好きなんて言ったら

「大丈夫ですか? 何かご用があればいつでも呼んでくださいね」
 そう言ったのは、マスクをしたソラちゃん。
「うん、ありがとう。もうご飯の時間でしょ。ごほっ、リビングに戻ってもらって大丈夫だから。ごほっ、ごほっ」
 私は咳き込みつつ、布団の中から出した手を振って応えた。ソラちゃんはしばらくこちらを心配そうに伺っていたけど、それではまた来ますからと言ってようやく部屋を出ていった。
 昨日お買い物していた私たちは帰りに夕立にあって、全身びしょ濡れになったんだ。それで私もソラちゃんも体調を崩してしまったんだけど、全く同じようにとはならなかった。
 同じ夕立に同じだけ打たれたのに、ソラちゃんは微熱と鼻水だけで済んでいて、私はしっかり熱を出して寝込んでしまっている。
 やっぱりソラちゃん、鍛えてるだけあるよなぁ。いつも一緒にランニングしてるからって、そう簡単に同じようにはなれないよね。
 全身が重くてだるかった。久しぶりに風邪ひいちゃったな。鼻がむずむずして大きなくしゃみをしてしまって、思いっきり鼻水が垂れてきた。ベッドサイドを手で探ってテイッシュの箱を探す。
「はい、ティッシュ」
「え?」
「ましろん、大丈夫?」
「ええっ!?」
 あげはちゃんがそこにいて、私は思わず声をあげ、それからまた派手に咳き込んだ。差し出されたティッシュで口元をおさえながら咳をする私の背中をあげはちゃんが優しく撫でてくれる。
「水飲む? 持ってきたんだ」
 あげはちゃんは傍らに置いてあるお茶のピッチャーとグラスを見せてくれて、私はティッシュで鼻を拭きながら頷く。
 そうしながらも私の頭の中にはどうして? って気持ちがいっぱいに渦巻いていた。

「それじゃあもう横になってゆっくり休んで」
 お茶を飲んで落ち着いた私にあげはちゃんは言う。でもその言葉には従わないで、私はベッドの上で状態を起こしたまま彼女に向き合った。
「……今日、行かなかったんだ?」
「うん、さすがにましろんたちのこと心配だし」
 当たり前みたいにそう言う。分かってた。あげはちゃんのことだから、そう言うんだろうってことは分かってたけど、でも。
「先月、星空のイベントのこと知った時からみんな楽しみにしてたでしょ。特にツバサくんは……」
「そうだね。こっちの世界の星座のことや星のこといっぱい調べてたもんね」
 今日は夜に近くの博物館にある天体望遠鏡で星空を見るイベントがあって、みんなで行ってみようってことになっていたんだ。
 今朝から調子が悪かったソラちゃんと熱が出ていた私をあげはちゃんがすぐに車を出して近くの病院に連れていってくれたおかげで、混んでくる前に早めに診察を終えられてお昼前には家の中で安静にして過ごすことができていた。
 少なくともソラちゃんは寝込むような状態でもないし、私だってもう中学生だから誰かに付きっきりで看病してもらわないといけないわけでもないと思う。おばあちゃんだって家にいる。だから、あげはちゃんたちの外出なんて全然問題じゃない。
 お昼過ぎにあげはちゃんが様子を見にきてくれた時にも、今夜は星をいっぱい見てきてねって声をかけて、あげはちゃんはうんって申し訳なさそうにしながらも頷いていたのに。
「ツバサくんとあげはちゃんの二人で行ったんだと思ってたよ」
 そう言うと、あげはちゃんは困ったみたいな顔をした。
「それならソラちゃんとましろんだって楽しみにしてたでしょ。また次の機会に行こ」
 優しい声で言うけれど、それがなんだか本心を隠しているように聞こえて、私の胸はぎゅうっとなる。
「――私とソラちゃんがいなければ、ツバサくんともゆっくりお話しながら星が見られたのに?」
「ましろん……? それ、どういう意味?」
 切れ長の瞳でじっと私を見るあげはちゃん。私の胸はもっと強くぎゅとなる。これ以上言ってしまったらだめなのに、私は言葉を続けてしまう。
「最近ふたり、すっごく仲良さそうだなって」
「ええっと…………?」
 あげはちゃんは目をぱちくりさせていたけど、やがて唇をわなわな震えさせて、顔の前で手のひらをぶんぶん振った。
「違う違う! 私とツバサくんはその、ましろんが思ってるような仲ではないというか!」
 慌てている様子が余計に怪しく思えて、私は眉間に皺を寄せて首をかしげる。
「最近ずっとツバサくんと話してるし」
「まぁ、うん……話すのは増えたかな?」
「名字も二人で考えたって」
「それはたまたま少年が考えてるところに居合わせたから自然と一緒に考えることになって……!」
「でもツバサくんは、あげはちゃんのこと好きだよね?」
「ええっと、それは…………守秘義務がある、から……」
 視線を右に左に動かして、もごもご言うあげはちゃん。
「それって、そうですって言ってるのと同じじゃない?」
「う……それは、その…………と、とにかくこれ以上私は言えない。はい、この話終わり!」
 あげはちゃん、困った顔してる。そりゃそうだよね。こうなるって分かってて聞いたんだもん。おかしいな。いつもなら言わないでおくことくらいどうってことないのに、熱があるからかな、判断力が鈍っているのかも。
「とにかく、安静にしてること! ましろんはそれだけ考えてたらいいの」
 そう言って、冷えピタを貼ったおでこを優しく撫でてくれた。それからにっこり笑って、あげはちゃんは部屋を出ていこうとする。
「私、あげはちゃんが、すき」
 それはちょうど扉が閉められようとする瞬間、確かに私はそう口走っていた。
 あげはちゃんは一瞬背中をびくりとさせたように見えたけど、そのまま出ていって扉は閉められてしまう。
 ああ、私、何言ってんだろ。
 そうだよね、腫れた喉のせいで小さな声しか出なかったし、聞こえているわけがない。聞こえない方がきっといいんだ。

 ぽろりと涙が一筋こぼれた。おかしいな。私。体がしんどくて、弱ってるからかな。今日はなんだか色んなことのコントロールがきかない。
 ツバサくんとのことを聞いた時のあげはちゃん、ちょっと顔が赤くてどぎまぎしていて、なんだかとっても可愛かった。
『ましろんが思ってるような仲ではない』って言ってたね。そういうところで嘘を言うひとではないはずだから、付き合ってるってことはないんだろうとは思う。
 ――それだけ大切にしているから?
 ぽろり、ぽろりと涙は流れて、頬を伝って耳たぶまで濡らしていく。
 だめだな。こんなんじゃ。
 ちゃんと風邪も治して、いつもの私に戻らなきゃ。
 明日になったらもう泣かない。今夜みんなで見られるはずだったきらめく星空を思い浮かべて、そう誓った。


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『私、あげはちゃんが、すき』
 そう聞こえたような気がして、私は目を見開いた。ましろん、それ、どういう意味で言ってる?
 もしも私が思ってるとおりなら、きっと聞いてはいけなくて、ましろんが大切であればこそ絶対に応えてはいけなくて、だから何もなかったように扉を閉じた。

 それからリビングで他のみんなと食事を取って、動物がたくさん出てくるバラエティ番組を一緒に見てから、自室に戻った。
 ベッドに腰をおろして、ふぅと息を吐く。一人になったら、ましろんが言ったことが改めて思い出されてしまった。
『最近ふたり、すっごく仲良さそうだなって』
 ましろんは、私とツバサくんの関係について付き合っているのかと疑っていた。その時のましろんの瞳。切なそうに潤んで、だけどじっと真剣にこちらを見つめていた。そこにどんな感情が含まれているのか察せられて本当に本当に驚いた。だって私にとって都合のいい妄想かもしれないようなことだったから。
 あんな風に見つめられて、狼狽えないでいる方が無理だよ。ツバサくんに対しては信頼関係以上のものはないって思ってる。それなのになんだか上手く答えられなかった気がする。
『私とソラちゃんがいなければ、ツバサくんともゆっくりお話しながら星が見られたのに?』
 柄にもなくどこか苛立ったみたいにそう言っていたのが、どうしようもなく嬉しく思えてしまってダメだ。私はあなたに対してそんな風に思っていい立場じゃないんだから。

 お願いましろん、すきなんて言わないで。それがほんとうだって言うなら、私、我慢できなくなってしまう。
 ごめんね、こんな私で。きっと今夜一晩眠ったら、いつもの私に戻るから。きっと。

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