きほろか2



「よそ見をしないで。芦佳」


 両頬に添えられた手、ガラス越しに見つめる在間の視線に須王は思わず瞬きをした。
「樹帆? 僕がよそ見をしていたことがあったかい」
「数えきれないほどね。この前のこと、忘れたとは言わせないよ」
 この前のこと……と記憶をたどるように天井に目を向ける。ほらまた、と在間が呆れたように笑った。



——樹帆! 海に行こうよ!

 もう慣れたと思っていた芦佳からの電話。未だに取る時はすこし緊張するのだけど。今日は何をやらかしたの? と声をかけると、待ちきれないといった様子で芦佳が話し始めたのが「海に行こう」だった。
 芦佳が言うには、偶然出会った人が穴場のビーチがあると教えてくれたらしい。そこは見晴らしがよいだけではなく、穴場と言うだけあって滅多に人が来ないのだと。
「それは、俺とでいいの。他に喜びそうな人がいると思うよ」
「樹帆でいい、じゃないよ。樹帆がいいのさっ! 僕が、樹帆と海を見たいんだ」
「はは。芦佳にも昔取った杵柄があるものだね」
 電話越しでもきょとんとしていることが分かる芦佳の声を笑ってながして、今から? どこにいるの。と聞いてみると、とりとめのない風景の描写から始まったので位置情報をLIMEに送って。とだけ言って電話を切った。


 そうして、芦佳を車でひろってたどり着いた砂浜は、車内で芦佳が大仰に話す内容に違わないところだった。
「見ているかい、樹帆! すごいね……まるで地球の端っこが見えるようだよ」
「地球に端なんてないよ。なんて言ったら野暮?」
 それもそうだね!世界は繋がっているんだから! と笑う芦佳が眩しい。芦佳とは長年の付き合いだけど、出会ったころから今までずっとこのテンションで生きている。一体どこからこの元気が出ているんだろう? 思わず苦笑した。

 ふと、沈んでいた思考を晴らして横を見ると芦佳がこちらを見つめていた。その視線にああ、まただ。と思う。芦佳は時々”そういう”目で見つめてくることがある。
 「どこにいたってずっと一緒だ」と芦佳が笑ったあの日から、二人の関係は少し変わったのだろう。芦佳は少しこわがるように見てくることや、おびえるように話しかけてくることが増えた。そして、そういう時は決まって触れたい時なのだと俺だけが気付いている。
「樹帆、こんなこと……今更かもしれないけど。樹帆って本当にきれいだね」
「どうしたの? 今日はやたらと口説いてくるね」
 ホストに戻るつもりなのかな。そう笑うとちがうよ! と返される。芦佳は怒ったふりが似合わないね、とは言わないでおいた。

「……さっきも言ったことだけど。ここは人がほとんど来ないそうだよ」
 ぽつぽつと話し出す芦佳の言葉を黙って聞く。
「だから、その。なんて言ったらいいんだろうね、こういう時……」
 二の腕に添えられた芦佳の手から熱が移ってくるような気がして、季節を勘違いしてしまいそうだ。柄にもなく頭がゆだっているのかもしれない。
「芦佳」
 戸惑う芦佳に顔を近づける。あと少し、もう少しで……

「え!?」
 突然芦佳が大声を上げる。
「何、急に大きな声を出さないで。耳がおかしくなるかと思った……」
「樹帆!! 見ておくれよ! 今すごく大きい鳥が飛んできたんだ!」
 あっちに行ったよ! と駆けていく芦佳の背中を見つめて思わずため息が出た。
「はあ。どうかしてるな……俺も」

——それからはお察しの通り。



「……あ」
「思い出した?」
 微笑む在間を見て気まずい気持ちが湧き上がってきた。あの日は結局須王が見かけたという”大きい鳥”を探して砂浜を駆け回り、疲れ果てて飲食店にはいった後は食事と酒を少し飲んで帰宅したのだった。

「あの日は、ええと。ごめんよ……」
「ふふ、芦佳は何について謝っているんだろう」
 在間から笑顔が消えないことがむしろ怖い。自分は何について謝っているのだろうと須王は考える。砂浜を駆け回らせたことだろうか、車で呼びつけておいて自分だけ酒を飲んでしまったことだろうか。それとも、

「つい、本当に……嫌というわけじゃないんだけど。逃げてしまったから……」
 在間が驚いたような顔でこちらを見た。
「逃げた、だったんだ。あれ」
 天然かと思った……と呟く声が聞こえる。怒らせてしまっただろうか、須王は目を閉じて断罪を待つことしかできない。
「それなら、もう逃がさないようにしないといけないね」
 二人の口が触れる。これだと罰にならないよ、と言いたかったけど言えなかった。

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