禁止


「……別に出たいわけとちゃうで。ただ草原兄さんも草々も出てる落語会にオレが呼ばれてないのはおかしいやろ、ちゅう話をしてるだけで。」その言い訳の口上に、僕はつい笑ってしまった。
落語家は普通、自分が出たくもない落語会の話なんてしないでしょう。
そんな風に正直に言えば拗ねてしまうのは分かっているので、僕は泡のように浮かんで来る笑いをかみ殺しながら、膝の上に頭を乗せている人の髪を撫でる。
この間揃えて来たばかりだというのに、前髪がまた少し伸びて来た。
すると、「そういうのええて、」と髪を撫でる指を、ぶっきらぼうな手に払われた。まだあかんかったか。
「呼んで欲しいですか、四草会。」
「その名前もおかしいやろ。普通は『徒然亭四草 独演会』とか。」
「そういう会とちゃいますから。普段の独演会で、ゲストがないことなんてほとんどないでしょう。四席で済むならええですけど、客の反応悪かったり、客にウケへんと勝手に巻きが入って、最終的には五席か、下手したら六席になることもありましたからね。」
「……六席?」と草若兄さんは眉を上げた。
「まあ、客が落語やのうて僕の顔だけ見に来てるような日とかはそうなりますね。まあ大きな原因は、主催にゲスト呼ぶ金と人脈と興味がないていうことなんですけど。僕自身、協会に入ってへんのもありますけど、草々兄さんや草若兄さんと違って、一門以外の横のつながり全くないですから。」
草原兄さんと草々兄さんと、あとは若狭くらいだと数えると「お前はもう、十年以上この世界におるくせに、頼れるのは一門の人間だけかァ?」と呆れた顔をされた。
まあ、草々兄さんに頭を下げれば、あの三馬鹿トリオのうちの頭の悪いふたりのどちらかが出てくれないこともなさそうだと目星をつけたことも過去にはあったが、片や草々兄さんのような頭の固い古典馬鹿、片や草若兄さんと似過ぎているいわゆるイケイケドンドンの新作落語馬鹿、どちらも針が両極端に振れ過ぎた人間で、僕とは相性が悪いに決まっている。
「僕の来歴ではしゃあないですよ。」と肩を竦める。
今でこそ大学出の落語家は珍しくもないが、僕は落研出身でもなければ、落語家の親がいるわけでもない。
まして、僕は、一門の外では妾の子であることを公言してはいないが、隠しているわけでもない。いくら江戸時代が舞台の噺を多く残っているとはいえ、婚外子や女性差別の強い悪法が作られた明治時代を経た今の日本では、まだまだ忌避感が強い。
その上、人脈のない落語家が、この世界じゃまだまだ肩身が狭いことくらい、この人も分かってるはずだ。
ふ、とため息を吐くと、こいつも寂しいやっちゃなあ、という顔をされてしまった。
好いた相手と傷の舐め合いをしたいわけでもないが、僕とこの人は、どうしてもこんな風になってしまう。
「それにしても、中トリと大トリ、両方て。お前いつもどないしてんねん……。」
「まあ、練習する時間がない時は、寝床で草原兄さんがやるような小ネタを三つ、てこともありましたね。中入りを、昼食か夕食の時間帯に被せて、長く取るんです。夏の暑い時期やと、昼席で寝てしまう客もぽつぽついてますけど。」
「お前、それで、草々が景清習ってるとこは熱心に見てたんか。」
「それ、随分前の話なのに、よう覚えてますね。」
「人情噺とか、普通のお前やったら食いつく話とちゃうやろと思ってたからな。」
「そういう理由です。」と言った。
「僕の落語会に出るとしたら、草若兄さんは何掛けたいですか?」
子褒め、時うどん、寿限無、その他にもレパートリーは増えたと言っても、多くはない。師匠と稽古した「愛宕山」や今や四代目草若の十八番と言われている「はてなの茶碗」はトリで出る時に掛けるネタだ。
「お前の落語しか聞いてへんようなお客が多いなら、寿限無でええやろ。」
「四草会では底抜け禁止ですよ?」
「はあ?」と大人しくしていた猫が、膝の上から起き上がった。
「たらればの話ですよ。」と僕が笑うと、草若兄さんは顔を赤くして「わかっとるわい。」と言って膝から出て座布団の上に頭を乗せた。
「客層の話、今したばかりじゃないですか。覚えてる客がおるかも分からんネタを掛けてもしゃあないでしょう。それとも、今の草若兄さんの力では勝負出来ないとでも?」
それならこの話はなしにします、とすまし顔で続けると「そこまで言うなら、今の草若ちゃんがどういう落語家か分からせたる! 『鴻池の犬』で勝負や!」と言って、相手はぱっと立ち上がってパジャマを脱ぎ、部屋の隅に丸めて置いていた浴衣を着始めた。
……しまった。
「まさか今の時間から稽古とかいいませんよね?」
「ええやろ別に。お前は先に寝とけ。」
「寝られるわけないでしょう。」
三十分も前には、今日は夜の稽古は休みの日やで、と言ってたくせに、この兄弟子は。
部屋の隅で、雰囲気を読んでずっと黙っていた平兵衛の口が開いて「ジュゲム、ジュゲム、ゴコウノスリキレ! ソーコーヌーケーニー! イイナマエデスガナ!」と言う声が、夜のしじまに響いた。
「……。」
「寿限無なんかもう練習せんかて覚えてるでしょう。」はあ、と大きなため息を吐く。
(この人、稽古から逃げてた頃の方が扱いやすかった、て言ったら、草原兄さんや草々兄さん辺りがどないな顔するかな)
「何か言うたか?」
「いいえ、何も。」
付き合いますよ、とそう言って、僕も姿勢を正した彼の向かいで、座布団の上に正座になった。
今夜はきっと、長い夜になるだろう。

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