あなたに祝福を

 何となく罪悪感がある、というのは誰にも言ったことがない。

 司がキッチンで朝食の準備をしていると、トトト、と軽い足音が聞こえてきた。
「司くん、誕生日おめでとう」
 まだ眠そうな顔をした羊はそれだけ言ってリビングを出て行く。きっと洗面所に向かうのだろう。
 羊から言われてそういえば、と思い出した。誕生日おめでとう。一年に一回は言われる言葉。
 司の下宿先である加護家では必ず誕生日を祝われる。昔は芽衣子に一番に言われていた。司くんおめでとう、と柔らかく微笑まれ、どうしたらいいか分からず戸惑ったんだっけ。
「もっと素直に受け取りなよ!」
 そう言って苦笑していたのが加護だった。
「生きてるだけで祝われるなんて面白い日、そうそうないんだから。今日は俺が誕生日です! みんな祝って! って主張してもいいくらいだよ」
 あはは、とその時の司は誤魔化した。そんな主張、とても出来そうにない。むしろ言われた方が何となく肩身が狭いような、ちょっとだけ悪いことをしたような気分になる。
 生きているだけで祝われる。生きているだけで相手から肯定の言葉を引き出す。なんだかなあ。
「司くん誕生日おめでと~! いやあ、あのクソガキがデカくなっちゃって……」
 起き出してきた加護は司の顔を見るなりそう言った。
「加護さんって毎年それ言いますよね」
「そりゃそうだよ。司くんがこーんな時から知ってるんだから」
「そんな小さくないですよ!」
「僕にとってはそう見えたってこと」
 加護とは司が高校生の時からの縁になる。それがここまで長い付き合いになるとは思っても見なかった。人生何があるか分からない。そういうことは歳を重ねる度に増えていく。
「司くん、たすきあげようか。本日の主役ですってやつ」
「え、加護さんが誕生日につけてたやつですか!? いりませんよ!」
「それつけて今日一日街とか練り歩きなよ」
「やりません!」
「司くん」
 加護は言った。
「受け取っといた方がいいよ。そういうのってタダだし」
「……タダより怖いものってないんですよ」
「そう悪いものだけで出来てるもんでもないよ、この世界」
 加護は少しだけ真面目な顔でそう言って、朝食に手を付けた。

「司先生! お誕生日おめでとうございます!」
 リンクに来たいのりは、突進するように司の元へ走ってきた。
「ありがとう、いのりさん」
「今日レッスンがあってよかったです! 司先生に直接お祝いの言葉を言えたので!」
「そこまで言ってくれると嬉しいなあ」
 GOE+5の笑顔で言われた言葉はどんなものであっても嬉しい。笑顔が素敵選手権でもあったらいのりは絶対優勝出来るのに、と歯がゆく思った。
「司先生は今日何食べるんですか?」
 いのりの質問から何となく誕生日が見えてくる。きっといのりの家では家族の誰かの誕生日にはその人の好きなものを食べるのだろう。
「まだ決めてないなあ……。ちょっといいおにぎりとか食べちゃおうかな」
「おにぎり!? おにぎりで足りますか? 何かいいお肉とか!」
「いいお肉はね、先生くらいの年齢になるとちょっとお腹壊しちゃったりするんだよ……」
「えーっと、じゃあじゃあ、司先生は誕生日に何のケーキ食べますか?」
「ケーキ……はそうだなあ。年によって違うかも」
 司が選ぶ、というよりは加護と羊が選んで買ってくるものをありがたくいただいている。
 というよりあの二人は司の誕生日をケーキを食べる日だと思っている節がある。三人しかいないのに三つもホールケーキを頼むなんてどうかしているのだ。結局食の細いふたりは二、三切れほどしか食べないし、残りは全て司が食べることになる。もちろん美味しいケーキではあるが、三ホール食べると最終的にどれも味が似てくる気がする。近年は司の必死の訴えにより、最近は一ホールで済んでいるけれど。
「私、昔はチョコのホールケーキ頼むことが多かったんですけど、最近は生クリームのホールケーキ食べるようになったんです。それで、それを食べる度にショートケーキ作戦のこと思い出します」
 いのりが初めて大会に出たときの話だ。あの時はまだレッスンも始めばかりで、基礎をしっかりさせるか手持ちのカードを増やすかどうかで悩んでいた。たった数年前の話だ。たった数年前の話が随分昔のように思える。
「今のいのりさんのケーキにはあの時の何倍もいちごが乗ってるね」
「本当ですか?」
「もちろん! ショートケーキよりもイチゴケーキって名前に変えてもいいくらいだよ!」
 あの頃からいのりは進化している。歩みを止めることなく進み続けている。思えば遠くへ来たものだ、と思うのは自分が年を取った証拠だろうか。
「立派ないちごケーキになるために今日も頑張ります!」
「うん! 頑張ろうね!」

「司くん誕生日おめでとう~!」
 いのりが着替えに行くと、瞳が司の元へやって来た。
「あ、ありがとうございます?」
「いのりちゃんが大声で言ってるの聞こえたわよ」
「あはは……」
「私はちゃんと覚えてたけどね」
 いのりの言葉で思い出したわけではありません、と瞳は主張する。
「私、人の誕生日覚えるの得意なのよ、昔から。一回覚えたら忘れないの」
「忘れてくれていいよ……」
「司くんなんて特に忘れらんないわよ! 昔、誕生日いつ? って話してたときにそういえば先月でした、とか言って!」
 まだ司がアイススケートを始めたての頃の話だ。リンクメイトと話していた時に、そういう話の流れになったのだ。
 司がこの話をしっかり覚えているのは当時さんざん叱られたからだ。
 あれはリンクメイトのうちのひとりが誕生日だった時の話だ。司以外のリンクメイトは付き合いが長く、誰かの誕生日がくると全員でお祝いをするのが習慣になっていた。
 その中で新入りである司の話にもなって、しかし司の誕生日はもう過ぎていて……。あの時の絶句した全員の顔を司は今でも思い出すことが出来る。兄弟間でももうとっくに祝っていないような誕生日を、他人からもっと大事にしろと言われたのはあの時が初めてだったかもしれない。
「来年は絶対祝ってやるって思ってたから……」
「そんな意気込んでたんですか?」
「もちろん! もらえる言葉はもらっておいた方がいいのよ」
 お祝いの気持ちならね、と瞳は言った。
「そうだ、司くんおめでとう」
 ちょうど当時その場にいた洸平もやってきた。職場が同じだから仕方ないとは言え、近くに昔のことを覚えている人がいるのってちょっと気恥ずかしい。あの頃の自分が間違っていたとも思わないが、なんせ若かった。他の人の気持ちなんて全然分かっていなかったのだ。
「洸平くんも……ありがとう」
「あの時珠那も騒いでたからね。誕生日に主役のたすきつけないなんてあり得ない! って」
「あれって珠那くんみたいな人がつけるんだ……」
「司くんは珠那でも見習いなよ。誕生日にメッセージ送るの忘れてると、本日の主役のたすき付けて浮かれたサングラスと帽子被った珠那の写真が送られてくるよ」
「そこまではいいかな……」
 同じくかつてのリンクメイトだった珠那は、今でも司の誕生日には誕生日おめでとうと一言メッセージを送ってくれる。ちょっと変なスタンプと共に。今年はしゃくれて変顔をした犬のスタンプだった。ああいうのは一体どこで見つけてくるのだろう。スタンプをほとんど買わない司は感心するばかりだ。
「とにかくおめでとう、司くん。また一年頑張りましょうね」
 司はかつての仲間達から今年もお祝いの言葉をもらい、へらりと笑った。

 今日は貸切もなく、いのりの個人レッスンが終わると解散となった。今日はいい日にして下さいね! と言ってくれたいのりを見送ったところだった。
「明浦路先生!」
「え、理凰さん!?」
 リンクの入り口には理凰が立っていた。
「えび……いのりに聞いたんです。今日お誕生日だって。だから直接顔を見てお祝い言いたくて……」
 理凰は司の方に近づいてきた。いつの間にか目線が近くなっている。そのうち自分が見上げるようになるのかもしれない。子どもの成長ってあっという間だ。また年齢を感じるようなことを思ってしまった。
「司先生! お誕生日おめでとうございます!」
 そう言った理凰は腰の角度を直角にしてきっちり頭を下げた。お父様を思い出させるような綺麗なお辞儀だった。五秒ほどそのままだった理凰はバネのように上半身を起こし、さっと司に背を向けた。
「じゃあ帰ります。さよなら!」
「それだけを言いに!?」
 流石に引き止めた司を理凰はきょとんとした顔で見ている。いやいや、生徒にお祝いさせといてそのまま帰すのってどうなんだ。
「顔を見て言うことが大事なんですよ、こういうことは」
「でもわざわざ……」
「確かに父に伝言したり、メッセージを送ってくれるように頼むことも出来たかもしれない。でも、俺が直接言いたかったんです。……明浦路先生にも会いたかったし」
 柔らかく微笑む理凰に、思わず司の涙腺が緩む。こんな息子がいたら自分の子育ては間違っていなかったと確信するだろう。立派に育ってますよ、理凰さんは……。胸中で慎一郎に話しかけると、ありがとうと言って直角にお辞儀をしたので司はすぐに妄想を掻き消した。鴗鳥慎一郎はどんな人に対しても腰が低い。お辞儀をして顔を上げた後、そう言って下さって嬉しいです、と言って柔らかく微笑むのだろう。
「それに……誕生日当日は明浦路先生も用事があるだろうからって、父が……」
 理凰はぎりりと下唇を噛んでいた。もしかしたら慎一郎がやんわりと止めてくれたのかもしれない。お気遣いありがとうございます……。胸中で言うとまたお辞儀合戦になってしまった。次に慎一郎に会ったときに直接礼を言おう。理凰が会いに来てくれて嬉しかったことも。
「今度うちに遊びに来て下さいね! 絶対俺がいるときに! 絶対! 絶対ですよ!」
 待ってますから! そう言って理凰は出て行ってしまった。あっという間の出来事だった。

 誕生日なんだから、と雑用を免除された司は、思いの外早く上がることが出来てしまった。まだ日も沈みきっていないような時間だ。真夏よりは徐々に日が短くなってきているけれど、まだ夏と言っても差し支えないような暑さが残る微妙な時間帯。とはいえ肌を撫でる風に少しだけ涼しさが混じってきた。
 このまま帰るにしてもきっと加護たちを気遣わせてしまう。家に帰ればせっかくだからとどこかへ食べに連れて行ってくれるだろう。もちろん好意は嬉しいけれど、僅かに申し訳なさが上回る。
 どうせなら図書館でも寄っていこうかな、とリンクを後にして、階段を降りたところだった。
「司」
 その声を聞いた瞬間、ありえない、と思った。ついに幻聴でも聞くようになったかとも思った。
 恐る恐る声がした方を見ると、夕日を背負った黒い影が立っていた。そこだけ一足先に夜が来てしまったようだった。
 その影はかつかつとこちらに寄ってくる。司はそれを突っ立ったまま見ていた。日が沈む前にこの人が外に出ることってあるんだなあ。それにしたってまだ街灯も要らないような明るい時間帯にいるのって本当に似合わない……。
「誕生日おめでとう」
 黒い影ーー夜鷹は司の目の前に来て、ばさりと大きなものを差し出した。司の胸元に現れたのは黄色を基調とした花束だ。名前が分かるのはひまわりやバラくらいだが、それ以上に様々な種類の、沢山の花がオレンジ色の包装に包まれている。
「どうしたんですか、これ」
「君の誕生日だろ」
 どうしてだか夜鷹の方がむすっとした顔で答えた。しかしその顔が照れ隠しであることを今の司は知ってしまっている。
「……すごいですね、俺が今までもらった花束の中で一番立派だ」
「僕は君と一緒に食事も出来ないし、残る物は君が遠慮するから」
 その一言で夜鷹が色んなことを考えてくれたことが分かる。司は思わず自分の胸元を握りしめた。片手で持った花束もずっしりとした重さを感じる。
「こんな立派な花束、どうしようかな……」
「好きにして。君に贈ったものだから」
「じゃあ今から純さんの家に飾りに行ってもいいですか」
 司が言うと、夜鷹は一瞬動きを止めた。ぎこちなく司の方を見上げる仕草はこちらを伺っているようにも見えた。
「……用事あるんじゃないの」
「俺、用事ありそうに見えました?」
「誕生日の日は用事を入れるものだって、慎一郎くんが」
 司は思わず笑ってしまいそうになるのを、頬の内側を噛むことでどうにかこらえた。その言葉を素直に受け取る夜鷹も夜鷹らしい。言ったのが慎一郎であるというのも大きいだろうけれど。
 その言葉が自分に向けられているとは思っていなかったらしい。
「じゃあ純さんの家に花を飾りに行くのが俺の用事です」
「……好きにしたら」
「ありがとうございます!」
 そう言って司は夜鷹と共にタクシーに乗って夜鷹の家に向かった。
 夜鷹の家でも花束の存在感は全く負けていなかった。部屋にあるとそこだけパッと明るくなった感じがする。色味ももちろんだが、花にはそういう効果もあるのかもしれない。
「純さん、花瓶とかってあります?」
「ない」
「じゃあ一旦バケツに入れておこうかな」
 司はキッチンからバケツを取り出した。夜鷹のサラダチキン用のバケツだ。それなりに大きいバケツであったが、花束を入れるとぎちぎちになってしまった。本当に立派な花束だ。自分がもらってしまったのが申し訳ないくらい。
「それどうするの」
 司がせっせとバケツに花を移している姿をじっと見つめながら夜鷹は問いかけた。
「花瓶買ってくるまで一旦玄関にでも飾っておこうかなって。あ、でもちょっとだけコップに入れてリビングにも飾ろうかな」
「ふうん」
「こうやって飾っておけば、目に入ったときに俺のこと考えてくれるでしょう」
「別に見なくても考えてる」
 冗談を言った司に間髪入れずに答えた夜鷹を、司はまじまじと見つめた。夜鷹は冗談を言わない。言うのはいつも本当のことだけだ。
「今日も君の用事って何だろうって考えてた」
「直接聞いてくれたらよかったのに……」
「他の誰かと会う予定があるって言われたら僕もどうなるか分からない」
 そんな予定入れるわけがないのに。少なくとも司にとって、誕生日はそういう日ではなかった。
「俺、誕生日に特別な予定とかって入れないんですよ。だって俺以外の人にとっては普通の日だし」
 最初はわくわくしていたはずだった。家族から祝われ、その日は主役にでもなったような気分だった。時間を経て様々なことがあって、いつの間にか習慣はほどけていった。自分は主役でも何でもなく、他人にとってはごく普通の一日。
「……なんだか、何もしていないのに祝福の言葉を言われることに据わりが悪くなってきて。生んでくれたのは母親だし、別に俺は何もしてないのにって」
 他の日と何ら変わらない一日に渡されるお祝いの言葉に、司は少しだけ息が詰まることがある。抱えきれないほどのそれをもらうほどの価値が自分にはあるのか。祝ってもらえるだけの存在なのか。そこにいるだけで迷惑をかけていないか。そんな内省と常に隣り合わせになってしまった。
「……生まれ落とされた日に祝福されるのは、誤魔化しだと思ったことがある」
 夜鷹は独り言のように言った。
「でも君がいてくれてよかった。生まれてきてくれてよかった。生きてくれていてよかった。僕と出会ってくれてよかった。……そういう時はやっぱり、祝いの言葉になるんだね」
 夜鷹の口から出てきたのは肯定の言葉だ。
「誕生日おめでとう」
 僅かに微笑んだ夜鷹に、司は思わず抱きついた。そのままぎゅうぎゅうと抱き締めていると、背中に腕を回される。二つの身体がぴったりと重なる。ひとつになることは出来ないのにこうしてしっくりくるのが不思議だった。この人が自分の半身であればいいのに。そう思いながら司は自分の腕に力を込めた。
「何よりスケートを始めてくれてよかった」
「俺が?」
「スケートなら僕が一番だ。誰にも負けない。君を釘付けに出来る」
 あまりにその通りの事実を言うので、司は思わず笑ってしまった。本当によかった!

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