またもろてきたで、と兄弟子が百貨店の袋を下げて戻って来た。
髪が短うなってきたので、散髪に行って来た帰りと知れた。
磯村屋さんのところでは、草々兄さんとこの弟子がバイトに入っているのもあって、このところ、落語家割引というけったいな割引制度が出来た。
切りそろえられた髪が皆同じヘアスタイルになって戻って来るので、誰が付けたか若手の間では獄門散髪屋と言われてるらしいけど、世代が違うせいもあるのか、実際に誰かが口にするところは聞いたことがない。
今年も素麺ですか、というとそうや、と頷くと額から垂れた汗を拭い、「いつものとこ、て言うのはまあ使い勝手がええんやろ。」と何が楽しいのか、笑っている。
手渡された袋の中身はいつもの箱の他にも、合わせて買ってきた様子のめんつゆと生姜に茗荷が入っている。
ふたり暮らしと言うのは得てしてこういうもので、ものがひとつ増えると、合わせるように他のものが増えていく。
ワックスにスプレーなど、同じものを買えば節約になるような気もするが、結局自分で使い慣れたものを買って来るようなもので、共用の部分に置けたらいいが、そうでなければ段々と置き場がなくなっていくのだ。
ヤマサ、と書かれたボトルを掲げて「次からこれ買ってきた方がええですか?」と言うと、ああ、これか、と兄弟子が言った。
「帰り道の店で目に付いたから安売りしてたの買ってきただけや。お前の好きなんでええで。」
東京風の濃縮された黒い出汁は、水で割ると茶色になる。苦手なのかと思って、適当に師匠の家で出ていたのと同じめんつゆを買ってきていたが、食べられたら何でもいいのだろうか。
「あれおかみさんの買ってきてたやつをそのまま買うてるだけなんで。僕も別にこだわりはないです。」というと、ふうん、と気のない返事が返って来た。
外から運んで来た熱と、鼻先には汗の匂い。
目の前の男は、この炎天下を帽子ひとつで切り抜けた代償のようにして、あちこちの肌が汗ばみ、赤らんでいる。
こんがりと焼けたというには、少し見ていられない様子だった。
「ここはええから、先に顔洗って腕冷やしてください。」と言うと「へえへえ、分かりました、番頭さん。」と適当な返事をされて、それ分かってへんやないですか、と内心で返事をしながら、手を伸ばす。
「ここも焼けてますよ、」と襟足が覗く首筋に触れると、ひゃあ、と大げさな声が聞こえて兄弟子が亀のように首を引っ込める。
「お前、手、」
「洗いもんしてたせいと違いますか。それより、首のとこ、早めに冷やした方がええです。」
夏の汗は外ですっかり出し切ってしまったのか、いつものように指先をべたつかせるというよりは少しさらりとしていた。
この色では跡を付けても目立たないだろうという思考が頭をかすめると、男は「汗かいてんねんから、あんま触るな、」とぶっきらぼうな言いようで流しを向いて腕に水を当てている。
目の前の汗ばんだ背中にはTシャツが貼り付いていて、肩甲骨が見える。
身体に触れれば、骨と言うほど骨でもなくて、薄く付いた肉に歯を立てれば、それなりに甘い声が出るのを知っている。
僕が触りたいから触ってるだけです、と。口には出せずに名前を呼ぶ。
振り返った人の目の中には、布団の上で身体を合わせている時のようないつもの熱があって、目を見て、食べてええですか、と聞いた。
最後まではせえへんぞ、と言う言葉に、それでええです、と頷くと、目の前の人は腕を交差させて、身体に張り付いたTシャツを脱いだ。
さっきのように近づくと、細い身体はまだ夏の熱を放っている。
今日の汗の味は塩からいだろうか。
そんな風に思いながら、背の高い人の肩口に唇を寄せると、こっちが先だと言わんばかりに顔が近づいてきて、乾いた唇にも夏の味がした。

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