その恋返品できません

 昨日、天城とセックスをした。

 好きなひととするものだろうとか、男同士じゃないかとか、発覚したら一大スキャンダルものだとか、他にも色々……問題はある。むしろ問題だらけだ。未成年者との淫行が云々と言われたら社会的に終わる。天城が。
 どうしてそんなことになったのか、説明は割愛させていただく。あまりにしょうもなさすぎて話す気にもなれない。

 で、今日だ。
 天城がおかしい。おかしいというのは、『不審』という意味である。そしてなんか遠い。

 今日は午後からダンスレッスンで、先日振り入れしたばかりの曲をとりあえず全員で合わせてみて、不明点ややりづらいところをメンバー間で共有する時間を設けている。勘とアドリブに優れ小器用な天城と違い、堅実な反復練習を要する桜河──それと放っておくと自己解釈で振りをアレンジしだす椎名──にとっては、地味ではあるが必要な過程だ。
 レッスン前にシナモンに立ち寄りスケジュールの確認をしていた俺は、集中していたからか声を掛けられたことに気づかなかった。あるいは相手の声が不自然に小さかったのかもしれない。

「メールメル」

 何度目かの呼び掛けでようやく顔を上げた。このような不本意な愛称で呼ぶ不敬な輩はひとりと決まっているから、べつに顔を上げなくても良かったのだが。
「──天城」
「はよ、じゃねェか……お疲れ? そこいい?」
「は?」
 「は?」というのは、特に不快な気持ちを表明しようとしたものではなく。男の態度に驚いた結果ぽんと出てしまった生理反応だったのだけれど、当人には別のニュアンスに聞こえたらしい。
「あ〜……ヤだったらいいし。他ンとこ座るから……」
「? ど、どうぞ。座れば良いのでは?」
「お、マジ? え〜と、サンキュ〜……」
「どういたしまして……?」
 なんだこれ。誰だあんた。
 いつもなら誰に許可をとることもなく、図々しくかつ鬱陶しいほどに視界に居座るじゃないか。ゆうべのセックスですら俺の了承を得たかどうか微妙なところだ。なのになんだその態度は。
 しかも、だ。ようやく座ったかと思えば、四人がけソファ席のはす向かいだった。だからなんだその……微妙な距離感は? よくわからないが気を遣われていることだけはわかる。全身が痒くなりそうだ。
 このはす向かいの男が本当に天城燐音なのか疑心暗鬼に陥った俺は、そいつを心の中で『天城A'』と名付けた。
 今日はたまたま椎名がいないタイミングだったらしく、俺と天城A'はレッスン開始まで適当に時間を潰し、丁度いい頃合でダンスルームへ向かうことにした。
「──そろそろ時間ですね」
 当然天城A'もレッスンへ行くものと思い、確認する前に席を立った。すると背中に控えめな声が掛けられたのだ。
「俺っちも一緒に行ってい?」
と。



 天城がおかしい。俺の言っていることは間違っているだろうか? そんなことはない。おかしいだろう、誰がどう見たって!
「まあ、おかしいと思うで。うん」
 つい先程椎名と連れ立って飲み物を買いに出ていった天城A'は、俺に〝なんか飲む?〟と伺いを立ててきた。こんなことは初めてだ。
「それだけではありません。移動する間バッグを預かろうとしたり、小休憩の時も〝隣いい?〟と聞いてきたり……あとは肩に肘を乗せるいつもの絡みも、事前に確認されましたし! とにかく調子が狂うのですよ」
「……やなあ……」
 俺が一方的に捲し立てる間、隣に座った桜河は苦笑いに終始していた。笑ってないであの馬鹿に何か言ってやってくれ。
「せやけど……燐音はんがおかしな態度とるん、HiMERUはんにだけやで?」
「え……?」
 困り顔で「気づいとらへんかったん?」と首を傾げる。言われてみればそうかもしれない。天城A'は椎名や桜河に対しては至っていつも通りに振舞っている。
 俺だけ。……俺に対してだけ?
 頭を抱えた。心当たりは勿論、ある。椎名や桜河には変わらず接していて、俺だけが違う。俺と天城の間で起きた変化といえば、そう、『セックスをした』というその一点のみだ。
「意識してんじゃねえよ……!」
「ひ、HiMERUはん?」
 頭からタオルを被り、三角座りをした膝の間に顔を埋めた。気づいてしまったら最後、どういう顔をして戻ってきたあいつを迎えたらいいかわからないではないか。



 悶々としたまま時は過ぎ、レッスンが終わった。天城の様子は相変わらず変だった。
 間の悪いことに夜のシフトに入ると言う椎名と『Double Face』の打合せがあると言う桜河は、早々にダンスルームを去ってしまった。天城と俺の時間が合えば、ふたりでフォーメーションや演出についてアイディアを出し合うことも多い。けれど今は駄目だ。向こうが俺を意識しているとわかった以上、こちらも意識せざるを得ない。きっとまともに話し合いなんてできない。
 たった一度肌を合わせただけ。それだけ。愛してなどいないし、愛されているとも思っていない。なのにどうしたことだろう。これでは、その、なんだ……天城が本当に俺を『そういう意味で』好き、みたいじゃないか? 状況を整理すればするほど、そんなありえないことを想像してしまう自分がいて嫌になる。
 もしくは──ゆうべのことを後悔している? だから微妙に距離を置いてくるのだろうか。だとしたら……寂しい? 寂しいってなんだ?
「──では、HiMERUはお先に失礼しますが。消灯と施錠、よろしくお願いしますね」
「あァ……わかった」
 返事はそれだけか、他に言うことはないのか──までを考えて、俺は何を期待しているんだと頭を振る。勘弁してほしい。
 身支度を整え退室しようとした己の背に視線が突き刺さる。無視してそのまま帰ればいいものを、何を思ったか俺は、振り返ってしまった。当たり前のように目が合った。
「……」
「……」
「……あのさ」
「……なんでしょう」
 努めて冷静に返すと、気まずそうな顔をした天城が「一緒に帰ってい?」と切り出した。
「支度するから五分だけ待っててほしいンだけど……なんて……」
「わかりましたよ。五分しか待ちませんからね」
 そう言って再び背を向けた俺のすぐ後ろ。
「もういっこ、お願い、あるンだけど」
 見れば、十何時間か前にベッドで俺を見下ろしていたのと同じ熱に浮かされた碧色が、その視界に俺だけを映していた。甘い囁きが間近で落とされる。

「……キスしていい?」

 何がお願いだ。下手に出るポーズだけとっておきながら──俺が気を許した瞬間に、骨まで喰らう気満々じゃないか。

「はやくしろ、馬鹿」

 キスも、その先も、はやく寄越せ。HiMERUを待たせるだなんてあんたくらいのものだ。





 昨日、天城とセックスをした。
 今日、天城とキスをした。
 だからと言って何も変わらない、俺達は、明日からもこれまで通りの仕事仲間で、『Crazy:B』のダブルセンターとして隣に並んでいる。



 ……それだけの、はずだ。





(台詞お題「キスしていい?」)

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