こわい話
「今夜も、お客さんの入りイマイチですねえ。」と喜代美ちゃんがため息を吐いた。
今日は涼しそうな絽の着物を着てるけど、これも小梅師匠のお下がりなんやろか。
似合ててかいらしいなあ、て思った端から額に汗がにじんでる。
まあ、こういうのは見てる方は涼しいけど、クーラーがガンガンに利いたとこやないと、ちょっと動いただけで汗をかいてしまう代物やからなあ。
とっとと終わらせますか、とアンケート入れの空き箱を持ち上げる。
中身はどないや、と振ってみると……なんちゅうか、軽~い音がするねんな。
「まあ、こんな暑い日に大入満員とはいかんわなあ……。」と言うと、ほうですねえ、と喜代美ちゃんが相槌を打った。
「草若兄さんにアンケートの回収まで手伝ってもらってすいません。」
「ええてええて。」
草々が弟子を引き連れて遠くに仕事に行ってるときは、こないしてオレとか草原兄さんとかが一応戸締りを一緒にしてやらんとなあ。
……ていうのを口実にして、オレが喜代美ちゃんの顔を見たいだけなんやけどな。
「お客が少ないからていうのもありますけど、土日とか、平日の『いつもの』師匠方が出てるお昼の番組なら、もうちょっとなんとかなってるから、やっぱり新しい子を励ましたいみたいな人が少ないんかと。」
アンケートの箱を逆さにしても、出て来るのは思った通りの数枚きり。アンケート用紙は色の付いた紙やし、配るための紙代と印刷費が勿体ないてなもんやで、これは。
かといって、なんちゃら総選挙みたいに宣伝も仰々しいにやって、広告も打ったところで、若い層に広まったと思ったら、生きのええ若いのにおかしな客が付いてもうた~、て流れも困るし、ほんまに難しいとこやで。
「アンケート、こないだみたいに日暮亭特製・底抜けステッカー当たります、て言うの、もうちょっと続けてたら良かったんちゃうか?」
「そらまあ、草若兄さんの高座の時ならいいですけど、毎回はあかんと思います。まぁた徒然亭が日暮亭を私物化してるぅ~て、言われてしまうし。」
私物化て。
「そんなん、どこのどいつが言ってんのや……?」
「誰とは知りませんけどぉ、柳眉兄さんとか尊建兄さんが高座のときにここの二階に寄ってって、草々兄さんのこと外に連れ出してくれるついでに、ここにだけおったら分からんような話も聞かせてくれなってるんです。」
「外に連れ出して、て。どうせ落語の話したさに外に飲みに行ってるだけやないか……。喜代美ちゃん、草々のヤツ、金あんのか?」
「ないと言えばないし、あると言えばあるような……。」
なんや判じ物みたいやな。まあ、いくらいくらもろた、てちゃんと領収書切ってくれるとこもあるけど、ご祝儀袋に入れて、『はいこれ。今日はありがとうさん。』てところもまだまだようけあるていうか。草々なんかは、そば付の落語会みたいなもんによう出てるから、こっそり中から抜いて飲み代にしてる、なんてことは……いや、うちのオヤジとはちゃうか。
「まあ草々兄さんも師匠の抱えてた借金のこととかまだ覚えてるのもありますし、柳眉兄さん達にも、出来たらツケの利かん寝床でお願いします、て言うてありますので。」
ええーー………。それ、逆にあかんヤツとちゃうか……?
「ええのんか? 他所ならタクシーで行って帰って来れるけど、寝床では、喜代美ちゃんがあいつのこと迎えに行かなあかんやろ。」
「それはええんです、私もお咲さんとか熊五郎さんの顔が見たいですし。月々の師匠方の時や新しい子たちのお弁当頼んでるのもあって、草々兄さんの食べ残し包んでおいたよ、ていう体でその日に出されんかった料理とかご飯おにぎりにして包んで貰えてて。」
「そら助かるなあ。オレも、最近は米派に戻ってんのやけど、おにぎりて、片手で食べられるしそこが助かるていうか。」
「ほんまに有難いと思います。おかあちゃんやる、言うて自分で決めたくせに全部かっちりとは出来へんでえ。」
「そら、日暮亭のおかあちゃんは、普通一人では手に余るで。柳眉や尊建だけやのうて、草原兄さんやオレのことももっと頼ったったらええわ。」
「ありがとうございます。」
「明日っからお盆が終わるまで、ずっとこんな感じなんでしょうか。」
そらまあ、この先の最高気温見たらなあ……。
それにしても、去年かて割と冷夏とちゃうか、と予報が出てた割には暑かったし、今年も、去年と比べたらまた気温上がってる気ぃがするし、通って来る客の方かて大変やで。
「客入らへんのはかなわんけど、たまには楽したらええんとちゃうか。…まあ八月の十三日、しかも平日の、て言うたらな、いつものお客さんたちも実家戻ったり、家で素麺でも食って寝てるやろ。」
「……ですよねぇ。あの磯七さんですら、うちとこの弟子も出てるていうのに、お昼の番組で鼻提灯でしたもん。もうオレみたいな年になると、家で西瓜食べることしか出来へんのや、て言われてなんや切なくなってしもて。」
「そら、そういうしかないわなあ……。」
落語のお客さんも段々高齢化してると言っても、昔は六十代や七十代止まり、戦前戦中の世代でそれなりに矍鑠たるもんやったけど、数が多くもなかった。それが今や、超高齢化社会ていうか、アンケートでも八十代でまだ手の震えも来てへん人もいて、時代が変わったなあ、というとこや。
逆に、若い世代はもう、昔の緑姉さんみたいにきっちりアンケート出して帰る方が少なくて、高座が終わったらすぐに携帯電話の電源入れて、帰りの電車の経路の検索したり、家族に今から帰るで、と言ってるお客の方が多い。
ていうか、今日の出番やった若いヤツらも、もうそろそろ帰る頃と違うか?
そんな風に思ってたら、階段から降りて来る足音が聞こえて来た。
「夏の怖い話するで~!」
「やろやろ!」
「オレなあ、こないだ四草師匠にきつねうどん奢らされて、財布見たらもう二十円しかなかってん……。」
「そら、底抜けに怖い話やで。」
(あっ 四草、あいつ何やってんねん。)
(すいません、草若兄さん……。)
(いや、喜代美ちゃんは謝らんでもええんやで。)
「オレもオレも! って言うてる場合とちゃうな、オレんとこなら歩いて帰れるけど、お前んとこの師匠、御堂筋線やろ。それどこにも行けへんやないか……どないして師匠んとこ戻ったんや。」
「しゃあないから、その辺りにおった師匠方にお願いして電車賃借りてしもた。まあ師匠方って言ってもなあ……大師匠には難しいし。草若師匠とか。」
(オレか? そういえばあったな、二百円貸してくれてヤツが。)
「分かる~! 草若師匠て、気ぃついたらいっつもその辺におるよな。」
「あの人、金とか貸してくれんの?」
「いや~、それが割と、しゃあないなあ、若狭に頼るなよ、て言うてくれるんや。太っ腹やしありがたいで。」
そこまで言ったところでオレに気付いて、
「うわあ、草若師匠!」
「出たあ!」
……いや、お前ら、オレは幽霊とちゃうで。
「人に聞こえるとこで言うても、何も出えへんで。」
「え、草若師匠、本物……!!」
「まだこんなとこにおったんですか?」
「ってお前、そこは普通にお先に失礼します、やろが。」と二十、いや二百円……名前なんやったかな……一緒に並んでたヤツに肘打たれてる。
なんや昔のオレと草々より今のヤツらのが仲ええなあ。
それでいて、向上心ないわけともちゃうし、おかしなもんやで。
「そやった……!」
「暇なおっさんで悪いなあ。まあええから、もう気を付けて帰り。」
はあい、と言う若いもんの背中を手を振って見送ってからため息を吐いてると、「草若兄さんも、四草兄さんと暮らすの、なかなか大変みたいですね。」と喜代美ちゃんが生温い視線をこっちに向けた。
ほんま苦労やで……。
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