虹の向こう側には-2

「大丈夫か?」
 頬に軽く叩く刺激を感じ、アシュラマンは薄く瞼を開けた。キラキラと光る砂の粒が頬をこすった指についている。
「……サンシャイン……、ここは……?」
 見上げる視界にはサンシャインの顔がいっぱいに広がっている。それが動くと、今度は一面の青空。潮の香りがする。
「アメリカの東海岸だな。魔界の気候とは打って変わってカラッとしてて、いいだろ?」
「アメリカ……確か、超人同盟とかいう団体が勢力をのばしている土地だな」
「そうだ。お前はランバージャックデスマッチのタイトルを持っているだろう。連中もかなり血の気の多い試合が売りだそうだぜ」
「ふん……気に入ったぞ」
 アシュラマンは下段の腕をつきおもむろに立ち上がった。砂浜にいる人間たちが遠巻きに見ているのを感じ、振り返る。人間たちは恐怖と興味の入り混じった目でふたりを盗み見ている。
「なんだあいつら、失礼なやつらだ」
「そう言ってやるなよ。オレたちはまだ人間界じゃほとんど知られてないんだ……新人の超人レスラーとでも思ってるんだろ」
「……」
「それに好都合なこともあるぜ。どんなに好き勝手街を歩いたってここじゃ『ただの超人』なんだ、騒がれることなんかない」
 腑に落ちないとばかりに頬をふくらませていたアシュラマンだが、サンシャインの言葉に感化され目を輝かせ始めた。そっと上段の手を伸ばし、サンシャインの指に触れる。
「……ドーナツ……」
「ん?」
「さっき、食べられなかったから……」
「あ、あぁ! 今度こそ食おうな。確か有名なドーナツ屋があったはずだ」
 見上げるアシュラマンの目が大きく見開かれる。サンシャインはもっと近くでその表情を見たいと思った。腰を屈めて跪き、アシュラマンの手を取る。アシュラマンはその仕草を何事でもないかのように平然と受け入れたが、今までこれほど近くにサンシャインのまなざしを感じたことはなく、胸騒ぎを覚えた。
 実のところ、ふたりは知り合って間もなく、互いの試合ぶりも映像でしか見たことがない。
 アシュラマンは帝王学仕込みの模範的かつスマートなファイトスタイルだが、サンシャインのそれは粗野で残忍極まりなかった。
 どこの馬の骨とも知れぬ超人に目を留めることもないが、サンシャインだけは例外だった。自分の闘いに足りないものを持っている、そう感じていた。それはいつしか個人的な興味へと進展し、友人と呼べる者がいない孤独な王子はその胸に黄金の砂を降り積もらせていった。
 こんなに近づかれては、気持ちを見透かされてしまう。咄嗟に目をぎゅっとつぶり、顔を背けた。冷血面がサンシャインの正面に来る。
「ん? どした、ドーナツいやか?」
「ち……違う! 子供扱いするな!」
「おお、そうだな。悪かったよ」
 憤れば憤るほど、サンシャインに宥められてしまう。立ち上がってしまって、あんなに近く触れそうだった顔もはるか上空へ行ってしまった。

 空を飛んではかえって目立つだろうと、地上をゆっくりと散策する。ドーナツショップは街中ですぐに見つかった。見たことのない超人の姿に人間たちは興味津々の様子だが、外国から遠征試合で来たと言えば何も不思議なことはない。ふたりにとっては魔界での散策よりも気が楽だった。
 色とりどりのドーナツとコーヒーを注文し、超人用の大きなボックスシートをすすめられた。
「今日はオフ日ですか? 近々試合でも? 遠方からおいでで?」
 愛想よく問いかける店員にサンシャインは薄ら笑いではぐらかす。
「ンーまぁそんなとこだ。オレらの登場はシークレットだから、コレで頼むわ」
 人差し指を口の前に立て、にやりと笑う。店員も同様の仕草をして笑い返した。
 そのやりとりを黙って見ていたアシュラマンは、少しおもしろくなさを感じていた。
「いい店じゃねえか。こんな席はあるし、ねーちゃんはきれいだし」
「さっきの店員か? お前はああいうのが好きなのか」
「いや、好きっていうか……」
 サンシャインは続けようとしたが、ふくれ面のアシュラマンを見て思い直した。見るからに不機嫌そうに左右にドーナツを構え、交互に齧りついている。中のカスタードクリームが溢れ、口元を汚しているのにも気づいていない様子だった。
「ここ、ついてるぜ」
「……?」
 サンシャインは指先を伸ばしてそっとクリームを拭い、自ら舐め取った。信じられないものを見るような顔でアシュラマンが凍りつき、ドーナツを取り落とす。
 ふたたびサンシャインは身を乗り出すと、アシュラマンを正面に見据え、先ほどより一層顔を近づけた。
「直になめてやったほうがよかったか?」
「ば、ばかもの!」
 アシュラマンは食べ終わるまで一切顔を上げなかった。
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