落葉



水にさらしていたそうめん入りの笊の中にいつもの製氷皿から小さな氷を落とし込んでいると、ちゃぶ台の上から夏休みの宿題を片付け終わったらしい子どもが、「草若ちゃんにお昼出来た、って言ってくるね!」と席を立った。
中から剥がれない氷はなんなんだ。
流しの角に打ち付けてもなかなかに剥がれない製氷皿の氷。
ちなみに、子どもがいると、こういうあほらしい疑問を自分に向けられた場合は、答えるために図書館に行く必要が生じる一方で、自分の中に生じただけの疑問の場合は、電話相談という最終手段が可能になる。
自分で頭をひねる必要も、調べる手間も必要がない。必要なのは電話代だけ。
ちなみに、これまでに子どもの自主性を奪うような形で電話を掛けさせたことは一度もない。そう仕向けたことならあるが、大体はアホ面をした兄弟子が後ろで見守っているし、電話作戦の結果が上々でなくとも、『また次掛けような、』という声掛けと肩を叩く仕草で仕舞いである。
閑話休題。
生姜と茗荷は準備を終えていて、後は濃縮出汁を水で薄めて、その中に氷のかけらを入れ込むだけだ。
僕は冷やしうどんが好きだが、今日は三十度を越える暑さとあって、兄弟子の好みに合わせてある。
「草若ちゃん、もう何やってんのーーー!」
廊下から突然子どもの雄叫びが聞こえて来て、またか、と頭を抱えたくなった。(階下から苦情が来るほどの声は立てるな、と言っているが、今は一階の中華料理屋は夏の長期休暇中である。)
着替えも持たずにシャワーを浴びに行って、穿いてたトランクス一枚で部屋に戻るとか、着てたトップスの丈が長ければ、パンツなしで素足を丸出しにしたまま廊下をうろうろしてるとか、このところの兄弟子の奇行を数え上げたらきりがない。
長年クーラーで部屋の気温を調節するか、部屋に戻らずサウナで夜明かししていた男にしてみれば、扇風機だけの部屋で暮らすことに耐えられないということなのだろう。
まあ僕かて時々は暑さに負けることがあるけど、子どもの前で見苦しい格好はなかなか出来ないものだ。
今回はどっちだ、と思って子どもが戻って来るのを待っていると「僕が着替え取って来るから、あっち戻ってて!」という声が聞こえてきた。
「……?」
いくら、うちに草若兄さんの乾いた着替えをまとめて畳んでいるところとはいえ、普段であれば、『そうめん出来てるから、部屋戻ってちゃんと普通の服に着替えてから来てや~。』辺りの声掛けが順当である。
今日はなんや、と不穏な空気を読み取って出入り口のドアから顔を出すと、丁度、一枚のタオルがO・ヘンリーの短編に書かれた秋の落葉のようにゆっくりと廊下に落ちて、本体は中に引っ込んだところだった。
……ちょっと待て。
共同のシャワーのあるドアからにょきっといつもの見覚えのある細い腕が伸びて、タオルを引っ張った。
「……冗談は顔だけにしてくれませんか?」
年下の男は、出会った頃からずっと、自分のことを苛々させる名人だった。
すっかり期待することを止めてしまったからか、母親に対してだって、こんな風に腹を立てたことはない。
落語に対する中途半端な姿勢とか、言い訳染みた態度がすっかり鳴りを潜めた今も、時々はこうしてひどく苛々させられる。
誰が出入りするかも分からない廊下であんな風にストリップを披露するなど、言語道断の所業と言っていい。
「あ、お父ちゃん、草若ちゃんの着替え貸して、早く!」
部屋に戻ってきた子どもが手を出したので、湯が沸く間に畳もうと思って果たされずに部屋の中に放置してあった、暑苦しい色合いのTシャツと熊のイラストがプリントされたトランクス、その上に履くショートパンツ(時々何かが見えそうになっている)を丸めて手渡した。
ちゃんとタオル巻き付けたで~、とこちらの頭がくらくらする呼びかけに「ちょっと待っててなー!」と答える子どもは満面の笑顔である。

(せやから、お前は修行が足らんて言うてるのや。)

座布団を枕に横になった師匠の顔が思い出されて、僕は大きくため息を吐いた。

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