寝不足


喜代美ちゃんから団子焼けるて聞いてたからあの花見団子焼くのかと思ってたわ、と言って、草若兄さんから笑顔が返って来た。
「こういうのか。……田楽みたいでなんや美味しそうやなあ。」
「そうなんです。」
周りからは醤油の焦げる匂いが漂って来る。
じっくり焼きながらお茶も飲みながらで、ゆっくり本を読んだり話が出来るお店なんですよ、と言うと、そうかあ、と草若兄さんはソワソワしたような感じで店の中を見渡してる。
お団子焼いて食べる店やから言うて、京都のお寺みたいにはなってへんですもんね。
最近の良くある白が基調のカフェというか。
「最近オレ草原兄さんのあの本しか読んでへんな……。」
「分厚いの出ましたもんねえ。」
なんや反射で相槌を打ってしもたけど。わざわざ美味しいって評判のお団子食べに来た先で私たちも本でも読みましょうかとか言い出したらただの意地の悪い人ですやな。四草兄さんならまだしも……。
「オレ、四草にちょっとくらい読んだらどうですか、て言われてあの本いつでも読めるようにこないしてリュックに入れてんのやけど、」
「そうなんですか?」
「うん。せっかく金出して買うたんやからて言われたらなあ。」
……なるほど。
確かに、四草兄さんに今更兄弟子を敬うとかちょっとええ話を期待したとこで、二階から目薬ですけど、一応お金出して買うて――というか草若兄さんに買わせて、一通り読んだら本人に戻して、一家に一冊、死蔵してないという格好だけ付けておきたいと。ハイ。
「大体車で寝るときの枕に都合ええねんな、この厚み。」
……いや、そっちかい!!
「読んだんですか?」
「最初の序文のとこと緑姉さんとの出会いのとこまでは読んだわ。」
それって……。
「第一章から先に行ってへんやないですか、それ。」
「そうやねん……。」
それにしても、草原兄さんの落語についての本、『私家版 落語とわたし』が出たのが去年の秋の話で、草若兄さんはつまりあの本をまだ途中までしか読んでないというわけで。まあ三百ページのごつい装丁の本が出たところで、普段本読まない生活してるととっつきにくいですよね。
私の回りでは随一の業界人してる奈津子さんは奈津子さんで落語てちょっととっつきにくいとか言ってましたけど、落語は、演者でなければただ聞くだけやから、本を読むよりもずっと受動的に楽しめるていうか。
……って、なんで私が草若兄さんのこと庇うようなこと考えてんのやろ。
「それ以上先に読まれへんていうか。毎回毎回そこで止まってしまうねん。」
「毎回、毎回………なんで?」
「なんでて、最初から全部読んでるから。一章読み終わったとこで寝てしまうねん。」
全部……?
「本の最初のとこ気に入ったんですか?」
「え、そんなことないで……。はよ読み飛ばしたいし。」
「したらなんで?」
「なんでて、喜代美ちゃんこそ、なんでそんなこと気にするんや?」
「最初から読み直す人て、そんなにいませんし、」
「……はあ?」
「……草若兄さん、もしかして本て、毎回最初から読まへんとあかんと思ってません?」
「えっ ……そうやないんか?」
ええ~~~~~~。
「しおり紐がなんのために付いてるかとか。」
「アレ、最後まで読んだら後で読み返したいとこに挟んどくヤツと違うの?」
ええ~~~~~~!!!
「ちょ、ちょっと待ってください。それなら、雑誌とかどないして読んでたんですか?」
「雑誌は雑誌やから普通の本とちゃうやん? 端っこ折ってここまで読んだて目印にしとけるし。」
「……いや、普通の本も雑誌と違いませんけど。」
「そうなんか?」
「ふつうは、しおり紐挟んで、そこから続き読むんで。」
いや、そこでそうなんや!?、とかそういう顔せんでください……。
「あの、師匠が読書してるときは。」
「オヤジ、あの分厚い本毎回読んでるんやなあ、えらいなあ、て思ってたわ。」
「草若兄さんが本あまり読まないのって。」
「最初のとこ何度も繰り返しになってまうから、途中で飽きてきてしまうねん。」
「………四草兄さんは。」
「そら、いつもながら読むの遅いですね、て顔で見てるわな。」
「師匠とおかみさんは……。」
「オレが稽古場にいてても、その辺に座って落語聞いてたらなんも言われへんかったし。オヤジの本棚にはオレの読みたいような本いっこもなかったし。」
そらまあ……そうですねえ。
「ふあ。……まあええわ。焼けて来たし団子食べよ。」
もしかして、草若兄さん、昨日あんま寝てへんのかな……。
「それにしても、喜代美ちゃん、その髪型久しぶりとちゃうか?」
「そうですねえ……最近はずっと和装でお団子にしてましたさけ……。お団子髪で団子食べに行くのも洒落みたいで面白いですし、今日はひっつめる以外の選択肢にした方がええかなと思ったんですけど。」
年甲斐もなくポニーテールにしてみたけど、なんとなく元気になるというか。
「可愛い可愛い。昔みたいやで。」
オレも、初心に戻って草若兄さんの本、もっと先まで読んでみるわ、と言って、お疲れな草若兄さんは寝不足そうな顔をして、笑っている。

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