あなたといっしょにいたいと思う日
氏名、ふりがな、生年月日、住所。
必要事項を間違いなく記入して、裏面の項目にも二人で目を通してしっかりチェックをつける。窓口に提出すると、お預かりします、お待ちくださいと言われ、また番号札を渡された。
待合の長椅子には様々な人が、それぞれ様々な手続きのために腰かけている。その中にあこときららはいて、二人とも少し緊張した面持ちでいた。きららはさっきまでアプリゲームをしていたが、今は閉じてちょっとそわそわしている。
ややあって、番号を呼ばれたので二人で窓口に向かった。
二人の名前と生年月日、そして今日――11月22日の日付がばっちり入った証明書が差し出される。
合わせて条例に関する詳しい資料と、紛失時には再交付が可能で、同じ窓口で届け出が必要なことが説明され、全ての手続きが終わった。あこは持ってきていた書類ケースに証明書を確かに収める。
区役所から出ると空は澄んだ秋の色をしていた。ひらりと街路樹の葉が落ちて風に吹かれて転がっていく。
それを眺めながら、二人で手を繋いでゆっくりと歩いた。
「あこちゃん、きららたちもやらない?」
彼女がそう言ってきたのは先月のこと。なにをやるんですのと言いながら振り返れば、キラキラフォンの画面にその文字列が確認できた。
『パートナーシップ宣誓制度』
区役所の公式ホームページらしい。きららの目は真っすぐあこを捉えている。
あこは手元で開いていたドラマの台本を閉じて、居住まいを正した。
「あなた、前はそーゆーの別になくてもきららたちは変わんないでしょ、なんて言ってたじゃないですの。わたくしたちは学園にここを見繕ってもらいましたから、家探しにも苦労しませんでしたし、事務所を通じてそれぞれ民間の保険にも色々入ってますから、すぐに制度が必要になるわけじゃないって」
「そーだけど……」
きららは唇を尖らせて俯いてしまう。その傍らには一冊のパンフレットが置いてあって、表紙に見覚えがあった。この間から公開が始まった映画のパンフレットではないか。
四ツ星の劇組の後輩たちも何人か出演している映画で、実話をもとにした大作である。一人の女性アーティストの生涯が丁寧に綴られていて、色んな賞を受賞するのではないかと注目されていた。あこは少し前に試写会で見てものすごく感動して、きららを含め周りの色んなアイドルやスタッフに勧めていた。
「あなた、見に行ってくれたんですのね」
「だってあこちゃん、ずっとこの映画のこと言ってたし」
「で、見てみてどうでしたの」
「うん。すっごく、すっごく素敵なお話だと思った。クライマックスのダンスのシーンは泣かされたっていうか」
「ええ、ええ。そうですわよね。セリフもなく、ただ踊っているだけで本当に凄みがあって……それに、主人公だけじゃなくどの役者も素晴らしい演技をしていましたわ」
あこはうんうんと深く頷く。
きららはパンフレットに手を伸ばして、一枚一枚ページをめくっていく。最後の方のページに見開きで、主人公が目を閉じて横たわっている写真が大きく載っていた。きららはそれをじっと見つめる。
「29歳、だったんだよね、実際に亡くなったの」
「ええ。あまりにも早すぎますわよね」
きららはさっきからずっと真面目な表情のままだ。それを見ていて、あこは彼女の真意が分かった気がした。
「この映画を見たことと、パートナーシップ制度に申し込もうということは関係がありますのね?」
「うん。だってこんなことあんまり考えたくないけど、もしも何かあってもきららたち、ただのルームシェアの他人じゃん? そういうのはさ、やだなって」
「そう、ですわね……」
主人公の写真の、顔の輪郭をなぞっていたきららの白い指先にあこは自身の手を重ねた。
ここで暮らす二人の毎日の意味を間違えて受け取られるのはあこも嫌だ。間違えられてはならない。
きららが手のひらをくるりと返してあこの手をぎゅっと握った。お互いの瞳にお互いの顔が映る。
「それじゃ、早速申し込みに行きましょうか。わたくし、明日は朝はゆっくりできますし、あなたも午前中は特に予定ないんじゃありませんでしたっけ?」
意気揚々とそう言ったのに、きららは、え~っなんて言う。
「そこはもうちょっとさ~、いつがいいかちゃんと考えて決めようよ」
「そんなこと言ってましたら、平日で二人のスケジュールが合う日なんて調整するの大変ですわよ!?」
「なにそれ、ここへの入居も大安吉日がいいって言って二週間も遅らせたのあこちゃんじゃん! 記念日大切なんでしょ!? そーゆーの大事にしてたんじゃないの!?」
「そ、それはまぁそうですけれど!」
というわけで、二人でにゃんにゃんメェメェしながら考えた結果、11月22日にしようということになったのだ。
バスが着いて、お年寄りと子ども連れの家族が乗り込んでいく。あこたちがバス停に着いた時には、すっかりみんな行ってしまった後だった。
「あと一分早かったら乗れてたかもしれませんわね」
「たしかに」
二人で同時にベンチに腰を下ろす。
「ねえあこちゃん、本当言うとね、きららはあこちゃんと結婚したいよ」
急にそんなことを言いだすので、あこの胸は跳ねる。繋いだ指先にきららがさっきよりも少し力を込めてきているのが分かった。それをゆっくりと、同じだけの力で握り返してやる。
「……わたくしも、そう思いますわ。本当はパートナーシップとかじゃなくて、あなたと結婚、できたらいいって」
鞄に大事に入れてある書類ケースの中身だって大切な一枚で、大切な一歩だ。けれど、一足飛びにもっと多くのものや社会の承認を得られるすべを持てる人たちもいるのにな、というのは正直な気持ちだった。誰かを責めるわけではなくて、ただただ、そう思う。
次のバスは十五分後らしい。相変わらず秋空はすっきりと澄んでいて、朝干してきた洗濯物もよく乾くだろう。
穏やかな日差しのおかげで体がぽかぽか温まって、隣のきららはうとうとしている。その頭を優しく引き寄せてあこの肩でうたたねさせてやることにした。すぐに寝息が聞こえてくる。
「わたくしたちが一番のふうふだっていうのはこんなにも当たり前のことですのにね」
囁くように言って、柔らかい額に軽く口づける。
日差しのせいだけじゃなくて、確かに握った手のひらはあたたかくて、ずっとこうしていたいと思った。
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