にぶんのいち/聡狂(2024.03.06)
もうできあがっとるわ、この子。
顔を赤くした聡実は狂児にぐでんともたれかかり、目が据わり始めている。両手でひしりと掴む動作も、握りしめた缶チューハイの度数も世間的にはかわいいものだが、そろそろやめておいたほうがいいんじゃないかと思う。
「ほら聡実くん、ゴキゲンなんはええけど、もう飲んだあかんよ」
「なんで、ぼくまだ飲めるから」
「いやいや、ちゃんと喋れてへんて。めでたい日やけどな、明日しんどなってまうで」
狂児が缶を取り上げようとする手を避けて抱え込むようにしながら、聡実がぐいぐいと体重を押し付けてくる。聡実の住む部屋は、大学生のときのアホみたいな狭さではないし、ふたりならこんなに身を寄せなくてもいいというのに。
荒事のために自然と鍛えられた狂児と違って軽いままの身体だが、いとしい人の体温はひどく重たかった。こうなると聡実は頑固で──いや、普段からこだわると譲らないところはあるけれど、その一面が常に出てくるのが酔っているときだ。
まだ二本しか開けてへんのになあ、狂児は自分のために買ってきておいた麦茶を喉に通した。こんなんで生きていけるんか、心配なるわ、そう思うが、聡実は狂児とは違って社会のあかるいところを歩く人間だ。酒が強くないからって、身の危険に晒される可能性は低い。
「ん〜」
「あ! 飲んだあかん言うたのに! それ寄越しなさい」
「ええよ、もうからっぽやし」
この酔っぱらいをどうするか考えあぐねているあいだに、聡実はさっさとそのアルミでできた入れ物を煽ってしまった。ため息をついて、狂児も同じように、手に持っていたコップを口に当てて天井を仰いだ。渡された空の容器を1K特有の狭いシンクに置きに行きたいが、聡実は未だ狂児を離してくれそうにない。
「そろそろ寝よか、聡実くん。目ぇしょぼしょぼなっとるやろ」
「きょうじさん、」
「なんや〜」
甘えるとき特有の声音だ、と気付いて狂児は動きを止めた。聡実はよく怒りながら照れているから、率直に擦り寄ってくることの方がまだ少ない。酔ってる聡実くんに手出すわけにはいかんけど、やっぱええなあ、と胸中で一人ごちる。左手で空き缶とコップを持ちながら、逆の手で力の入らない腰を抱いてやった。
「僕、もう二十五です」
「そやな、めでたいなあ」
「そうやなくて」
そうやなくて、もうはんぶんです。したったらずに訴えてくるには切実な響きがあって、聡実くんはかわええなあ、思う気持ちが溢れそうになる。
「きょうじの生きてきたはんぶんや」
「そやなぁ、まだ半分やなぁ」
「半分、も、や、はんぶんも……」
声が小さくなって、聞き取れなくなる。ぐっと俯いてしまって、落ち込んだんか、と焦るものの、顔を急に上げたあと思えば何を思ったか伸び上がってキスを仕掛けてきた。
完全に酔っぱらいや、何考えてるかわからん。くちびるを狙えずに下顎やほほに押し当てられるうすい皮膚はやわらかく狂児をくすぐった。
「聡実くん、お布団行こ。な? お水持ってきたるから。歩ける?」
聡実はあいまいに頷く。一緒に立ち上がってやって、ふらふら数歩進んで、無事ベッドに倒れ込むところを見届けた。寝言のようにはっきりしない呻きを背後に聞きながら、机の上に置きっぱなしだった皿を片付ける。一人ひとピースずつ買ってきたショートケーキ、上に乗ったいちご、おやつのときだけ出すちいさいフォーク。ろうそくもチョコプレートもない誕生日。
来月で齢五十になる狂児のまだ半分しか生きていない、ちいさな青年だ。
洗い物は明日でいいだろうと放り出し、聡実が彼自身の収入にしては奮発して買った広い寝床に向かう。すっかり寝具に収まってしまっていたから、助け起こすのも面倒で持ってきたグラスをテーブルに預けてしまった。無理やり引っ張ったせいで一角がずるりとずれ落ちた布団を直してやって、隣に潜り込む。
眠ってしまったかと思ったが、聡実はまだ起きていた。まぶたをほんのすこし開けてこちらを伺う目にあるのは不信とさみしさだ。
「僕は狂児のこと五分の一も知らん」
暗くした部屋に聡実の声がぽつり。出会って十年とすこし。狂児が生まれてから、三十九年経ってようやく出会ったひと。
「ぜんぜん知らん、きょうじのこと、」
泣き言に近いそれを聞きながら、普段より高い温度を腕の中に閉じ込める。
「でもなぁ聡実くん、この十年はな、それまでに比べたらだいぶ濃かってんけどなぁ」
狂児が迷いながら選んだ言葉を聞くことなく、聡実は夢の中に行ってしまっていて、あーあ、もったいないわ、呟きながら一緒に目を閉じた。
[#改ページ]
「ヤバい、めっちゃ頭痛い……」
「聡実くんかわいかったで、ぼくはまだ狂児さんの半分しか生きてない言うてべそべそ泣いとった」
「は? 泣くわけないやろ。半分『も』や、半分『も』」
powered by 小説執筆ツール「arei」