20240624ポケタキ/責任
「責任を取りたまえ」
そんな言葉が、つい口から出た。珍しくジャングルポケットがアグネスタキオンの(正しく言えばマンハッタンカフェの)居室に来ていた時のことだ。彼女にわざわざ再生させられたレースの映像を見ながら、ぽろりと出てきた言葉がそれだった。
そもそもジャングルポケットが何故ここにいるかと言うと、別にアグネスタキオンが呼んだわけでは全く無く、ただ突然嵐のようにやってきたのであった。
マンハッタンカフェは不在だった。最近の彼女は以前よりもレースに打ち込んでいるから、きっとトレーニングだろう。部屋にはアグネスタキオンしかいない。
そんな状況で、ジャングルポケットは持ち前の雑さを持って他人の領域にズカズカと入り込み、昨日の試合、とだけ言って自分のための椅子を引っ張ってきた。昨日の試合と言えば、彼女が出ていたものに違いない。映像で見返したい瞬間でもあるのかと聞くと、見た?とだけ返される。そしてしっぽもゆるりと揺れる。まるで話す気が無い。コミュニケーションとは全く不完全なものではあるが、それでも今の彼女ほど無視して良いものではない。
喋る気が無いのならここに来なくて良いだろうと言えば、見てねーなら今見ろとだけ言う。同期のライバルである彼女のレースを見ていないわけが無いのだが、そんなことをこの不躾な侵略者に言うのは少々癪で。だからアグネスタキオンは何も言わずに再生ボタンをクリックした。
短いレースだ。ほんの150秒程度。しかし光であれば4500万キロをも進む時間である。我々ウマ娘は、2400メートルだ。
アグネスタキオンは既に知っているレース運びを見ながら、ぼんやりと考える。我々ウマ娘と言う意味について。
ウマ娘の選手生命は短い。その一生の内、本当に僅かな数年を選手として過ごし、その内の更に短い一瞬でレースを行う。
コンマ秒でもライバルより先にゴールへ辿り着くように。
その速さは血の一滴だ。それは選手一人でのみ齎されるものではない。だから、速さの実証をするのは自分で無くても良いと思っていたのに。
あの日、あの時、あの瞬間、あのレースの直前。
何故、彼女は自分に声をかけてしまったのだろうか。それはきっと無視出来ないくらいアグネスタキオンという個体が速かったからだ。しかしその行動に強く意図があったわけではないだろう。だから有り得ないたらればを考えてしまう。彼女があのとき振り向かせなければ、今でも自分は同じ考えだったのではないか。
モニターに目を移すと、ジャングルポケットは既にいつも通り吠えていた。凱旋の遠吠えだ。既知の一位に、アグネスタキオンは溜息が出る。これではウマ娘ではなく狼ではないか。
そんなしょうもないことを考えていたからこそ、彼女への恨み節がつい口からぽろりとこぼれ落ちてしまったのだった。
「責任を取りたまえ」
「は?」
突然の発言に、ジャングルポケットはギョッとした顔でアグネスタキオンを見た。同時に、動揺が耳にも表れる。それを確認して、少々気分が良くなった。
「せ、責任?何、俺もしかしてお前になんかしちゃった?あー……責任……責任な……結婚する?」
あまりにも飛躍した発言には溜息しか出ない。責任の取り方があまりにも前時代的だ。
「アホか」
「じゃあなんなんだよ」
「そもそも私はそんなことを言ってないが?」
「はあ!?今お前はっきり責任取れって……わけわかんねー……いやもう良いや、お前がそれ見たなら。はあ、俺帰るわ」
そう言って、ジャングルポケットはアグネスタキオンにもレース結果にもこの部屋にも興味を無くしたように椅子を放って、居室を出た。アレが無理強いしてくるタイプではなくて良かった。
一人に戻った部屋で、アグネスタキオンは一際伸びをした。そのまま埋もれるように背もたれに体重をかけると、椅子が音を立てる。その悲鳴が部屋に響くのを、アグネスタキオンの耳は確かに拾っていた。部屋には物が多いとは言え、他に誰もいない密室では音がよく反響する。
結局のところ、アグネスタキオンには最初から分かっていた。責任を取る術など、この世のどこにも無いと。
知ってしまったら戻れない。走り出してしまったものは、もう止まれない。始まってしまった物事を、始まっていない状態にするのは不可能だ。
アグネスタキオンはもう一度レースを再生する。既に知っているレースの行末を、ただ見つめる。
自分は全く変えられてしまったとアグネスタキオンは思っていた。他でもないジャングルポケットに。
モニター上のレースはすぐに終盤へと入り、それを見守る自分の足が自然と動き出すのを感じる。身体が不平を訴えているのだ。お前は走らないのかと。それは最近知った、そしてずっとそこにあったフラストレーションだ。そんな身体を軽く叩いて嗜める。まだその時ではない。次のレースはまだ先だ。それでも、次のレースは既に先にある。
もう降りることはない。しかしそれを後悔している訳でもない。種としての本能で、ただ足を前に出すだけだ。息絶えるその時まで。そんな運命が決まってしまったということ。
責任を取れとは言ったものの、まさかアグネスタキオンも本気で彼女に責任を取ってほしいわけではない。ただ他でもないジャングルポケットの眼前に、ちょっとした理不尽を突きつけたかっただけの話だった。
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