お洋服交換べにことの導入

それはいつかの夜更かしな日の話が切っ掛けだった。

『そういえば昔、べにとことで制服の交換してあそんでいたわね』
『わ、してた! マチ子ちゃんよく覚えてたね?』
『何となくフォルダを見ていたら、べにが送ってくれたその写真が出てきたの』

その後、マチ子から送って貰った写真をことはそのままのノリで“懐かしくない!?”という文面と一緒に紅へ送り付けた。普段は仕事の修羅場時は例外としてこういったメッセージの返事が早い紅だったが、とっぷりと深くなった時間だったこともあり、とうに眠りについているのだろう既読表示はすぐに付くことはなく。
ことも何か大きな期待や理由があって送ったものではなかったので返事の有無を気にすることなく、送った事だけに一頻りの満足感を得ながら違う話題へと移り変わっていたマチ子と凛との談笑へ加わるべく口を開いた。


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翌朝、いつも通りに共有スペースで寝落ちしたことは目が覚めると見慣れた自室が広がる光景に寝落ちの事実を自覚した。運んでくれたであろう男の姿を思い浮かべながらスマートフォンを探り画面を開くと、ロック画面に並ぶのはいくつかのメッセージ。あえてアプリは開かず冒頭部分しか表示されないそれらのメッセージに眠気で字が滑りそうになりながらぼんやりと目を通していると、パチッと思わず大きく瞬きする一文が飛び込んできた。2件来ていたそれは、シンプルながら今すぐ確認しないとと思わせるには十分なもので。

“ことの午後、私に頂戴!”
“あ、化粧はまだしないで!”

学生時代から変わらないお気に入りのスタンプと一緒に送られてきた文に、ことは思わず時計と交互に見比べる。現在時刻は11時過ぎ、まだ十分な余裕があることに安心しながら唐突なお願いに思わず笑いを零すものの、続く一文には疑問が残る。
新しいコスメでも試すのかな、なんてぼんやりと適当に思い当たりそうな事柄を考えながら了承の返事を送りベッドの上にスマートフォンを放り投げた。ぽす、とクッションに埋まる音を聞いてからベッドを下り、大きな伸びを一回。ゆるやかに身体が起きていく感覚にことは無自覚に口角を上げた。


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“13時くらいには帰るから、ことの部屋行って良い?”

そんなメッセージが届いたのは、ことが喫茶店で朝食と兼ねたランチを食べていた頃だった。この連絡でそもそも紅が外出していることをことは知ったのだが、特に何を思う訳でもなく返事を返し机上にスマートフォンを戻すと店員として働いていたマチ子と目線があった。
自分が寝落ちた後でもすぐに解散せずマチ子と凛は話しているのを知っていることは、目の前で手土産用として販売しているクッキーを梱包しているマチ子にもう働いてるなんてすごいなぁ、と単純ながら心からの感嘆の思いを馳せた。凛ちゃんは多分まだ寝てるのに、なんて誰かの部屋で爆睡しているであろうもう一人の夜更かし仲間を想起し小さく笑っていると、マチ子は小さく首を傾げて見せながら笑った。

「べにから?」
「えっ、うん、そう!なんで分かったの?」
「べにが朝ごはんを食べに来たときに楽しそうだったの。“こととちょっと面白い事しよっかなって”って」
「面白いこと?」
「あら、こともまだしらないのね。私にもひみつにしてたし、帰ってきてからのお楽しみね」

そう言うマチ子もどこか楽し気に笑って見せた。それにつられるように笑いながらこともうん、と笑って頷くと、それを見たマチ子は満足げに梱包したてのクッキーを2つ、ことの掌の上に握らせた。それが本来お客さん用の販売品と分かっていることは受け取りながら手元のクッキーとマチ子を交互に見遣ったがその反応すらも楽しむかのように人差し指を口元に当てながら小さく微笑んだ。
時刻はお昼の12時過ぎ、紅のやりたい事に対して何一つ思い当たることはないが少しずつことの心は弾んでいった。

13時近くになって来た頃、ことは“もうすぐつく!ことの部屋行くから!”という紅からのメッセージに従い喫茶店から自室に戻って来た。まだ13時にはなっていないものの、いつ来るかもはっきりではないこの小さな空白の時間を持て余すのもなと思い愛用のギターに手を伸ばした所でインターホンが鳴った。
メッセージ送って来てほんの数分しか立っていない到着に、きっとマンション傍の信号待ちで打ったんだろうななんて想像しながらギターに伸ばしかけていた腕を引っ込める。そしてそのままの勢いで立ち上がっては、ドアアイで確認することもインターホンに応答することもなく自信満々にドアを開いた。“待ってたよ紅ちゃん”、そう言うつもり満々だった筈のことは、視界に飛び込んできた姿に思わず目を丸くした。ぽかん、そんな擬音がぴったりと似合う表情だ。

「あ、確認しないでドア開けたな? 響に怒られるよ?」
「紅ちゃん髪!」
「ふっふーん、伸ばしてきました!」
「すごーい! え、何、エクステ?」
「そそ、シールエクステ初挑戦してみました」

両手に結構な荷物を抱えて立っている紅は、いつもの見慣れたシルエットではなかった。すっかり見慣れた筈のボブヘアは肩甲骨より下まで伸びたロングヘアーとなっており、中学生ぐらいまでの紅ちゃんはこんな感じだった気がする、とことを懐古させた。
次いで両手を塞ぐ大荷物に目線を向けるとことはその片側に手を伸ばす。紅は特に抗う事なくそれを差し出すと結構な重さを感じた。質量と感触的に服かな、なんて思いながらことは紅を自室へと招き入れた。それ程長くない廊下を先導しながら横目で紅が持つ荷物を盗み見るがサイズ感は小さいが少し重さがあることを窺わせるのは容易い程度には、しっかりとした質量があった。ガサ、とビニール袋が擦れる音もする。

「ごめんね持って貰っちゃって、適当で良いよ」
「ううん、それは全然! これなぁに?」
「夜中さ、こと写真送ってきたじゃん、高校の時の奴」
「…あ、そう!マチ子ちゃんがそういえばって思い出してくれて」
「私も朝見てさ、懐かしいなーって。んで、今やったらもっと面白そうじゃない?」

そこまで聞いて紅が言う“ちょっと面白いこと”の検討がつき、所在なさげに抱えていた荷物の中身にもことは明確な確信を持った。ぱああっと明るくなっていくことの表情に自分がやりたいことを察したのだと紅も気が付くと、皆まで言わずにどこか悪戯めいた笑みを浮かべて見せる。
ことは抱えていた荷物を自身のベッドの上に乗せると、中を開けて良いか一言確認し、頷いて見せた紅の様子を見遣るとその荷物を解く。そこには見覚えがある洋服が何枚か入っており、1枚ずつ広げてベッドに乗せていくとそこに広がったのは何度か見たことがある紅の私服コーディネートの1つが完成した。我慢できないと言わんばかりに笑い声を立てる。

「え、まさかその為だけに美容室でエクステ付けてきたのっ?」
「当たり前じゃーん! 折角ならことに寄せていこうかと」
「やばー!」
「大人だから出来る遊びだよね」
「豪遊!」

軽口を叩きながらケタケタと笑うことはクローゼットへ手を伸ばす横で、慣れた様子でカーペットに腰掛けた紅は自身の腕に引っ掛けていたビニール袋から持ち運び出来るコンパクトサイズのクレンジングシートを取り出しおもむろに自身の顔をなぞり化粧を落とし始める。その行為を横目で見遣りながら貸したのに、と告げてくることに紅は時短時短、と笑う。
ベッドの上に広がる紅がチョイスしたコーディネートは特別気合が入ったものではないので、自身も揃えるなら出来るだけ何時も通りの私服が良いだろうと迷いなく取り出してはベッドの上へ並べていく。数分も経たずに完成したことのコーディネートは、横に広がる紅のコーディネートと比べると些か布面積が少ないように感じる。“別ジャンル”ともいえる系統の違いがことには無性に面白く感じた。

紅も丁度化粧を落とし終わり、続く行動をしっかり決めていたことが窺える迷いない所作でまだ解かれていない荷物へ手を伸ばした。解かれた荷物から最初に出てきたのは持ち歩きするには大きなコスメボックス。流石にこれらの荷物はことの部屋に来る前に取りに寄ったんだろうな、と紅の用意周到さに感心まで感じながらこと自身もそれに倣うようにコスメを収納したポーチを手に取った。
普段定位置に置いたままのそれを久々に移動させたような気がすると、その重さに内心驚いた。きっと底の方にはあまり使っていないコスメが入っていることにすぐに思い至ると断捨離しないとなぁ、なんて小さな反省を脳裏に浮かべながら机上に先に置かれていた紅のコスメボックスと並べるようにメイクポーチを置いた。

そのタイミングを見計らったかのように立ち上がった紅は、漸くベッドの上に並んでいる2つのコーディネートを見てすぐさま吹き出す。どこか予想通りだった反応にことは笑いながらコーディネートの片割れ―紅が普段着用しているトップスに手を伸ばす。紅も一頻り笑うとすぐに落ち着き、ことに続くように手を伸ばす。
時間にしてみれば着替え始めた時間は30秒程度の差があったものの、結果的に着替え終わった時間はほとんど同じくらいのタイミングで。それはことのコーディネートがいかに紅のコーディネートよりもラフで、尚且つカジュアルに形成されているのかを証明するものだった。

「紅ちゃん、普段こんな感じの着てるんだね…? こと、違和感がすごい」
「とりあえず化粧する前に靴も履いてみてトータル見る?一応その服に合う前提で履いてきた奴だし」

ことは膝にスカートの裾が掛かる感触にくすぐったさを感じて仕方なかったが、紅も紅で全く逆の違和感を感じていた。まだ鏡を見た訳ではないが、化粧を施していない現時点でも十分雰囲気はガラッと変わって見えていることだろうと思うのも自然な流れで。玄関まで戻ってくると、ことは先に既に並べられていた紅のパンプスに足を掛けようと爪先を伸ばすが、紅が待ったを掛ける。

「待ってこと、座って履いた方が良いかも」
「え、そうなの?」
「こと、普段ヒール履かないでしょ?」
「あ、」

紅は基本的に3,4センチほどのヒールがついたパンプスを愛用している。紅自身の背丈が特別ある方では全く無いので普段は余り感じさせないのでことはうっかり失念していた。ことは普段余り靴底に厚みがない、俗に言う“ぺたんこ靴”の類を愛用しているのでヒールには不慣れだ。紅の助言に素直に従い玄関に腰を落ち着かせながらパンプスを履くことにしたが、手こずる事もなく収まったパンプスにことは謎の自信が湧いてきた。例えばマチ子が日頃履いているようなハイヒールだと立てないかも、と緊張してしまいかねないが、これくらいなら―そんなちょっとした自信だ。
紅はことにそんな自信が湧いていることに気付くことなく、これ借りるね、と幾つか並んだスニーカーに手を伸ばす。片手片足を上手く使い立ったまま両足しっかり履き揃えた紅はとんとん、と少しだけ爪先を地面で叩きながら“ぺたんこ久々だわ”なんて笑っている。こともそれに続こうと立ち上がる。立ち上がった。立ち上がった、のだが。

「わ、わわっ…!?」
「ちょ、こと大丈夫っ?」
「だ、だい…大丈夫…!」

自分で思っていたよりも勢い良く立ち上がってしまったことは、その勢いが余るままに思わず前方に傾き、反射的に転ぶことを防ぐ為か踵に力を入れた。普段よりも踵の面積が狭くなっており力を逃がし辛くなっている―そんなことにヒールに慣れていないことが気付く筈もなくよろめいたが、壁に右手を付き、左手を紅に支えてもらう事でバランスを取り戻した。一度バランスを掴めば立つこと自体は問題ないが、それでも足元の不安定さを感じてしまうのは否めず、ことは思わず紅に握って貰っている右手をきゅっと握りながら紅を見遣ったが、その時の視点にまた小さな違和感に気付く。

「あれ、紅ちゃんちっちゃい」
「アンタがヒール履いてるからだって。めっちゃ似合ってるよ」
「ほんと!」
「ほんと。あとは歩けるかだけど…とりあえずメイクしよっか!」
「するー!コスメ交換こしよっ」
「もっちろん、そのつもりで持ってきたし!」

広いとは言えない玄関できゃっきゃ、とはしゃぐ二人の姿は高校の制服を交換したあの頃と何も変わっていないことを指摘する人間はその場にいない。ただこれから手を付けるコスメ達は高校生の頃の二人にとってまだまだ高嶺の花だったことにまだ思い至っていない。そんな当たり前の移ろいに気付くのは数分後。化粧に取り掛かる為にするりと容易くスニーカーを脱いだ紅に続こうとパンプスに手を伸ばしたことがまた軽くよろけてしまうのは数秒後のことだ。

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