霊力供給しないと出られない部屋【山姥切長義極】
端的に言えば、閉じ込められた。某ホラーやスプラッタ映画で見るような、どこを見ても真白い色しかない部屋に審神者ひとりと近侍一振り。〝霊力供給をしなければ出られません。〟と記された無機質なウィンドウのみが存在している。
俗に言う〝○○しなければ出られない部屋〟というやつである。各方面でネタにされがちだが、実際この部屋の出現率はそう高くない。そもそもこの部屋は、〝何かしらのやむを得ない事情〟がある時などに審神者を引き留め、強制的にでも条件を飲ませるために存在するもの。ちゃんと言うことを聞いてお利口にさえしていれば一生遭遇などしない代物なのだ。それがこうして閉じ込められているということは、審神者自身が〝何かしらのやむを得ない事情〟の当事者だということになる。この事実を互いに知らなければ、閉じ込められた側は「エッどうしよう!?」と白々しい嘘でも演技でもなんでも出来たのだろうが、生憎彼女達はその事実を知っていた。だからこそ、ひとりと一振りの間に漂う空気はあまりにも気まずい。
審神者は疲れた顔で暫く無機質な文字の表記を眺めていたが、深い溜息を歯の隙間から零してそのまま天を仰ぐ。見えるのは無駄に高くて真白い天井のみ。
「……もしかしてこのためにわざと?」
天を仰いだまま、審神者は呻くように言った。
「へえ、何か身に覚えがあるのかな?」
この部屋に閉じ込められていることこそが何よりの証拠。近侍の山姥切長義は隣で天を仰ぐ審神者を見下ろしながら、いつもよりも低い声で問うた。
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ここは政府、歴防本部が入る庁舎である。審神者はここへ書類を提出に来た帰りだった。本来ならばこれはオンラインで提出可能なばずのものだったのだが、審神者の本丸担当職員(最近異動で新しくなった)がこれの存在を忘れており半泣きで審神者に連絡を入れてきたのが昨日の午後。提出期限の三時間前。半泣きで平謝りする本丸担当の声を聞きながら、審神者は無になっていた。転送されてきたフォーマットを確認したが、どう見積もってもたったの三時間で終わるものではない。近侍の長義も審神者と同じような顔でスピーカーから漏れる本丸担当職員の平謝りを聞いていた。これが修行後だからよかったものの、修行前の長義ならばきっと本丸担当職員に対して中々に高度な皮肉で精神をバキバキに折っていただろう。
結局、審神者と近侍の長義はこれを仕上げるのに夜を徹した。それくらいしなければ終わらない量だったのだ。今回の件は本丸担当職員の過失だということで審神者には何のお咎めもなかったが、既にオンライン受付が終了しているため審神者と長義は書類を提出するためだけにわざわざ朝一で、直接歴防本部まで出向いたという経緯があり現在に至る。
謎に清々しい気持ち(徹夜でハイになっているだけ)で「外で朝ご飯食べてから帰ろっか~」など呑気なことを言っていた矢先のことだった。
「言ってごらん」
「言ったら怒るでしょう」
「それは君の返答にもよるね」
長義はじっと審神者を見下ろしたまま、続けた。審神者が真白い天井から長義へと視線を向ければ、彼はわざとらしくニコ……と微笑んで見せるが、審神者は知っている。この笑い方は彼が怒っている時によくやる笑い方だと。この状況で逃げ道などどこにも存在しない。審神者はぐっと奥歯を噛み締める。
「健康診断、霊力D判定だった」
隣からじわじわ圧をかけられていることと隠していたことが露見してしまった緊張から、喉の水分が奪われたカッスカスの声で審神者は言った。長義の形の良い眉がピクリと動く。
「……何故黙っていた?」
「いやあのね、これについては弁解させて欲しいんだけど」
霊力というものは常に一定ではなく、波がある。それは審神者自身の体調であったり他の要因にも左右されるものなのだが、審神者の健康診断が実施された時期があまりにも悪過ぎたのだ。ただでさえ低気圧で自律神経がおかしくなっている上にホルモンバランスまで乱れているのに重なって、極の錬度上げで幾振りも中傷重傷の手入れを続けてしていたものだから只でさえ目減りしていた霊力が更に目減りして霊力検査で引っ掛かってしまった。けれど、一時的に減少している霊力は審神者の体調が改善されればいずれ戻る。常日頃から本丸産のものを摂取していれば尚のこと。だから再検査は必要ないと思ったのだ、というのが審神者の言い分である。
ふうん、と相槌を打ちながら審神者の必死な|言い分《弁解》を聞いてやる長義の表情は変わらない。
「要するに、再検査だったのを今の今まで無視していたってことだろう」
「ヒッ、アッ……ハイ、そうですね……」
「ハア、まったく……」
健康診断でD判定とは、即ち再検査を意味する。審神者は刀剣男士を束ねる将。一定の霊力を保つため、精神面でも身体面でも常に健康であらねばならない。それ故に、歴防本部は審神者の健康状態に至っては特に気を遣うのだ。霊力というものは審神者にとって必要不可欠。これがあまりにも目減りしている状態だと男士を顕現していることが困難になったり、上手く手入れが出来なくなったりする。審神者にとって、霊力が減少するということはそれほど重大なことなのだ。今現在、霊力が戻っていたとしても過去にD判定が出ていたとなれば再検査は必ず受けねばならない。けれど審神者はこれを無視し続けた。
そういうわけで、歴防本部は再検査を尽く無視していた審神者に対し|やむを得ず《・・・・・》この措置を取るに至ったのである。完全に審神者の自業自得でしかない。
「今、この部屋に閉じ込められているのがどれくらい重大なことか君は理解しているのかな」
表情はそのまま、声だけが低くなる長義に審神者はいよいよ危機感を募らせる。彼女の額と手のひらにじわじわ汗が滲んだ。
「霊力供給というのは、人間でいうところの救命救急処置と同じ括りにあたる」
長義のその言葉を聞いた瞬間、審神者の表情が曇る。〝え、そんなにヤバかったの?〟と分かりやすく表情に出てしまった審神者を見て、やはり分かっていなかったのかという意味の深い溜息が長義の薄い唇から吐き出された。萎縮する審神者に長義は続ける。
「まあ何にせよ、霊力供給をしなければ俺達はここから出られない」
俺は別にこのままでも構わないが。となんとも真意が図れない発言をかまして、長義はようやっと作られた笑顔を崩した。
一番手っ取り早く速攻性のある霊力供給手段、それは審神者が所有する刀剣男士との粘膜接触、要は口移しで神気をブチ込むことである。
審神者はこれでもかというほどド健全な本丸運営をしていた。いくら見た目が人の身であろうが刀は刀、男士に対して恋愛感情も性愛感情もまるで湧かない。自分の刀達を愛おしいとは思う。けれどそれは親愛だとか友愛だとか、家族や友人に感じるのと同じ類のもの。そもそも、自分達は戦争をしているのであって悠長に恋愛ごっこをしている場合ではない。という彼女の確固たる信念から、男士とそういった関係だとかそういった行為に及ぶだなんて以ての外だった。
どうする?と意思確認をしてくる長義に、審神者はほとほと困り果ててしまう。霊力供給というのは〝人間でいうところの救命救急処置〟なのだということを先程聞かされたばかりだが、ハイそうですかと簡単に割り切れるものではない。けれどまあ、結局どんなに考えたところで審神者が腹を括るしか選択肢はなかった。
「……要するに、人工呼吸と同じってことでしょう」
「まあ、そういうことになる」
審神者は俯き、深く息を吐く。心の準備が必要だった。隣の長義は俯く彼女のつむじを見下ろしながら、心が決まるのをじっと待っている。床も壁も天井も、全てが真白いこの部屋では時間の感覚が分からなくなる。たった一分でも三分経過したかのように感じる。そんな中で数分、数十分、互いに何も言葉を発することなくただ時間だけが過ぎた。
そうして暫く経った頃、おもむろに「やりましょう、霊力供給」と酷く硬い声を出しながら顔を上げる審神者。その表情は緊張で酷く強張っている。戦で負傷者が出た時の方がもっとマシな顔をしているな、と思いながら小さく含み笑いを漏らす長義に、審神者は『何笑ってんだよ』とでも言いたげな視線を寄越すので、彼は口元を緩めたまま彼女の柔らかい頬をむにりと摘んだ。審神者は急に距離を詰めた長義を見上げる。
「大丈夫、|ただの《・・・》霊力供給だよ。緊張することでもないだろう」
別になんともないという風に振舞う長義を見て、少しばかりの冷静さを取り戻した審神者。「目は瞑らなくていいの?」と揶揄う彼に、その腕を軽く引っ叩く余裕も出てきた。
大丈夫、人工呼吸と同じなのだから。そう内心自分に言い聞かせながら審神者は目を閉じる。
薄く開いた審神者の唇に長義の唇が重なる。彼の唇は審神者が想像していたよりも熱を持っていて、冷静さを取り戻した彼女は当初〝なんだか意外だな〟と思う余裕すらあった。だがその余裕も束の間、唇の隙間からぬるりと滑り込んできた舌は閉じたままの歯列を舌先でなぞる。審神者はごくりと生唾を飲み込み、ゆっくりと噛み締めていた顎の力を抜いた。歯列を割って侵入した舌は上顎をそっとなぞったかと思えば、奥の方で引っ込んでいた審神者の舌を容赦なく絡め取る。ざらり、舌同士の表面が擦れあう感触。しばらく舌同士を絡めあった後、急に舌先を吸われて背中がぞわりとする。長義の舌はなんとも器用に審神者の咥内を蹂躙していった。口が塞がれてしまっているために鼻から息を吸おうとしたが上手くいかず、息継ぎをする暇すら与えられない審神者は苦しくて堪らない。身体は息を吸おうと反射的に口が開いてしまう。けれどその度に長義の唇は彼女の唇を覆ってしまうので意味がない。例えるならば、まるで捕食のような。
とりあえず一度離れたくて長義の胸を押すがびくともせずに、気付けば後頭部に手を回されてしまっていたので離れることはほぼ不可能。審神者は必死だった。酸欠で死ぬかもしれないという危機感から、閉じていた目を開いてしまう。至近距離過ぎてピントが合わない視界で、見えたのは蒼藍の瞳がじっと審神者を見つめているところだった。
審神者がようやく解放されたのは、彼女の体感で十分以上経過してからのこと。倒れそうになるのをぐっと堪えながら、彼女は懸命に肺に酸素を取り込む。そんな彼女を眺める長義は、何事もなかったかのような涼しそうな顔に緩やかな微笑を貼り付けていた。
「ッは、は……」
「顔が真っ赤だね」
「……だれの、せいだと」
終わったのかと問う審神者に、長義は貼り付けていた笑みを深くし、
「――いいや?」
審神者の細い顎にがっちり手をかけ、やっと息継ぎが出来るようになったばかりの審神者に再び口付ける。そして、半開きになっていたその咥内へ、ふっと息を吹き込んだ。一気に流し込まれた大量の霊力。刹那、審神者は酷く酩酊した時のように意識が朦朧とする。視界がぐにゃりと歪む。もはや自分の意思では立っていられない。
ねえ、主。と長義は審神者に呼び掛けるが、今や彼女はまともに返事をすることさえままならなかった。長義の親指が、審神者の口の端を拭う。
「これくらいしないと君は分からないだろう」
膝に力が入らずに自力では立ち上がれない審神者の腰を抱きながら、長義はどこかで鍵が開く音がしたのを聞いた。
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