軍師天鬼、利土を描く(4)
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土井半助もまた、山田利吉を好ましく思っている。そこまでは決まった。
決まったのだが──。
「……進まんな」
天鬼は原稿を前にして腕を組んでいた。
山田利吉は土井半助に懸想している。土井半助はそれに気づいている。しかも、まんざらでもない。けれども応えない。
理由も一応ついた。山田利吉は組織の外にいる人間で、土井半助は彼に何かをしてやれる立場にない。可愛いからこそ、下手に縛ることをよしとしない。確かに理屈は通る。しかしその結果──二人の間には何も起こらない。
「…………」
話にならない。
山田利吉が想いを隠し、土井半助も気づいていながら知らぬふりをする。そのまま互いに相手を気遣い、たまに会って話をして、またそれぞれの仕事に戻っていく。
それはそれで穏やかではある。だが、本当にそれだけでよいのか。確かに読者はにやにやするかもしれない。けれども最初から最後までずっとにやにやして終わるのでは、いくらなんでも動きがない。
天鬼はしばらく考えたあと、例の女中を探した。
「話が進まん」
「あら」
相談を受けた女中は、天鬼の書いた簡単な筋書きを読んで、少し目を丸くした。
「こういうことにしたんですね」
「何がだ」
「いえ。土井半助も山田利吉を好ましく思っている設定になっているので」
「不自然か?」
「いいえ。むしろ私は好きです」
「お前の好みは聞いていない」
「あら……」
女中はもう一度紙へ目を落とした。
「……なるほど。これは確かに進みませんね」
「そうだろう」
「二人とも相手が大事だからこそ動かないんですね」
「うむ」
「山田利吉は我慢する、土井半助も山田利吉の将来まで考えて手を出さない」
「そうだ」
「面倒くさいですね」
「……そうか?」
「褒めておりますので」
天鬼は褒められた気がしなかった。しかし、今は頼れるのがこの女中しかいない。
「では──どうすればいい」
「そうですね。こういう、放っておくと永遠に関係が進まない二人をそのままで魅せるには技量が要ります。昨今は読者もあまり悠長に付き合ってはくれませんし……天鬼様のようにバズ狙いなら尚更」
「ばず?」
「こちらの話です。手っ取り早く関係を進ませたいなら、大きな事件を起こすしかありませんね」
「事件か」
物騒な単語に、天鬼の目が光った。
「はい。本人たちの意思だけではどうにもならないくらい、状況を動かすんです。やり方は大きく二つでしょうか」
女中は指を折って考え始める。
「ひとつは、関係性そのものを無理矢理変えて、今まで邪魔をしていたしがらみをなくすこと。例えば身分や立場が変わるとか、所属が変わるとか。今まで『こうだから駄目』と思っていた理由そのものを消してしまうんです」
「なるほど」
「もうひとつは、隠しておけないほど切羽詰まった状況にすることですね」
「拷問でもするのか」
「恋愛ものですよ? 普段なら言わないことでも、今言わなければ二度と言えないかもしれない、となれば口にするでしょう」
天鬼は少し考えた。
「確かに。手強い敵にも兵糧攻めは効く」
「戦から離れてください。定番なのは、どちらかが大怪我を負って死にそうになるとか、遠い土地へ行くことになるとかですね」
「戦ではないのかそれは?」
女中は無視して話を進める。
「あとは行方不明になるとか、それから記憶喪失なんかもあります」
「記憶喪失?」
「はい」
天鬼は眉を寄せた。
「……それで関係が進むのか?」
「進むこともありますよ。今までの関係が一度まっさらになるので。片方が相手のことを忘れてしまう。そうすると今までの立場とか遠慮とか、積み重ねてきた関係が一度崩れるでしょう?」
「しかし、それではむしろ後退するのではないか」
「そうなんですけど、そこが美味しいんですよ」
「美味しい?」
「忘れられた側だけが以前の関係を覚えているとか、逆に、忘れた側が以前とは違う距離感で相手を見るとか」
女中は楽しそうに話している。
「今までは既存の関係に縛られて想いを自覚していなかったのに、記憶をなくした途端に一人の男として見るようになる、とかもありますし」
「ほう」
「逆に、忘れられた側が『昔の関係に戻したい』と思っているのに、新しい関係の方にも心が動いてしまう、とか」
「なるほど」
天鬼は真面目に頷いた。確かに関係性そのものが変われば、それまでの理屈は通用しなくなる。土井半助が山田利吉を弟分として見ているから応えないのなら、その前提を崩してしまえばよいのだ。実に筋が通る。この女は軍師に向いているのでは? と天鬼は密かに思った。
「……しかし、記憶喪失とは随分都合のよい仕掛けではないか?」
「そこは二次創作ですから」
「それでよいのか」
「よいんです。些か手垢は付いておりますが、定番とは即ち定石でもありますから」
女中はきっぱりと言った。
「読者が納得して、しかも萌えればそれが正義です」
「……もえ?」
「こちらの話です」
また知らない言葉が出てきた。天鬼は少し訝しんだが、今はそれどころではない。
「他にはあるのか?」
「そうですねえ。どちらかが敵方に捕まるとか」
「それは忍者ならあり得るな」
「忍務先で何日も帰ってこないとか」
「あるな」
「毒を受けるとか」
「ある」
「正体を偽って潜入していて、あとから本当の素性が分かるとか」
「それもあるな」
天鬼は頷きながら、一つずつ頭の中で検討していく。忍者という職業は、恋愛物の大事件に困らないらしい。
「……使えそうなものばかりだ」
「でしょう?」
「人間関係を動かすには、まず状況を動かす」
「そういうことです」
「軍略と同じだな」
「戦から離れてくださいね」
天鬼は腕を組んだ。
さて──どれを使うか。
死にかける。
行方不明。
敵方に捕まる。
記憶喪失。
「全部入れるのはどうだ?」
「やめた方がいいです」
「何故だ」
「二次創作でやるには読者が疲れますから。それだけ盛って納得感のある尺にするとなると映画並みのボリュームになりますし」
「えいが?」
「こちらの話です」
天鬼は憮然とした。女中は微笑んで言う。
「まずは一つで十分ですよ。それだけで二人が今まで通りではいられなくなるような事件を選んでください」
「分かった」
「大事なのは、事件そのものではなく、その後どう二人の気持ちが動くかですから」
なるほど──と天鬼は頷いた。
事件は目的ではない。人心を動かすための手段だ。そう考えると、やはりこれは軍略に近い。
「──よし」
「決まりましたか?」
「まだだ。だが、方向性は見えた」
天鬼は紙を畳んだ。
これまで動かなかった二人を、今まで通りではいられない場所へ放り込めばいい。そうすれば、隠していたものも表に出る。
女中はにこにこと頷いていた。
***
その翌晩。
「利鬼」
「はい」
またしても呼び出された利吉は、天鬼の私室に座っていた。
最近、この部屋へ呼ばれる頻度が異様に高い。以前であれば軍略の補佐か訓練の相談か、あとはせいぜい資料整理程度だったものが、今では半分以上、あの二次創作とやらの相談である。
敵地へ潜入し、記憶を失った土井先生を取り戻す。そのために自分は危険を冒しているはずなのだが、気がつけば自分が登場人物の恋愛物語の制作会議に付き合わされている。
忍務とは何だろう……と些か遠い目になりつつ、利吉は訊いた。
「今日は何でしょうか」
「ぷろっとの相談だ」
「またその南蛮語ですか」
「軍略と同じだ」
「たぶん違います」
「同じだ」
天鬼は断言した。
机の上には紙が何枚も広げられている。利吉は再び嫌な予感を覚えた。
「……それで、何を相談なさりたいので?」
「利土について考えたのだが」
「はい」
天鬼は手元の紙を見ながら言う。
「私が思うに、土井半助もまんざらでもない」
「えっ」
利吉は顔を上げた。利吉の声に驚いたのか、天鬼も顔を上げる。
「何だ」
「いえ」
「何故そんな顔をする」
「どんな顔です?」
「驚いた顔だ」
「……少し意外だっただけです」
少しどころではない。心臓が一瞬止まったかと思った。
「……どうしてそう思われたんですか?」
「まず、土井半助は山田利吉の懸想には気づいていると思う」
「…………」
「忍術学園で教科担任を務めるほどの忍者だ。人の感情を読むこともできぬとは考えにくい」
「まあ……そうかもしれませんね」
利吉は曖昧に答えた。
実際の土井が気づいていたかどうかなど、自分には分からない。いや──考えたくない。
もし気づいていてずっと何も言わなかったのだとしたら、それはそれで胸に刺さるものがある。
「──それに」
天鬼は続けた。
「間違いなく山田利吉を可愛いとは思っているだろう。念弟にしたいと考えても不思議はない」
「…………」
今度こそ利吉は黙った。
「何だ」
「……何でもありません」
「また驚いた顔だな」
「天鬼殿」
「何だ」
「その話、本当に私に相談する必要があるんですか?」
「ある」
「どうして」
「お前は山田利吉と年齢が近い」
「そうですね」
「若い男の感覚は若い男に聞くのが早い」
「そうですか……」
本人なのだが。
しかも、今の一言はかなり効いた。
──可愛い。土井が自分をそう思っている可能性なら、考えたことはある。
昔からの弟分。成長してもどこか放っておけない相手。そういう意味なら、きっと可愛がってくれていた。けれどもそれは利吉が欲しいものとは違う形をしていて、だから利吉はずっと想いを伝えることなど諦めていた。
だが天鬼が今言っているのは、利土という恋愛物語の中での話だ。そこにある『可愛い』は意味が違う。
「山田利吉は、昔から土井半助を慕っているらしいな」
「……そういう設定なんでしょう?」
「うむ。ならば土井半助も、長年自分を慕ってくる年下の男を悪くは思わないだろう」
「そう……ですかね」
「腕も立つ」
「はあ」
「見目も悪くないらしい」
「……それは誰から?」
「女中」
またあの女中か。
利吉は一度会って話をした方がいいのではないかと思い始めた。
「それだけ条件が揃っていて、まったく心が動かない方が不自然ではないか」
「…………」
「違うか?」
「私に聞かれましても」
「お前ならどうだ?」
「何がですか」
「自分をずっと慕ってくれている年下の男がいて、腕も立ち、見目も悪くなく、気も合う。好意にも気づいている。嫌いではない。むしろ可愛いと思っている」
「ずいぶん条件を重ねますね」
「そういう人物なのだろう?」
「まあ……設定上は」
「ならば、少しくらい気持ちが傾いてもおかしくない」
天鬼は至極真面目で、利吉は視線を逸らした。
分かっている。これは自分のことではない。架空の山田利吉と架空の土井半助の話である。そう言い聞かせても目の前にいるのは土井半助の顔をした男で──否、むしろ本人そのもので、本人が自分と同じ立場の人間について、「念弟にしたいと考えても不思議はない」「心が動いてもおかしくない」と真面目に語っている。
これが心臓に悪い以外の何だと言うのか。
「──だが、問題がある」
「問題ですか……?」
天鬼の声で利吉は我に返った。
「土井半助も山田利吉を好ましく思っていることにすると、話が進まない」
「…………」
「山田利吉は気持ちを隠す。土井半助はそれに気づいているが、応えない。互いに相手を気にしながら何も言わない」
「別にそれでいいのでは?」
利吉が思わずそう言うと、天鬼は眉を寄せる。
「よくない」
「どうして」
「現実ならそれでもいいかもしれんが、物語としては動きがない」
利吉は少し複雑な気分になった。
現実ならそれでもいい。妙に胸に残る言葉だ。
「それで、女中に相談した」
「また女中ですか」
「関係が進まない二人には、大きな事件を起こせばいいらしい」
「大きな事件」
「死にかけるとか」
「重いですね」
「行方不明になるとか」
「それは……」
「記憶喪失とか」
「…………」
利吉の顔から一瞬だけ表情が消えた。
天鬼は気づかず、手元の紙を見る。
「どれがいいと思う?」
「……何故、私に聞くんです」
「ぷろっとの相談だからだ」
「そうでしたね」
利吉はゆっくり息を吐いた。
──記憶喪失。
皮肉な話だ。目の前の天鬼は、自分が何を失ったのか知らない。土井半助であった頃の記憶も、自分との関係も、何もかも。なのに今、よりにもよって記憶を失う前の自分と利吉の恋愛を進めるための仕掛けとして、記憶喪失を候補に挙げている。
笑うべきなのか、泣くべきなのか、利吉には分からなかった。
「利鬼?」
「……何でもありません」
「どれがいい」
「そうですね……」
利吉は紙を覗き込んだ。
死にかける。
行方不明。
記憶喪失。
どれも嫌だ。
「……もっと穏当なものはないんですか」
「女中も何か考えていたが」
「例えば?」
「どちらかが遠い土地へ行く」
「それも嫌です」
「何故だ」
「……何となく」
今度は利吉がそう答え、天鬼は少しだけ目を細めた。以前、自分が利鬼に「何となく嫌だ」と言った時と同じ言い方だったからかもしれない。
「では──お前ならどうする」
「私なら?」
「相手に気持ちを言わねばならなくなるほど切羽詰まった状況で、想いを口にするか?」
「…………」
利吉は考えた。
言わなければならない状況。
もう会えない。二度と届かない。そう思った時、自分なら──。
「……言わないかもしれません」
「何故だ?」
「相手が困るなら」
口にしてから、利吉は少し後悔した。
「……困らせたくないからか」
「そういう人もいるでしょう」
「最後まで言わないのか?」
「たぶん」
「相手が自分を好ましく思っていても?」
「それを知らなければ言わないでしょうね」
「知っていたら?」
利吉は思わず天鬼を見た。目が合う。天鬼は不思議な目をしていた。
「……知っていたら」
言葉が続かない。
知っていたら、自分はどうするだろう。
土井が自分を弟分としてではなく、一人の男として好ましく思っている。
もし──そんなことを本当に知っていたら、それでも黙っていられるだろうか。
利吉は自信がなかった。
「……分かりません」
「そうか」
天鬼は少し考えた。
「では、これは使えるな」
「何にです?」
「山田利吉は、土井半助も自分を好いているとは知らない」
「はい」
「だから言わない」
「そうですね」
「ならば、何かの拍子に知ってしまえばいい」
「……えっ」
「そうすれば動くだろう」
天鬼は満足そうに筆を取った。
「なるほど。事件そのものより、土井半助の気持ちが山田利吉に漏れる状況を作ればいいのか」
「…………」
「どうした?」
「いえ……」
利吉は顔を伏せた。今度こそ本当に頬が熱かった。天鬼はそれを見ながら、また首を傾げる。
プロットだけが着々と、本人たちよりも先に進み始めていた。
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