供述

 両親は俺がガキの頃に死にました。父は俺が五歳の時に。母は俺が中坊の時です。
 父は漁師でした。仕事中に船から落ちて、警察が探しても見つからなかったんですが、半年ぐらい経ってから岩場に引っかかってるのを漁師仲間が見つけました。母に連れられて行った警察署で死体を確認したんですが、なんせ半年も海を漂ったんで見た目も臭いも酷いもんでした。全身が不自然に膨らんでいて、肉があちこち欠けて骨も見えていました。俺はまさかそれが親父だなんて思わなくて、なんでこんなものを見なきゃいけないのかと癇癪を起こしましたが、母にはわかったようです。警察に止められるのを振り払ってまで死体に縋りついて泣き叫びました。母が父を揺するたびに父から海水が漏れるんで、あまりの異臭に吐いた警察官もいました。
 黙ってりゃいいのに、誰かが「魚にでも食われたんだろう」と言ったのを覚えています。おかげで俺は魚を食えなくなったんで。正確には、それを聞いた母のせいなんですけどね。母は当時働いていた食堂からよく余り物の魚をもらって帰ってきていました。俺達家族が貧しいのを知っていた社長のお節介です。でもこの日以降、母は魚を食う時にいちいち「この魚もあのひとを食べたのかな」なんて言うようになってしまいました。気持ち悪いでしょう。今まさに食卓に並んでいる焼き魚も、刺身も、煮付けも、父の肉や臓器を食って育った魚かもしれないと、その妻から言われるんですよ。母の前では必死に胃の中に押し込んで、メシの後に母が飲み屋の仕事に出かけてから便所で全部吐きました。
 父がいなくなった後は母が一人で俺を育てました。両親とも親戚とは疎遠だったから頼ることができなかったようです。親戚の代わりに、父の漁師仲間や市場の人達が母と俺を助けてくれました。一日中働き詰めの母に代わってメシを作ってくれたり、俺と遊んでくれたり。田舎のいいところですよ。五歳のガキの行動範囲にいる大人達が、監視カメラみたく俺を見張っていたんです。
 学の無い女が田舎で一人でガキを育てるってのは並大抵の苦労じゃない。母は、食堂の客から紹介してもらった飲み屋でも働き始めました。食堂の仕事が終わると一度家に帰ってきて俺と晩飯を食って、派手な服に着替えてから飲み屋に出勤しました。帰りはもちろん深夜です。誰もいない静かな部屋で、一人ぼっちで寝るのは寂しかったです。慣れるまで何度も泣きました。でも、帰ってきた母が酒と香水と煙草の匂いをつけたまま俺を抱きしめてくれるのは嫌いじゃありませんでした。
 それから、母は複数の男と寝て金を貰っていました。大体が父の漁師仲間です。狭い町ですからね、仕事を終えた漁師が母の勤める店に呑みに行って、閉店後に母を買ってたんです。よくやってたよあいつらも。漁師達はそろいもそろって妻子持ちだし、モーテルの金を払う余裕もないから、母が男の相手をするのは俺と母の家でした。母が男を連れて帰ってくると、俺は布団を被って必死に寝たふりをしました。思い出すと反吐が出るような言葉を母にかけながら、男達は母を抱きました。ガキが隣の部屋で寝ているという状況に興奮するろくでなしも少なくなかったです。俺を起こして行為を見せようとする輩もいました。それを全部無視して、何も気付いていない顔をして、俺は母と朝飯を食べました。俺が無知でいることで母を救おうとしたんです。ガキの涙ぐましい努力ですよ。母は全部気付いていたと思います。でも俺には何も言わずに、疲れた体でまた仕事に行きました。
 そんな環境で育ったので、俺はもちろんグレました。母が飲み屋に出勤した後、どうしても眠れない日があって、外に出たことがありました。太陽が高いうちにしか歩いたことのなかった町が、夜は不気味なぐらいに静まり返っていました。波の音や、野良猫の鳴き声に怯えながらふらふらと歩き、気付けば見知った公園に辿り着いていました。そこには不良ガキがたむろしていて、面白がって俺を招き入れました。人恋しかった俺は大人よりも歳が近い不良達に懐いてしまったんです。俺は夜な夜な家を抜け出して不良達と公園で遊び、母が帰ってくる前に家に戻って布団に隠れるようになりました。初めて酒を飲んだのはその頃です。七歳のガキに煙草を吸わせてくる奴もいました。それが母のと同じ銘柄だったから、俺は吸っちまったんですけどね。
 不良とつるみ出したことは一か月ぐらいで母にバレました。母の食堂でメシを食っていた時に不良達が客として来て、俺に声をかけたからです。家に帰ってから、母は俺を殴りました。私が悪いのか、金が無いからか、もっと金さえあれば。金切声を上げながら俺を殴る母に、俺は何も言い返せませんでした。
 しばらくして落ち着いた母が、俺の顔を濡れたタオルで冷やしながら言いました。どうかお前は勉強をして、頭のいい学校に入って、いい会社に就職して、この町から出ていけと。普段は、町のみんなに助けられてる、ここに住んでよかったと口癖のように言っている母がそんなことを言うので、俺は戸惑いました。母は望んであの町に住んでいると思っていたからです。まだガキだったから当たり前ですが、俺は何もわかってなかったんです。母があの町にしか居場所がなくて、仕方なく暮らしていたことを。今思えば、母は釜山の訛りが無い人でした。
 母に泣きながら殴られたことがトラウマになった俺は、馬鹿正直に生活態度を改めました。サボりがちになっていた小学校にちゃんと通い、夜に公園をうろつくのも不良とつるむのもやめて家で勉強していました。勉強して、母の言うようにいい学校に行って、あの町じゃない場所で働くことを目標に。その時は母も連れて行くんだと。
 母が死んだのはその数年後です。食堂で働いてる時に倒れて、そのまま。詳しくは覚えちゃいないですが、病気でした。いくら貧乏でも、病院にかかる金ぐらいはあったのに、母は俺のために使わなかったんです。市場の人らが教えてくれたんですが、母は「息子は将来大学に行くから、そのために金を貯めている」と口癖のように言っていたようでした。それを聞いて俺は、心底馬鹿馬鹿しいと思いました。真面目にしていても成績は地を這っていた俺が大学になんか行けるわけなかったし、馬鹿な俺のために病院の金まで惜しんで死ぬなんて。母の貯金はそっくりそのまま俺のものになりましたが、そんな金もらって嬉しいわけないでしょう。全部使って母の葬儀を出して、少し良い墓を買いました。父の骨も一緒に納めてからは、一度も墓参りには行っていません。
 母が死んで、俺は勉強する理由も町を出る目標も失って、手に入れたのは町に対する嫌悪感と、貧しさへの怒りでした。真面目に通っていた中学には行かなくなり、養護施設にも帰らなくなりました。俺の母親が死んだって話はあっという間に広がって、昔つるんでた連中の耳にも入ったんです。その頃にはもう、不良は立派なヤクザになっていて、わざわざ俺を訪ねて勧誘してきました。行くところが無いなら俺達と仕事をしないかと。当時釜山には小さな勢力が乱立していて、覇権争いの最中だったから、ガキだろうと数が欲しかったんでしょう。俺は断る理由が無かったのと、給料をもらえるってんで、また連中とつるむようになりました。中学にはそれ以降行かず、当然高校にも進学しませんでした。同級生が高校に入学する頃、俺は組織の一員として血を流していました。
 最初にやった仕事は債権の回収です。上から指示された場所に行き、債務者を脅したり店を壊したり、直接殴ったりして金を集めて回りました。俺は中坊の時点で大人と変わらないぐらい上背があったんで、同年代の中でも重宝されました。
 債務者の中には、母と俺に世話を焼いてくれた市場の人もいました。でも大体の男は昼に母に恩を売って、夜は母を買ってたので、俺は遠慮なくそいつらを殴りました。誰のおかげでそこまででかくなれたと思ってるんだと泣かれもしましたが、可笑しかったですね。優しいふりをしててめえの下半身のことしか考えていない連中が道徳を説くのは。
 そういう個人的な恨みもあって、俺は人一倍働きました。給料も歩合だったから、多く回収すればそれだけバックもありました。その辺の才能が俺にはあったようで、何も考えずにただ債務者を殴ってるだけで、十分食っていける給料をもらいました。母が体を切り売りしながら一か月に稼いだ額と、俺が四、五人ぶん殴ってもらえる額は同じでした。
 暴行、脅迫、強盗、誘拐。一通りの犯罪はやりました。ガキがやった方が罪が軽いからと、成人する少し前に殺しも。初めて殺したのは、上がりをちょろまかしていた兄貴でした。かつて公園で遊んでいた連中の一人でした。
 ヤクザの世界では、人を殺してからようやく一人前です。俺は一目置かれて、上から大きめの仕事を任されるようになりました。企業や政治家の案件です。敵対勢力に対する嫌がらせや選挙妨害、企業の誘致先への迷惑行為なんかが主で、債権の回収も。大韓民国の南端で地道に仕事を続けていたうちの会社はそこそこの大きさに成長していて、新たに釜山に進出する企業や議員が金を借りに来るようになっていました。奴らは利益を得る為に元手を必要とします。無い袖は振れませんから、よそから確保する必要があるけどばれたくはないなんて我儘なことを考える。だから俺達みたいな人間から借りるんです。俺達が普通に暮らしていたら手に入れられないような権益を餌にして。俺達は清い人間が後ろ暗い連中から金を借りたという事実を担保にできるし、良いビジネスではありました。政治家先生達の言うことを聞いてりゃ贅沢できたんですから。何も考えずに、体だけ動かしていれば。
 夢を見てしまったんです。自分が、頭を使う側になるという夢を。刃物に刺されながら働かずとも、命令一つで大金を手に入れられるなんて最高でしょう。椅子にふんぞり返って大金を動かす人間の気分を想像した時、俺はそれまでのすべてを捨てられる気がしたんです。貧しさに喘いだ苦い記憶も、母の痛々しい泣き声も、父の死体の臭いも、全部。
 馬鹿だったと思いますが、後悔はしていません。一度の失敗が命取りになる、そういう世界で俺は生きていました。俺に甘いところがあったのは事実です。チャンスを掴み切れず、馬鹿なりに見た夢が終わりを迎えた、それだけです。
 最後に見た海は綺麗でした。ガキの頃、母に連れられて遊んだ海よりもずっと。これから開発の手が入り、汚れていくんだと思いながら見たからでしょうね。
 俺はきっと、車ごと海に捨てられたんでしょう。拘束されて撲られた傷のある人間が練炭自殺は無理がある。いや、検事長だかを味方につけているようだから、自殺でも通るのかな。どうせなら、俺の肉を食った魚が、政治家連中が集まる料亭にでも出されればいいと思ったんですけどね。釜山の魚は美味いですから。俺は無数の魚と一緒に、あいつらのところへ帰ろうと思うんです。少しずつ。少しずつ。

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