かわいい子犬/かわいくない獲物 /聡狂(2024.03.23)

「僕のせいちゃうからね」
 聡実が言う。
 釣り上げた眦が、綺麗な横顔によく似合っていた。怒らしてもうたなぁ、また。狂児はふっと笑って頷いた。わかっとるよ。聡実はため息をつく。
 俺ら逃げてばっかりやね。聡実くんもそうするなんて思っとらんかったけど、なぁ。言葉が頭の中でとぐろを巻く。息を吸って、その台詞を声帯に流し込む前に、聡実が狂児のネクタイを引っ掴んだ。
「僕のせいちゃうから、」
「ウン」
「ちゃんとあんたから、僕に手ぇ出してください」
 殴られたような衝撃が走った。その日初めて聡実と正面から向き合った狂児を聡実が射止める。
 頭ひとつぶん下にある顔が、激情に燃えている。強くまっすぐな瞳は狂児を貫いていた。あかんよ、俺から逃げやな。なぁ、聡実くん。開いた唇が震える狂児を、聡実がまだ見ている。
「くだらんこと考えとった? いつまでもガキとちゃうよ。狂児のせいや。狂児が僕に捕まりにきたんやろ」
 やったら、ちゃんとそのまま。
 思わず抱きしめると、狂児の胸板に鼻先をぶつけた聡実が黙った。手のひらで髪を撫で回す。安売りのシャンプーばっかり使ってるんやろ、ぱさぱさやないの。さんざん調べたはずの聡実の、まだ知らない部分に感嘆する。
 握った拳が脇腹に入る。すこし呼吸を詰めて、腕の力が弱まった隙にするりと抜け出していってしまった、かわいい子犬ちゃん。否。もう立派な成犬で、ちゃんと獲物を捕えにきた!
「どうすんの、」
「ウン……、俺のせいやなぁ」
 聡実の目は無情にも、狂児の口から続きを強請っていた。背筋がぞくりと走る感情の名前はなんだったか。恐れか、それとももっと別の? 狂児はその答えを出さない──出せないまま、聡実の腰を抱いた。
 これから、獲物として蹂躙されるための誘い文句を考えながら。

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