まおこう2

※まおこうのなれそめと同じ世界線。付き合っている



「あれ……真央?」

 代行依頼の打ち合わせが終わり、同席していた樋宮と別れた帰り道。渋谷の街並みに流れる人々を眺めていた綾戸恋は、ふと見覚えのある青色に目を止めた。
 綾戸とビジネスカップルの関係にあり、正式に付き合い始めてからしばらく経つ宇京真央。彼と見知らぬ男性が会話をしている場面で——これが代行依頼であれば素知らぬふりをして通り過ぎていたが、あいにく相手の男から依頼を受けた話はない——遠目に見ただけでも厄介ごとに巻き込まれているのが伺えた。

 二人の声が聞き取れる距離まで人の流れに乗り、宇京の死角になる壁に背中を預けて端末を弄りながら聞き耳を立てる。
 何事もなければそっと立ち去ればいい。でもトラブルなら部長である自分が対処する必要がある。頭の中ではそう言い訳をしていたが、きっと違う理由があるのだろう。”好き”という感情を知ったばかりの綾戸は、未だに自分の心が分からないままでいる。


 碌に見ていない画面に指を滑らせ、SNSアプリのタイムラインを更新した頃。
 会話の大筋が”綺麗なお姉さんに声をかけたつもりが相手は男だった。だが男でも構わないからお茶をしないか”というものだと把握した綾戸は、端末をポケットに滑らせて宇京の元へ向かった。

「ね、少しだけでも! お願い、この通り!」
「間に合ってます。もう行ってもいいですか?」
 両手を顔の前に合わせて堂々巡りの応答を繰り返す男と、にべもない様子で返事をする宇京。声色も態度も早く切り上げてしまいたいと語っているのに、無視して立ち去ることはしない。彼の優しさと詰めが甘いところだ、とこっそり評価をつける。

「お兄さん、こいつ俺のツレなんで。諦めてもらっていいかな」

 ため息で上下した宇京の肩を後ろから引き寄せて、相手の男を見つめながら意識的に口角を上げた。助け船を出す自分自身がトラブルの火種になることは避けたかった。

「え、なんでここに」
 宇京が振り向いて声を上げる。突然現れた知人を見ても、名前を呼ぶそぶりさえ見せない宇京を脳内で褒めながら偶然ね、と返す。
「じゃあ、そういうことで」
 肩に添えている手を離して、宇京に行くよと声をかけたところで男が声を上げた。

「おニイさんカッコイイっすね! オレカッコイイ人も好きなんですよ」
「え?」
「どうですか? 三人でお茶会、な~んて」

 ——そうきたか~
 どっと疲労が押し寄せた気がした。無節操にもほどがある。
 まあ、そこそこモテる顔ではあるんですけどね? なんてたわごとを脳裏に浮かべて、ここで押し問答を繰り返すよりも自分だけさっさと”お茶会”に付き合って、適当なタイミングで巻いたらいいか。と考えていると、ぐっと腰を引き寄せられる感覚がした。

「さっきの話、聞いてましたよね」
 僕のツレなんで、手出さないでください。と冷たく言い放つ宇京の声と、いつも少し冷えている指先に力がこめられるのを感じて、それらとは対照的に自分の首すじが熱を持つ。

 二人に一切の脈がない事を悟ったのか、お幸せにといった内容の言葉をいくつか並べて立ち去った男の背中が見えなくなり息を吐く。
「真央、」
「恋。このあと時間ある?」
 二人同時に声を上げ、息をつめた綾戸へつきつけるように宇京が話を続ける。
「お茶、しよう。いつものカフェでいいよね」


 綾戸と宇京は、行きつけのカフェ——メニューはシンプルだが落ち着いた雰囲気が気に入っている。たまに二人でチェスをする場所でもある——に入り、入り口から最も遠い壁際のテーブルについた。

「恋さ、あの人について行こうとしたでしょ」
 注文したコーヒーとダージリンがテーブルに置かれた後。しばらくしてから咎めるように話し出す宇京を眺めて、気まずさを誤魔化すようにコーヒーをひとくち舐める。
「僕たちが『こういう関係』になった理由、忘れたの?」
 尚も続く言葉に、綾戸は分かってますよ、反省しています。という顔を見せて返事をする。
「俺がだらしないから。刺されないように真央に見張ってもらっています。でしょ」

 対面の瞳が細められる。その表情は完全にあきれ返っているもので、Aporiaのメンバーが見たら「また何かしたの?」と言われかねないな、と彼らの顔を思い浮かべた。

「大体あってるけどそうじゃない。恋が厄介ごとに巻き込まれないように予防するための関係でしょ」
「大体あってるんだ」
「だらしないのは本当だから」
 ひどい。と返す言葉を無視して、ダージリンに口をつけた宇京が伏せていた瞼を上げる。

「僕を庇うために恋が犠牲になったら本末転倒だよ」
「でも、真央より俺の方がダメージ少なそうじゃない?」

 宇京は「綺麗なお姉さん」として声をかけられていたのだから、少なくとも”そういうこと”が目的に入ってたと察せられる。それに比べれば自分は後から来た男。元々はターゲット外だし安全ではないだろうか。かいつまんで説明してみたがバッサリ切り捨てられてしまった。

「どっちが安全かなんて分からない。それに護身術なら心得てる」
「え、初耳」
「ああいう時、流されるのは恋の方なんだから。大人しく守らせて」
 ——ああ、真央はこういう人間だったな。冷静で、効率で物事を考えているように見えるのに、自分の身を挺して相手を助けるような優しさを持っている。その対象に俺も含まれているんだった。
 綾戸は己の思考に侵食されて熱くなる頬に見ないふりをして、なんとかこの空気を霧散させようと口を滑らせる。

「真央サンかっこいい、抱いて~……なん、て」
 失敗したと思った。宇京はこういう冗談は好まない。確実に顰蹙を買うだろうし、なにより冗談とも言い切れないのが惨めな気持ちに拍車をかける。
 付き合いを始めてからそれなりに時間が経っていて、初めての夜もそれから幾度かの夜も共に過ごしたことがある二人は、役割をどちらにするかという話を経て綾戸が抱かれる立場を受け入れていた。

「いやごめん、忘れて」
「そういう冗談好きじゃない」
「おっしゃる通りで……」
「でも」

宇京の瞳が綾戸の瞳を真っ直ぐに捉える。吸い込まれそうなその色に、頭の中がくらくらするような錯覚を覚えて正しく呼吸が出来なくなる。

「冗談じゃないなら、いいよ」

自分の口からこぼれた息が場違いなほど熱いと思った。宇京の指に触れられた記憶が身体を撫でる。冗談を早く”本当”にしてほしいと綾戸は小さく頷いた。

powered by 小説執筆ツール「notes」

13 回読まれています