坊主


「アカン、ここはこう……それやと引っ張られてるのやのうて引っ張ってる方やないか、」
「……。」
「ええから、くどくど言い訳せんと、ちゃんと切り替えせえ!」
いつものように枝折戸をくぐる前から、表に稽古場の草原兄さんのどでかい声が聞こえて来る。
対する兄弟子は劣勢らしい。
こういうとき尻馬に乗る二番弟子の声も、叱られてる本人と同じくらいどんくさい妹の合いの手も、何より師匠の声が聞こえて来ないのも妙な話だった。
師匠が不在なら帰って出直すか、と踵を返そうとしたところで、いつもの縁側からはどてらを羽織って落花生を摘まんでる座敷の師匠と目が合った。
なんや……?
まさか師匠も三日……いや、一年坊主やないやろうな。
「師匠、おはようございます。」
「おう、おはようさん。」
起きてるがな、と言わんばかりの顔で欠伸をしてる。
まあ、今からやっぱり師匠やめるわていうたら、恐竜頭の兄弟子が動揺して師匠のジャージの膝に取りすがっとるやろう。
「今日の稽古、もう始まってるのと違いますか……?」
流石に、耳が聞こえんようになるのはまだ早いんと違いますか、と言おうとしたけど止めておいた。
稽古嫌いの師匠にお稽古お願いしますというたところで、その日の機嫌によっては稽古付けて貰うの失敗した日かてあったな、そういえば。
「なんや朝から眩暈がするて言うたら、若狭に寝とけ寝とけて言われてな。今日は師匠休みの日ィや。」
「……大丈夫なんですか?」
「まあ季節の変わり目や、三年酒飲んで寝太郎してたら、ガタが来るのも早いわな。」
「師匠……!」冗談や、冗談、と師匠は手を振った。
「まあ今のは冗談としても、今日は朝早うに来た草原が『私が師匠の代わり、務めさせていただきます~!』、てはっきり言うたからな。好きにさせたったるねん。まあ、オレがおらへん間もアイツが師匠みたいなもんやったし、堂に入ってるわ。」
師匠は稽古場に目をやった。分かっててここにいるのはその雰囲気から感じられた。
僕たちが押しかけ稽古している間、この人が、外でこっそり聞いていたらしいとは若狭から聞いてはいるが。今日もそのつもりだろうか。
「草原兄さんで……時うどんですか?」
「草原のヤツ、オレより厳しいのとちゃうか? さっきから、小草若がもう、めためたにやられてるで。お前も、オレと一緒に見物に行くか?」
どうや、と首を傾げられたら一緒に行くしかない。
師匠お先にどうぞ、と言うと、弟子が先につゆ払いしとき、と言われて手を振られた。
その落花生、そんなに美味いんですか?

powered by 小説執筆ツール「notes」

18 回読まれています