッコミをする一也に、譲介は笑ってしまった。
「……今日の僕、そんな風に見えてたのか、お前に。」
「まあそう。」と一也は言って、ドリンクホルダーからコーヒーを取り、中に残っていた残りを飲み干して、不味そうな顔をしている。冷えてしまったコーヒーが美味しいはずがない。
とはいえ、今の時間では、そこらのファミレスに寄って休んだところで、疲れが出て来るだけだろう。
短い沈黙の合間を縫う様にして、一也はぽつりと「譲介と付き合いたいって言う子たちは、お前の何を見てるのかな。」と言った。
「顔だろ。」と即答すると、そんなことないぞ、と苦笑して、譲介の友人はそれなりに真面目な顔になった。
「……お前がそう思っていたいなら、それでいいけど。まあ、譲介に好きな人がいるってことを知らなきゃ難しいクイズかもな。」と言って一也は笑った。
「クイズ?」
「そんなに気を悪くするなよ、これはまあ単に受け売りだけど、恋愛のことを、解けないパズルだと思えば気が楽、なんだって。難しければ難しいほど、長期戦の構えで行くから、その方が長続きはしやすいらしい。」と一也は言う。
「ゲームなんて、普通は一年、二年が長続きの限度じゃないか。」
「人にもよるさ。ちなみにKEIさんは、TETSUさんのこと、あんなに分かりやすい男っていないわよ、って言ってるらしい。」
良かったな譲介、と一也は訳知り顔をしている。
譲介にとっては腹立たしい。
けれど、お互い調子が出て来たじゃないか、とも思う。
「ひとりで行きづらいなら、オレも食べに行こうか、アイスクリーム。」
暖かい家の中で食べるアイスなんて、最高じゃないか、と一也はからかうように言った。
あの人の家の隙間風がどんな風に譲介の睡眠を妨げているかを知っているくせに。
「絶っっっっっ対に嫌だね。」
大きなタメを作り、譲介は心中を吐き出す。
一也は、今度遊びに出掛けるときには、どこかでオレにアイスクリームを奢れよ、と言って、楽しそうに笑っている。


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