コメンタリー:9.後日談
9.後日談
年始から始まったコメンタリーも、いよいよ最終回となりました。結局毎回本編に匹敵するくらいの文量になり、こんな長々しい解説を読んで頂けているだろうか……!? と我に返ったりもしたのですが、元々オタク向けコンテンツだったと思い直しここまで来ました。ありがとうございます。どうぞ最後までお楽しみ下さい。
この話のタイトルは後日談となっていますが、初稿を書いた時には本当の意味で、後日談として独立した掌編のような位置づけでした。無事に本編が完結したところで、その後の幸せそうな二人の様子も見たいよね、ということで書いたものです。その後、改稿版を投稿する際に改めて本編の一部として九話目に組み込みました。
場面としては、ルーの家で暮らし始めることになったロクスブルギーのために部屋を整える、というものです。ルーからロクスブルギーへの感情が、それなりの重量を持っていることは既にご覧頂けたかと思いますが、ルーは下僕のようになんでもかんでも従うことが、ロクスブルギーの抱えた孤独を慰めることにはならないと考えている――求められればある程度のことには従おうと考えてはいるものの――ので、あくまで友人としての対等な接し方をしています。冒頭の家事の分担に関するやり取りは、そんなふたりの関係性を描いています。
微笑ましいやり取りの一方で、教会に勤めているルーにとっては絶対に他人に知られてはならない生活であることも語られます。教会は夜鬼の排除を担っている機関でもありますので、当然ですがこのように吸血鬼と親しくしていることが表沙汰になれば、刑罰は免れないものとなるでしょう。そういった危険を孕んだ生活ながら、驚くほど楽観的になっている。本人も自覚している通り、それほどロクスブルギーが傍にいるということが、彼のこれまで抱えていた内心の不安定さを解消しているのです。吸血鬼ってすごい。
日中の活動ではすぐに疲れを訴えるロクスブルギーですが、実際には日中だからということに加え、本格的に活動を始めたばかりだということもあるかと思います。何しろ棺の中で眠って人の手を渡り歩く間、血を飲んでいなかったのです。彼の空腹感が満たされるのは容易ではないでしょう。
吸血鬼は死なないため、空腹も苦痛もそれが解消されるまで延々と感じることになります。太陽光で全身の皮膚が焼け爛れても死ぬことはないと説明されていますが、どうしてロクスブルギーがそれを知っているのかといえば、彼に経験があるからなのでしょう。吸血鬼は人間よりも痛覚などの一部の感覚が鈍いですが、実際には無いわけではなく、その鈍さは「慣れ」からくるものなのだと思われます。そんな状態で何百年、孤独に生きることを思うと嫌になってしまいそうですが、事実ロクスブルギーも嫌になっていたのでした。
そんな、それぞれが抱えた痛みを緩やかに癒すような穏やかな時間。ロクスブルギーの家具を運んでやったうえに、疲れた彼に血まで与えるルーはかなり面倒見が良いといえます。良すぎますね。これには吸血鬼もご満悦です。ところが、この吸血行為が実は吸血鬼のみならず人間側にも「ご褒美」になり得ることがここで長々説明されています。この時代感で蚊のメカニズムが解析されているのが適当なのかどうなのか、ここはもう面白さを優先してリアリティを投げ捨てた部分です。早口で喋るかのように、脳内で真面目なことを考えることによって、身に降りかかる快感を紛らわせようとしているのです。
ルーは子供のころと違い、吸血による性的快感を理解しているのですが、「友人」としている相手にそのような感情を持つのはどうなのだろうかと、いささかの気まずさを感じています。とはいえ、恋愛的な意味合いでの愛情が少しも無いかと言われるとそうでもなく、そのことに関しても自覚があるので意識してしまう……というなんとも複雑な心境でいるわけですね。このあたりのことについては、WEBサイトでのみ公開されている幕間の物語という掌編で詳しく書いていますが、後にロクスブルギーは「そういったもの(恋愛的な感情や、性的な欲求)を向けられても嫌じゃない」と回答しています。二十年経っても、ルーの心をめちゃくちゃにする吸血鬼です。
掌編に関しては、本編から少し外れた、いわゆる恋愛的な要素を多めに含む話も複数展開しているのですが、露骨に性的な描写を含んでいることや、匂わせをしつつも直接的な描写はしていない本編の雰囲気が好きな方もおられるかなという配慮から、本編とは切り離してひっそりと展開しています。
そのやり取りの後、ルーはロクスブルギーに対して、わざわざ偽物の棺を買い戻したことへの疑問を口にします。二話、そして七話のコメンタリーで、ロクスブルギーと棺に関するエピソードに触れていますが、それは決して楽しいばかりの思い出ではありません。ルーはそのことを知りませんが、ロクスブルギーがにとって棺が重要なものだとはそれほど考えていなかったのです。だから、その棺の特別な意匠――その吸血鬼のために誂えたかのような――を気に入っているものだと思っています。
それに対してロクスブルギーは曖昧に肯定した後、ルーを見て微笑みます。ロクスブルギーにとって、棺は人間との信頼と、そして裏切りの象徴でした。二十年前の交流、そしてその後、自分を探し続けてくれたルーとの再会が、そのほろ苦い記憶に満ちた棺に、温かな思い出を刻んだのです。ルーが考えている以上に、それはロクスブルギーにとって大きな意味を持っています。おそらくは、そのことに気付いていないのだろうなと思って吸血鬼は笑みを浮かべ、そのうちに教えてあげるよと返したのです。
最後は、ここまでさんざん書いてきた「報い」という言葉で、物語が締めくくられます。当初は本当にこの物語のみの読み切りという想定で書いていたので特に、すっきりとした読後感になるよう意識をしました。これまで苦しい人生を歩んできたルーの言葉で、はっきりと「報われた」と書くことで、明確にこの物語が完結を迎えたということを表しています。
ちなみに、書籍版ではこの次のページに一文だけ追加された文言があります。これは、ルーの締めくくりの一文に対応するような一文であり、棺を買い戻した理由の答えのようなものでもあります。また書籍にするにあたり、ページの中心に一文だけ書かれているという演出をやってみたかったということもあり、八話、九話の締めくくりの言葉に不満はないものの、追加することにいたしました。
これにて、『ロクスブルギーの棺』コメンタリーも完結となります。
本編と同じくらいの、解説としては大変ボリュームのあるものになり、読まれる方も大変だったのではないかと思うのですが、ここまでお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げます。自分としても改めて作品を読み返して、拙かった部分・上手くいったと思う部分、それぞれに新しい発見があり、楽しく書くことができました。
コメンタリーの序文で、自身のスタンスとして「作品の解釈は可能な限り読者に委ねたい」ということを書いたのですが、筆者の解釈を明らかにしてより理解を深めていく楽しみということにも目を向けて、また何かの機会にこのような試みをできれば良いなと思いました。
のんびりとではありますが、これからも『ロクスブルギーの棺』関連の物語やグッズの制作を続けていこうと思っておりますので、またお目にかかることができれば光栄でございます。
改めまして、お付き合いありがとうございました!
またどこかで、あるいは別の物語で。
巡里 廻
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