人を呪わば
レオナ・キングスカラーが獣になった。美しい鬣を持ち、人の言葉を話せぬ獣である。
「いや、なんで」
植物園で悠々と寝そべる獣を見て、ラギー・ブッチは絶句した。その手にはレオナに渡すはずだった昼食の入った紙袋が握られている。
もし、獣となったレオナが人間用の昼食を食べられないのなら、この昼食は自分の夜食にしても問題ないだろうか。
現実逃避ついでにレオナが聞けば嫌味のひとつやふたつ飛んできそうなことをラギーが考えれば、それを感じ取った訳ではないだろうに、ラギーを一瞥したレオナが身体を起こして鼻を鳴らした。己よりも一回り大きな獣が近付いてくる様には本能的な恐怖を煽られる。ラギーはデイヴィス・クルーウェルに助けを求めた。
「せ、先生! レオナさんが近付いて来るんですけど!」
「ビークワィエット! 無駄吠えをするな。躾が十分とは言い難いが、元はキングスカラーだ。何を狼狽えることがある」
「この爪と牙は怖いですって!」
ラギーとてナイトレイブンカレッジの学生だ。魔獣や大型動物への対処は授業や実習で叩き込まれている。最近ではグリムという後輩もできた。それでもラギーの故郷は夕焼けの草原で、彼の地では今も年に数回、獣による死亡事故が起きている。ラギーの脳裏に子供の頃に聞いた物語が蘇る。それは子供達が危ない場所に入らないようにと、大人たちが子供に言い聞かせる実話をもとにした怪談だ。
ひえ。と小さな悲鳴を上げたラギーを助けたのは、クルーウェルの手伝いをしていたトレイ・クローバーだ。
「レオナ、あまり後輩を驚かせてやるな。ラギーはその紙袋貸してみろ」
そう言ってラギーから紙袋を受け取ったトレイは、マジカルペンを一振りして腰の高さの机を用意した。その机の上に皿を並べ、レオナの昼食を乗せてみせる。
「今のレオナじゃコップは使いづらそうだからな」と苦笑した彼の言う通り、水もスープと同じく皿に入れられている。
ラギーは興味深そうに机と皿を眺めた。
「ハーツラビュル寮の備品っスか?」
「ああ。よく分かったな」
「うちの寮にはこんなデザインのものないっスもん。それに、薔薇なんて飾ってあったら分かりますって」
「パーティの時の癖でな。でも、レオナが食べるには邪魔か」
言うが早いか、トレイは薔薇の一輪挿しを消してみせた。それを待ったようにレオナが机に近付いてくる。ラギーは一歩後ろに退いた。
レオナはラギーの買ってきた昼食を検分するように匂いを嗅いだ後、大きな口を開けてハンバーガーを食べた。口のサイズに対してハンバーガーが小さすぎて、ほとんど丸呑みにしたようなものだ。
「うわ。そんな早食いしたら勿体無いっスよ」
聞いているのかいないのか、レオナはすでに水を舐めている。そして野菜サラダには手を付けず、ふわりとあくびをこぼすと寝転がろうとした。
だが叶わなかった。
「俺の目の前で食事を残そうとするとは良い度胸だな」
クルーウェルが鞭を鳴らしながらレオナに歩み寄ったからだ。
「ちょうど良い。その偏った食生活は気になっていたところだ。俺が食べさせてやろう」
レオナはラギーとトレイに抗議するように吠えたが、二人がクルーウェルに意見できるはずがない。
「まあ、偶には良いんじゃないか?」
というトレイの言葉を合図に、抵抗するライオンに二人はそそくさと背を向けた。地の底から響くような唸り声が続いているが、それに同情するようでは闇の鏡に選ばれない。ラギーもレオナの好き嫌いの多さには手を焼いているのだ。少しくらい楽をしたって良いだろう。
そう考えていると、トレイに声をかけられた。
「ラギー、レオナの解毒剤を作るのを少し手伝ってくれないか? 部活動になるから賃金は出ないが、ついでにドーナツくらいは用意してやれるぞ」
その言葉に、思わず目を輝かせる。
「え、良いんスか? 今日の昼休みは暇なんで手伝えるっスよ。何しますか?」
「他の材料を用意してる間に、鍋をかき混ぜておいて欲しいんだ」
トレイが授業でも使われる大鍋を指差した。
「材料はまだほとんど揃ってないんだが、一つ煮詰める必要のあるものがあってな。それをかき混ぜながら焦げないように見ていてくれると助かる」
「了解っス。どのくらい煮詰めれば良いっスか?」
「体積が今の半分になったら、一度俺かクルーウェル先生を呼んでくれ。火は俺が付けるよ」
着替え魔法で素早く実験着に着替えたラギーが杓子を手にしたのを確認し、トレイがマジカルペンを構えた。
十分ほど鍋の底を削ぐようにかき混ぜていれば、湯気の熱もあり汗が浮かんでくる。
鍋の体積も随分と減ってきた。そろそろトレイかクルーウェルを呼ぼうかとラギーが考えていれば、後ろから声をかけられた。
「ラギー」
「トレイさん」
「お疲れさん。一度交代するよ。飲み物と軽食を用意したから食べてくれ」
「あざっス! じゃあお言葉に甘えて……」
杓子の柄をトレイに渡し、ラギーはトレイが示した長机へと近寄った。そこではクルーウェルが本を開き、トレイが集めてきたのだろう材料を精査している。
「ブッチか。脱水にならないように水分はちゃんと取っておけ」
「了解っス。これ全部食べて良いんスか?」
ラギーが指差したのは籠に入ったドーナツと、氷がゴロゴロと入ったアイスティーのポットだ。
「ああ。俺の分は別で用意してある。ドーナツは今日中に腐るものでもないから食べきれないなら持って帰っても良いぞ」
「やりぃ。いやー、今日アルバイト入ってなくて良かったっス」
珍しいものも見れたし。とラギーはトレイへと目を向けた。
彼の隣には、先ほどまではいなかった大型獣の姿がある。獣は前脚でトレイの腰あたりを突ついたかと思えば、背後から彼の肩に脚をかけ、鍋の中を覗き込んだ。
それには流石にトレイも身体を傾げたが、寸でのところで足を踏み締め、レオナに何やら文句を言っている。
レオナの笑い声が聞こえてきそうだ。
「そういえば聞きそびれてたんスけど、なんでレオナさんああなっちゃったんスか?」
「くだらんぞ」
問いかければ、ラギーに目を向けずにクルーウェルは言った。
「あの仔犬に最近恋人が出来ただろう。それを隠さなかったばかりにああなった」
「え、なんでですか?」
「授業を聞いていなかったのか? あの手の変身薬は大抵が愛する者からのキスで解呪される」
ラギーは思わず食べる手を止めてレオナを見た。
「第二王子に相手が出来たと聞いて、王宮が確かめたかったらしいな」
それは相手の愛をか、それともレオナの愛をか。
どちらにせよ。くだらないことには違いない。
ラギーはひとつ鼻で笑って、ドーナツを食べる作業に戻った。チョコレートやアイシングで飾り付けられているものも良いが、シンプルな砂糖をかけただけのものが一番アイスティーに合っている。
「それでレオナさん機嫌悪かったんスね」
ライオンの言語は猫科のそれで応用できる。ラギーは動物言語学が不得意ではないが、相手に喋る気がなければ対処できない。獣の姿を見たばかりのラギーがレオナを恐れたのも、レオナが言葉を発しようとしなかったからだ。
「誰でも望まぬ姿になれば機嫌が悪くなって当然だ。馴染んだ言葉すら奪われては尚更。……だからといって、夜には元に戻れる者を甘やかすつもりもないがな」
薬に青汁でも混ぜてやるか。というクルーウェルの言葉は聞こえなかったことにして、ラギーは変わらず鍋をかき混ぜるトレイを見た。レオナは鍋から少し離れたところで寝転がっている。ぼんやりと見ていると、ちょうど良く煮詰まったのかトレイが鍋の火を消した。途端にレオナが立ち上がり、トレイのそばへ行く。それに気付いたトレイが手袋を外して獣の美しい鬣を撫で、口の端に笑みを乗せた。
「……ほんと、くだらない」
その言葉は、自然とラギーの口からこぼれ落ちた。
誰が、いつ、何を、どのように。なんて、薬物の生成法ではないのだ。
ラギーとて己が祖母や、蒸発した父親に愛されていたことを知っている。しかしそんなことはラギー自身が知っていれば良いことで、誰かに証明しなければならないことではない。
「先生、煮詰まりました。次はこっちの薬草を刻めば良いですか?」
いつのまにか長机の近くまで来ていたトレイがクルーウェルに問いかける。
「ああ。一センチ角に切ってくれ」
「分かりました」
「ブッチはそろそろ授業が始まるから戻って良いぞ」
「はーい」
「ドーナツの残りは包んでおくな」
トレイがマジカルペンを一振りして、ドーナツの残りを紙袋に入れた。トレイは授業に戻らないのだろうかとラギーが首を傾げれば、研修先が決まっている者はすでに自習が大半になっているのだという。
「これも自習には変わりないからな」
クルーウェルから直接指導を受けられる上に、普段は作っても使いどころのない薬の出来栄えを確かめることができ、しかもお菓子作りをする時間もある。
「一石三鳥だ」
と告げるトレイに、ラギーはそうっスね。と同意した。
トレイに愛する者を獣にしてしまった気負いはない。
レオナもそんなくだらないものを彼に背負わせる気はないだろう。
レオナが王宮の大人たちから付けられた傷のように、そんなものは背負わせようとする者だけが責任を負えば良いからだ。
「レオナさん」
植物園から出て行く際、ラギーは寝そべっている獣にそっと耳打ちした。
「どうやって王宮の奴らにやり返すのか、面白そうなんで後で教えて下さいね」
レオナはうっそりと目を開けて、小さく吠えた。
その答えに、ラギーは声をあげて笑った。
レオナを呪った人間がその報いを受けることに、大声で、笑った。
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