“The Narrow Road to the Deep North”

2023/11/24 21:41 占地

 物心ついた頃から、気がつけば本を読んでいた。
 どうしてそうなったかというと単純なことで、我が家では小学校卒業までの間、「TV、マンガ、ゲーム禁止」だったのだ。……そういえば、当時何故か「はだしのゲン」のコミックスが小学校の図書館にあったりしましたよね?(今もあるのだろうか)アレがほぼ唯一コンプリートしたマンガ体験だったくらいだ。
 その代わり、読書に関する手引きは豊富だった。小学校に上がる前から図書館のカードを作り、古本屋で本を買うためのお小遣いも貰っていた。後年、母に「なんでウチはTVもマンガもゲームも禁止だったの?」と聞くと「本好きにさせたかったから」というシンプルな返答があって脱力したものだが(そこまでするかフツー?)、要するにアカラサマに仕組まれていたというわけだ。
 そんなこんなでまんまとハメられて読書に親しんできたので、大抵の本には抵抗感がない。好きな作家は?と問われればスティーブン・キングと村上龍、と即答するくらいのもんで、新書で8cm超えのレンガ本だろうが登場人物ほぼ全員意味もなく惨死、みたいなクソ鬱小説だろうがホイホイと軽率に頁を繰れる。とはいえ新規開拓にはさほど興が乗らず、好きな作家気に入った本ばかりを飽きもせずに繰り返し読む。そんな偏った読書の仕方なので、読書家を名乗るのもおこがましいのだが。
 そんな自分が新しい本を手に取るきっかけのひとつに「推しの出演作」てのがある。映像作品に関しては割と原理主義的、というか原作ありきなので、お陰様で多くの出会いを頂いている。

    で、「The Narrow Road to the Deep North」──邦題「奥のほそ道」である。
    なんでこんな前置き長いの、ってまあいつものことなんだが(スミマセンw)、要するに人生の半分くらいは年間(述べ)150冊くらいは本を読んできた自分にとっても、この読書体験は特別だった、ということを強調したかったのだ。

 なんのノウハウもコネもなく、ただ努力と実力で名もなきエキストラからハリウッドをも射程内に収めた推しが、誰かの敷いたレールの上で自分が「二番目にやりたいことをやり続ける」ことと、安定を投げ捨ててでも「その時一番やりたいことをやる」ことを秤にかけて後者を選び独立した、と思ったらまさかの前代未聞ストライキでスケジュールが白紙になり、それでもただ諾々と待つよりは初心に帰って打って出ると決めて選んだ海外作品の、オーディション準備のために読破した原作本。(って、要素盛りすぎ!)
 しかも、そこに至る経緯も、感情も、実際にどんな思いで読み進めていったのかも、その後何がどうなって最終的にその役を得たのかも、推し自らが赤裸々に言葉にして伝えてくれていたのだ。──こんなことって、他にあります?
 というわけで、やっと作品名がわかったからには読まずにはいられない。電子書籍で買うつもりがまさかのハードカバーしかなくて高いし重いし分厚いし、だがこの質量は推しも手にしていたのだと思えば──ましてやそこに込められた決意の重みを思えばなにやら厳粛な心持ちになろうというものだ。久々だけどやっぱり紙の本はいーなあ、寄る年波で老眼鏡必須だけどそこはそれ、推しもメガネ男子だしねっ(きもちわるいオタク)……


※以下、がっつり本の内容に触れています。ネタバレ回避派の方はご注意ください。


 ──1943年、太平洋戦争の最中。日本軍は(かの悪名高きインパール作戦のために)補給路を確保するため、タイとビルマを結ぶ鉄道の建設を決定した。
 泰緬鉄道と呼ばれるその路線は、英国軍が「5年かかっても無理だ」と断念したものを、わずか1年余で完成させるという狂気の日程で建設された。物資も機材も資金も絶対的に不足する中、日本軍は「不屈の精神」によってこの事業を完遂させると主張し、捕虜やアジア人労働者に昼夜ぶっ通しの苛酷な労働を強制して数多くの犠牲者を出した。そのため、別名を「死の線路」とも呼ばれている。
 この物語は、「線路」という絶対的な強制力をもって君臨するひとつの命題に支配され、囚われて、それぞれの立場でそこに身を投じざるを得なかった男たちの運命を、捕虜たちのリーダーである主人公(大佐で軍医)の人生を軸に描いたものである。……

 さて読むか、と頁を繰って10分後、これはなかなか骨のある読書だぞと気合いが入った。まず、単純に難解だ。語彙も文章も複雑だし、ストーリー自体も前半は特に時代が頻繁に飛んで時系列での把握が難しい。加えて、物語の重要な要素として古典文学や詩、俳句に関する言及がある。「普遍的/不変的で美しいもの」の象徴だろう。それと対比/並走する形で、「極限の肉体的苦痛、暴力、不条理な死」の精緻で重層的な描写がある。華々しくもドラマチックでもない、苛酷な重労働、不衛生、飢餓、疫病、雨期の猛烈な雨。そんなひたすら消耗するだけの状況下で、毎日何人もの捕虜が無様に死んでいく。ただ生き延びることだけが目的になれば、そんな目に遭ってまで生きたいか?という疑問もぬらりと湧いてくる。死が不条理ならば、生もまた不条理だ。窮状が極まるにつれ、その境界は限りなく曖昧になっていく。
 しかもこの苦役には理由がない。劣悪な環境で重労働に駆り出される捕虜たちにはもちろん、「天皇陛下の御心の実現」のために捕虜を虫ケラのように使い捨てる日本人将校たちにもだ。そこにあるのは空疎なスローガンと誰かに刷り込まれた信念、肉体を置き去りにした非人間的な精神論だけで、彼ら自身の意思や思想はない(ということを、物語の後半では丹念に追跡していく)。
 彼らは俳句を愛し、文学について意気投合する文化的教養を持ち合わせている。それがシームレスに「大和魂」に変換されてしまう悍ましさ。美しい俳句を吟じながらさしたる理由もなく捕虜の首を刎ねることに高揚する者、その蛮行をも大いなる大義の為には不可欠である、とまるっと呑み込む者。

(ちなみにこの前者の猟奇的行為も、個人的には強い嫌悪感を抱くには至らなかった。理由は、この(見方によっては厨ニチックで滑稽な)蛮行が、陶酔でも愉悦でもあるいはイケニエを捧げるような呪術的なものでもなく、単にこれほどまでに腐り切った(物理)劣悪な場所で、理性があったら絶対放り出したくなるような無理難題を押し付けられてる(しかも失敗したら自決するしかない)わけだから、なにかしら自分を奮い立たせるものがなけりゃやってらんねーんだろな、と思ってしまったからなのだ。ナカムラにとってのヒロポンのように。そしておそらく、ナカムラその人も同様に解釈していたのではないかと思う。)

 ……うーん、しんどい。このテの物語には割と慣れている自分でもけっこうしんどい。しんどいんだが、語り部(書き手)の視点が善悪をジャッジし断罪するものではなく、使役する側とされる側、双方の心情を丁寧に追っていくので、しんどいなりに読めてしまう。というか、やめられない。キャラクターも、隅っこの方まできっちり立って魅力的だ。500頁近い大作だが、雑に扱われた登場人物はひとりもいなかったのではないだろうか。
 物語自体の構造はざっくり「線路前」「線路」「線路後」という時間の区切りに、主人公の運命の恋(不倫)と実際に結婚した妻への冷え切った感情、家庭のあり方を絡めて進んでいく。そこに、「あの線路で運命が交わった人々」のその後が描かれていく。生死が混沌とするほどに濃密な日々の後では、続く生は空虚だ。暴力を振るった者も振るわれた者も等しく、自分の中の地獄に折り合いをつけようと足掻き、混乱し、自分を偽り、贖罪に走り、それでも確信を持てず孤独に陥り、愛を失い、周囲を傷つけ、救いを見出したりそうでもなかったりしながら、それぞれの死を迎えていく。たどり着いた境地はそれぞれ異なるが、最終的にはすべてが「兵どもが夢の跡」だ。……

 普通、本を読む時は、語り部の視点で物語を読み進めていく。ただでさえ難解な物語だったが、今回はそこにもう一つ、推しに関連する視点(というか情報)が加わっていたわけだ。
 ナカムラ少佐が登場した時、(お前か、推しを選んだのは)と思った。彼が語り部でない時も、語り部の目に映る彼の姿をジロジロ見て、このいささかだらしない格好をした、絶対的に崇高な存在(天皇)のためなら自分を含めた人の生命など喜んで投げ出すつもり満々の(だが恥をかかされることだけは耐えられない)、高潔で愚直で平凡な男が、推しの姿形で喋り、怒鳴り、全身を掻き毟り、ヒロポンで目を血走らせ、泥だらけの解けたゲートルを巻き直すところを妄想する。
 きっと、厳つい顔をして滅多に笑わないが、笑った顔はやけに無防備で人懐こいのだろう。殴る時も殴られる時も表情はあまり変わらず、ただその鈍く光る目だけが──わずかに揺らぎあるいは尖って、おそらく当の本人すらも意識することのない内面の感情を垣間見せる、のかもしれない。そして画面越しにそれを見る我々はすべからく、(今のナカムラの本心が読み取れたのは自分だけだ)などと思い込んだりするのだ。……
 なんてことを妄想しつつも、この人物が曰く共感しづらい、人を甚振ることに優越感や愉悦を覚えるようなヤツでないといーなあ、と思い、やがて彼が語り部となった時には危惧していた程ではなかった、と密かに安堵したりもした(だからこそ、この役を演じるのは難しそうだなー、とも思った)。
 加えて、推しがこの男の心情を汲み取り、寄り添い、理解しようとする道筋を辿ってもいた。フツーに考えれば感情移入するのはちと難しい、大義の為ならばどんな非道なことでもゴリゴリと推し進め、そうすることに一切の疑問を持たぬ男。倦み疲れ、詩情を解し、哀れみを抱き、だが毛ほども揺るがず、外れたタガを締め直して狂気のレールに乗せ直す術を心得た男。線路後は、蚊の一匹も殺さず逃がしてやるのが常だった男。
 ──なぁ、どうしてお前はそんな風になってしまったんだ?    一体何があった?    一体何を考えてたんだ??

 読み手としては捕虜たちを襲う不条理で酸鼻を極めた暴力に胸を痛めるのは当然なんだが、安易にナカムラや彼ら帝国軍人を忌み嫌い軽蔑することもできない。それは、この物語自体がそれぞれの人物像を客観的かつ魅力的に描き出している所為ももちろんあるんだが、やっぱり推しに関連する諸々の情報も大きく影響していたわけで……
   
 終戦後、復員したナカムラは(推しは「遠い国で死んだ」と記載してたけど、台本ではそうなのかもしれない)、それでも概ね自分の行いに疑問を抱くことなく余生を送る。やがて、ある恐ろしい疑惑が不意に死を間近にした彼の脳裏を過ぎる。その疑惑(=答え)は恐ろしすぎるものだったから、彼はそれを否定する、とあの「線路」の時と同様固く決意し、全身全霊で努力し、その孤独な苦闘は誰にも知られぬまま、他人の美しい俳句を辞世の句として死んでいく。
 その心情はやっぱり理解しかねる(アタリマエだ)ものなんだが、とにもかくにもナカムラという男は、私の中では既に、ただ単純にこの物語を読んだ場合よりもずっと魅力的な、憐れむべき人物になっていたのだ。……と、思う。


 物心ついた頃からそこそこの量の本を読んできたけど、こんな読書体験は初めてだった。お陰様で、読み終わった時には溜息しか出なかった。茫然としていたし、圧倒されてもいた。フツーに読んでもクソ重い物語だというのに、フツーでは知り得ない情報がプラスされたことで、どうにも据わりの悪い、どちらの言い分もわかるし同情できてしまうんだがそもそもどーしてこうなった、このすべては一体なんだったんだ、なんて絶対に答えの出ないいくつもの問いを抱え込んでしまったような気分だ。
 こんな地獄のような世界が、つい100年前にはアタリマエだったこと。
 ──そして、今この瞬間もその地獄で殺されていく人々がいること。
 私がいる今のこの世界も、一歩舵取りを間違えば(もう結構後がないようにも思う)、あっさりと再びその地獄に転げ落ちてしまうかもしれないこと。……

 笠松将が身を投じようとしている、100年前の地獄を生々しく克明に描き出したこの物語世界。……いや、しんどかった。今もしんどい。そうか、これを演るのか……(遠い目)
 ホントになんで、この役のオーディションを受けようと思ったんだろうw
 だが、悲惨な物語だからこそ、力のある物語だからこそ、その再現性が高ければ高いほど──彼の演じるナカムラが、魅力的で、不可解で、唾棄すべきと同時に憐れまれるべき人物であればあるほど──、現実のこの世界は、100年前の過ちを繰り返すことを避ける方向へ舵を切っていけるのではないか?    ……と、思ったりもするのだ。

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