ミカの罪悪感を利用して身体の関係を持つナギサ
私が触れると、彼女は魔法にかけられたようになる。
「ナギちゃ、っ」
自室に置いたソファの上。今日はここでしようかという気分だった。冷房は直接当たらないがすぐ近く、ベッドに移るにせよ遠くない。ひとりでは使わない場所だがふたりでは必要だ。
後ろから抱えるように伸ばした腕の中で甘い声を出す人を優しく撫でる。キャミソール一枚を隔てて届くミカさんの体温は焦れたように熱くて、自分の身体がどれだけ冷たいかを教えてくれる。
私は氷の指でつつ、と彼女の下腹をなぞった。
「こんなに……焦らさなくても、いいじゃん」
「焦らした覚えはありません」
すこし嘘をついた。焦らしている。私も相当焦れている。
彼女が私の部屋を訪れてすでに相当の時間が経っているだろう。上気したミカさんの息遣いがやけに扇情的で、つい意地の悪いことをしたくなってしまった。
下着と素肌の境あたりをくい、と押し込めば、身体はぴくりと跳ねる。爪は立てない。歯も。彼女の柔らかな肌に傷を残したくない。私につけられる傷は構わないけれど、ミカさんはそれも我慢している。
ミカさんはあまりに多くを耐えている。本人が負うと決めた罰や、私が負わせた咎や、いろいろ。
『あなたの身体は私が貰います』
私はこう言って聖園ミカを脅した。
恫喝の材料ならいくらでもある。けれど最初は、これを使って恫喝してやろうなどという考えは悪意ある他人たちのものだった。友人と三人揃って乗り越えるべき困難だった。
聴聞会──ほとんど裁判というべき場で私は必死だった。友人の座る椅子を守るためだけに。結果は、ティーパーティ除名、パテル分派首長からの解任。それで済ませた。退学を回避できたことだけが、幼馴染にできた最後の優しさになってしまった。
トリニティが発端となって起きた諸騒動の大方について一旦の解決を見てからも、私はまだ学校の運営に関わり続けている。ミカさんもパテル分派の後任が決まるまでの間はティーパーティの一員として扱われる。
表面的には多くが平穏に戻った。表面だけは。他のすべてが変わった。
聖園ミカもしくはティーパーティに対する批判文書が日々投書されるようになった。厳罰を求めてデモが数え切れず結集された。「ミカさんは」と誰かに尋ねれば「今日はあそこで」と嫌がらせが浮上し別のものに尋ねれば別の嫌がらせが浮かび、あまりの件数に報告すら上がらなくなった。
茶会の様子も変わった。恙無く進む。ミカさんとセイアさんとの言い合いで会議が進まない、なんてことはもう無い。
曖昧に賛成して曖昧に従うだけで、まるで私はお飾りですと言うように愛想笑いばかり浮かべている。『なぜです』と問うても返事はない。そしてそのうち、ミカさんは茶会に出席する回数も激減した。
週に五分話すことすら叶わず、もう駄目なのかと恐れた。やはり駄目なんだと絶望した。それでも月日が経てばと希望を抱こうとして、その間にもミカさんは周囲に苛められ、デモを起こされ、投書で罵倒され、私はひと月と少しで諦めた。
そして、脅した。
『えっと……どういうこと、ナギちゃん』
『わかりやすく言いましょう。これ以上今のままトリニティにいたければ、私と身体の関係を持ってください』
今でも鮮明に思い出せる。当たり前だ。まだ数ヶ月しか経たない。
わざわざ彼女を自室に呼び出した。このためだけに人払いを分派のものに頼み込み、パテルもフィリウスもサンクトゥスも、この学校の誰も寄せ付けない空間にして。
『そうでなければ、わかりますね』
『今日のナギちゃん変だよ! そんな漫画の悪役みたいなヘンなこと言うようなナギちゃん知らな──』
『貴女のせいですよ』
違います。私が単に無力だからです。
『茶会に出席せず来てもろくに話しもせずともミカさんは友人だから、なんの見返りがなくてもミカさんは友人だから、ストレスの捌け口ひとつ無しにずっと庇い続けろと、そう言いたいのですね』
庇えたためしが一度もない私がこう言ったとして説得力も無いのに、ミカさんは言葉を飲んで、泣きそうな顔で首を横に振る。
ミカさんらしくないですね。ひとを捌け口扱いしないでよ、なんて言い返して駄々をこねてくださいよ。ロールケーキは無いけれど、それでもくだらない言い合いくらいできるでしょう。自分がふたりいるなら、間違いなく片方はこう言っていた。でも桐藤ナギサはひとりしかいなくて、その上この女は嘘ばかり積み重ねた実体のないものを突きつけてミカさんを脅している。
『身体だけです。安いものでしょう』
大切な人の身体を求めるのに、私は随分と値切った。
これ以上離れてしまう前に、どこかへ消えてしまう前に、彼女を繋ぎとめることさえできれば、理由は何でもいい。本当に、それだけだったのに。
『契約、しますか』
あまりに幼稚であまりに下卑た、もはや脅しと違わない二者択一。それでも彼女は何も訊かず、笑いもせずにただ『はい』と頷いた。
下着の中に手を滑らせる。レース一枚を隔てた中にある空気はじっとりと重く、粘度があるかのように肌を触れる。
粘つく空気の正体はすぐにわかる。ミカさんの敏感な部分はひどく濡れて、触れずともわかるほど熱を持っている。
「期待していたんですか」
「言わない、でっ」
彼女が言い終える前に押し開いた。
「────っ、ぁ」
焼けるように熱い中に、二本。引っかかりなく、まるで当たり前みたいにすんなりと入る。
ミカさんの両手はソファにかぶせたシーツを握っている。指先だけで、ぎゅっと。
耐えている。そう見える。
当たり前だ。臓器に異物を押し入れられた感触を自然に受け入れられるほど、私が彼女に信じられているわけがない。
それでもミカさんは拒まない。私がそうしろと強要した張本人だ。
動きを止めて、空いている左手で下腹をまた撫でる。苦しいだろうか。とっくの昔に終わりたかっただろうか。
「ミカさん」
柔らかな彼女の耳朶を食むように囁くと、彼女は私の指をきゅうと締めつける。私の胸の奥も、きゅうと締まる。
* *
愕然とするのはもうたくさんだが、まだ幾度しなければならないのかもしれない。
「ナギサ様。お時間よろしいですか」
私が雑務を頼んでいる同派の女生徒に呼び止められたのはロッカールームの手前だった。
「なにか?」
「お見せしてよいかわかりかねますが、先程見つけまして」
扉は開けているのにそこを立ち塞ぐようにして、「お急ぎであれば構いませんが、一度見ていただければ」と彼女は続ける。
「どのような」
「ロッカーの落書きです」
なるほど。自分が処理するまでもなく解決できそうなものだけれど、私が呼ばれたということは。
嫌な予感をひとまず放り投げて、「では見せてください」と促す。女生徒はなぜかためらいがちに道を譲った。
中に入る。あれだと、すぐにわかった。
大書きにされた「裏切り者」「魔女は消えろ」。かろうじて目を逸らせる比較的小さな言葉。泥のような汚れ。そして血糊。もしくは本物の血。
「ミカ様が使用しているものである旨確認しました」
そんなの見ればわかる。わかりたくないのに。
近づくと印象は更に変わる。隣のロッカーには汚れが及んでいない。わざわざ覆ってから作業をしたのだろうか。こんなのと私のロッカーお揃いにしないでよ、と想像上の誰かが言う。
なにかの臭いも鼻をついた。「内側も、おそらくは」。わかりきったことを言われる。
個人の占有スペースをみだりに覗き見るのはあまり行儀のよいやり方ではない。本来の手順を守り通すなら、本人を立ち会わせ、申告と現況の双方から被害を確認する。
――けれどこんな所に、一体誰がミカさんを呼べますか?
把手に指をかけると蝶番がぎいと軋む。鍵はかかっていない。もしくは壊れているか。
引き開けて見た内装も、外見とさして違いはない。腐乱した鶏卵らしき臭いと数片のカルシウム質が足された程度だ。
荷物はない。別に移したのだろうか。私の側近らが前もって。あるいは、私が今したように、ミカさんがこの扉を開けて。腐臭に鼻をつまんで、ここに何か置くことを諦めて――。
もうたくさんだ。
叫んでしまいそうだった。
もう十分じゃありませんか。これだけ汚して、これだけ傷つけようとして、まだ終わりませんか。まだ耐えなきゃいけませんか。ミカさんの罰はこれでもまだ足りないんですか。
すべて叫んでしまいたかった。
だが出来ない。ミカさんを思うことすら忌避される。
ティーパーティのホストと、クーデターの首謀者。パテル分派の首長の座を石もて追われたものと、追ったはいいがトリニティの学籍まで奪わなかったもの。私とあの人との関係は、今やそれだけ。
三分派のパワーバランスを、いくつもの権力が治めるこの学校を考えるべき者ならば、「魔女」に、「裏切り者」に対する悪意に基づく不当な行いだろうと、咎めるべきではない。
桐藤ナギサが言えるのは、何の意味もない言葉しかなくなってしまって。それを私は、
「清掃しなければいけませんね……然るべき手続きを踏んで」
絞り出した。
「トリニティの備品ですから、誰が使ってもよい様にしておかなければ」
声は震えなかった。幸運だ。よほどの幸運だ。
「ただスプレー塗料のようですから、すぐには落とせませんね」
奇跡的にも女生徒へ振り返るまでに、表情すら穏やかに戻すことができて。
フィリウス分派の長に視線で問われた女生徒は首肯した。
「代替品を手配します。こちらは目につかない場所に運んでよいでしょうか」
「はい」
「塗装業者さまへも見積りを依頼しておきます」
「お願いいたします」
一礼して、私は部屋を出た。ロッカーを見たという事実を消してしまいたかった。知っているのはあの女生徒だけ。そうしたかった。
自然と脚は執務室へ向かう。私のいるべき場所は、少なくとも私がいていい場所だから。
途中で行き会ったセイアさんは、私の顔を見るなり表情がくるりと一変した。
「ナギサ、何かあったのか」
セイアさんは困惑げというよりも悲しげな表情と声色だ。ああ、どこかで見た百面相の舞踏みたい。そんなことが頭に浮かんでいて、彼女の疑問に答えるのが一瞬遅れてしまった。
「えっと……何かって?」
「あまり君に言うべきことではないが……言葉を選ばずに言うなら、その、人でも殺しそうな目をしているよ」
殺す? 誰を?
これ以上なくわかりきっていることを、疑問符に無理やり置き換えることで、何にもわからないふりをする。
探そうと思えば探せるだろう。適宜の罪状を言い渡して、ただの厳重注意を与えるなら他に権限を持つ生徒に確認を取る必要もない。
そうできるだけの力はある。するべきか、したいか、やって喜ばれるかは別として。
「いえ。私には、何も」
ひと言で伝わったのだろう。セイアさんは一層悲しげに目尻を下げた。
* *
「いいですか」
こくんと頷くのを見て、私は指を動かした。
受け入れてくれたことへ感謝も愛も伝えず、ただお前をこれから貪るぞと脅すだけ脅して手を伸ばす。なんて行儀のいいことだろう。私の情欲は猛獣のそれより多少人間的らしい。
氷の指は彼女の体温にあてられてわずかに熱を帯びている。そのかわりに背中が冷たい。彼女に触れていない部分はいつも冷たい。
私の友人だった聖園ミカは、いつも私を暖めてくれた。サンルーム越しの一番暖かい太陽が、昼も夜もそこにいるようだった。
今更友人ではいられない。幼馴染の身分も彼女を追い立てるときに棄てたようなもの。
契約などという何の意味も持たない言葉に棄てるべき感情も想いもすべて押し込めてようやく彼女の身体だけを手にした。それ以上のものは初めから得られるはずがない。それでも得たふりをして触れる彼女のいっとう柔らかい場所は、濡れそぼって私の指を受け入れる。
「……っ、あ」
息遣いが徐々に速くなるにつれて漏れる声。十余年生きる中で数え切れず聞いた声質の、まだ慣れない声色。
時折手を止めそうになる。これ以上同じ声色を聞き続けてはいけないような気がしてしまう。
けれど止めれば、尋ねざるを得なくなってしまう。
「大丈夫ですか」
「ぅ、へいき……っ」
この一瞬に視線を合わせる。一瞬だけだ。それ以上を求めたら、桐藤ナギサでいることをやめてしまいそうになる。
何もかもかなぐり捨てて、ただの友人に戻りたくなってしまう。
だって、平気なわけがないのに。
反射的に目を逸らした。
「なら、続けます」
言いながら私の指はミカさんの敏感な場所を責め立てている。もう探る必要もなくなったその地点をく、くと押し込んでやるだけで、鼓膜に届く水音も触れる体温もあっという間に変わる。
「ぁ、や、そこ、まって」
待たない。余裕のなくなった声がすぐそばから聞こえるが、聞こえないことにしてミカさんを責める。
呆れて、嘲りたくなる。どちらが魔女だ。学籍の維持という美名のもとに無抵抗の者を脅して弄る女と、嫌がりもせずその体を委ねる少女と。
――魔女と呼ばれるべきなのは。
この問の正解を、私だけが知っている。誤答し続ける愚かさを、私だけが笑える。
世界でたったひとり、誰にも知られない復讐。
聖園ミカを魔女だなんて呼んでいいのは、未来永劫、誰もいないのです。
こんなに可愛い私の人をそんなふうに呼んでいい人などどこにもいないのです。
「まって、いっちゃう、いっちゃ──」
「いいですよ、イって」
「────っっ、」
びくびくと身体を震わせてミカさんは絶頂する。
わかっている。私が愛したからではない。
もとより誰かを愛する資格なんてものは無い。愛は感情ではなく行いだ。何もできない者が軽率に口にしていいものではない。
だからこれは契約だ。貴女の身体を犯すという契約。契約だから、いくらでも気持ちよくなっていい。悪いのは魔女だ。桐藤ナギサという魔女のせい。罪人は私で、罰はこれから決まる。
だがもし、罰を受けた先に、万にひとつを仮定して、誰かひとり愛する権利を有することができたなら。
「ミカさん」
私はただひとりに選べた人の名前を呼んだ。彼女か私かわからない何かがきゅうと締めつけられた。
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