大江戸転生主従パロ 手を放す 10 ~警告~
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幼馴染二人は再び土井に懸念を知らせに来ていた。
寺子屋はやはり閉まっていた。伊作が格子戸を覗き込んで「やっぱり留守だね」と言うのに、留三郎は建物の周りを見回す。間口は狭いが奥行きのある平屋で、寺の境内に隣接している。柱の材は上等だし格子の造りもしっかりしている。子供の頃は気付かなかったが、鳶になり建物に詳しくなったいまでは、どうもこの造りが気にかかった。
「今更だが、町の寺子屋にしちゃえらく立派な造りだな」
「うん。僕も前に来た時そう思った。土井先生は商家の四男坊だと聞いていたけど、本当は西の藩のご家中だと聞くし……正直よく分からない人だよ」
「商家か武家か、か。成程、建物が立派なわけだ」
伊作は苦笑ながら寺の方へと向かった。住職に話を聞こうと思ったのだ。と──その時、寺子屋の裏手から見覚えのある姿が現れた。土井の側仕えをしている山田利吉だ。背が高く引き締まった体つきで、着流し姿だが腰に短刀を差している。利吉はこちらを認めた瞬間に足を止め、一拍置いてから会釈した。
「君たちは、寺子屋の」
「利吉さん、お久しぶりです。善法寺と食満です。土井先生は──」
「ああ、今は先生は少し遠方に出掛けておられるんだ。明日か明後日にはお戻りだと思う」
利吉の声は落ち着いている。けれども目の奥にどこか張り詰めたものがあるのを留三郎は感じた。
「何か伝えることがあれば、私から先生に申し伝えておくよ」
伊作は頷き、一歩前に出た。
「実は、このあたりで付け火が続いているんです。先日こちらにお伝えに来た時も先生はお留守で、住職さんに伝言をお願いしたんですがその後も火事は増えていて」
「付け火か……」
利吉の声が僅かに低くなった。
「はい。この一月で十件を超えています」
伊作の後ろから、留三郎も会話に加わる。
「最初は奉行所の近辺に集中していたんですが、最近は場所が散らばってきて、しかも狙われる建物が変わっています。最初は長屋や町家だったのが、物置、納屋と来て──直近では商家の蔵と組屋敷の蔵が焼かれました」
利吉は黙って聞いていた。表情は変わらなかったが、留三郎の言葉を一語も逃すまいとしているのが分かる。
「どの現場でも扉際が集中的に焼かれています。壁や屋根じゃなく、出入り口だけが。しかも蔵の火事では、隣の物置が先に燃えたように見せかけて蔵の扉際に油を引いて引火させていたんです」
「……偽装か」
「はい。犯人は蔵を狙ったことを隠している。火事場の混乱に紛れて中身を持ち出すか、焼けたことにして紛失を誤魔化すか。そういう段取りを試している可能性があります。このまま行くと──」
「もっと大きな蔵が狙われる可能性がある、と」
利吉の言葉を受け、今度は伊作が帳面を開いた。
「僕の方は匂いの話なんですが……火傷の患者から何人も同じ証言が出ています。油の匂いに混じって甘い匂いがする。お香のような上等な匂いで、江戸っ子にはあまり馴染みがないものらしくて。防虫に使う白檀や丁子の調合ではないかと考えているんですが、地方によって配合が違うので、他所の土地のものかもしれません」
「……白檀や丁子……」
利吉の声は静かだった。けれども伊作と留三郎にはその静けさが奇妙に感じられた。驚いていない。留三郎が話した内容の一つ一つに、まるで答え合わせをしているかのような顔をしていた。
「利吉さん、何か心当たりがありますか」
「いや──」
利吉は首を振った。
「ただ、組屋敷の火事のことは私も耳にしていた。このあたりは武家の屋敷が多いから、先生のお住まいも用心しなければと思っていたところだ」
嘘ではない。けれども全てを話しているわけでもない。留三郎はそう感じたが追及はしなかった。
「土井先生には、俺たちも世話になりました。何かあれば力になります。火消しの連中にもこのあたりの警戒を強めるよう言っておきます」
「僕も、怪我人が出たらいつでも診ます。診療所の場所はご存知ですか」
「ああ。先生から聞いている」
利吉は二人に向かって丁寧に頭を下げた。
「わざわざありがとう。先生が戻られたら必ず伝えるよ」
留三郎と伊作が路地を出ていくのを利吉は見送り、二人の姿が通りの角を曲がって見えなくなるまで、利吉はその場を動かなかった。動けなかったのだ。屋敷の二階から見た火事場の光景が頭の中を忙しく巡る。全てが利吉の推理と合致していた。
(扉際の焼け痕に油の偽装。甘い匂い──)
組屋敷の蔵を見た時に感じた不安は間違いではなかった。犯人は武家の蔵を狙っており、これまでの放火はその段取りのための試験だ。であれば、次はもっと大きな蔵が来る。
大きな蔵。大名屋敷の蔵。──土井家の蔵。
利吉は寺子屋の裏手を離れ、屋敷に向かって歩き出した。足取りは速い。
家老に進言しても退けられた。若はまだ戻らない。それであれば今夜もまた一人で蔵筋を歩くまでだ。扉の鍵、木戸の閂、見回り札の位置。自分の目と足で確かめるしかない。
留三郎も伊作も、力を貸すと言ってくれた。けれども彼らを巻き込むわけにはいかない。土井家の内側の問題に町方の者を入れれば、若の身分に関わることまで露見しかねない。
一人でやるしかない。利吉は拳を握り締めた。
***
その日の夕方、留三郎は永楽屋の前で小平太と顔を合わせた。小平太は同心の装束のままだった。まだ務めが残っているらしい。声を潜め、手早く用件を切り出す。
「組屋敷の件、やはり上は動かん。だが控えは溜まっている。お前たちの分と突き合わせれば──」
「奉行所でも通る形にできるか」
「証を形にできれば動ける。実行犯を押さえるか、犯行に使った道具を現物で出すかあたりか。帳面の記録だけでは弱いが、現物があれば私が上に掛け合う」
留三郎は頷いた。燃えかすはいくつか手元にあるが、それが放火の道具だという裏付けはまだ足りない。
「わかった。文次郎が明日、燃えた縄を麻問屋に持ち込む。そこで産地が割れれば一つ手がかりが増える」
「急いでくれ。犯人の手口が上がってきている。次はもっと大胆に来るだろう」
小平太はそれだけ言って足早に去っていった。それと入れ替わるように、今度は長次が路地の奥から現れる。いつものように音もなく近づいてきて、留三郎の隣に立った。
「もそ」
「何だ」
「屋敷町が……騒がしいらしい」
長次の声はいつにも増して低い。留三郎は眉を寄せた。
「騒がしいって、どういう意味だ」
「武家の屋敷が並ぶあたり……夜半、人の動きがあっている」
「奉行所が見回ってるんじゃないのか」
「見回りにしては不自然……特定の屋敷の周り」
留三郎の目が細くなった。今日見た利吉の、答え合わせをしているような静かな顔が蘇った。
「瓦版には書けんのか」
「……もそ」
長次は首を横に振った。
「武家の内側のことは書けない、か」
「もそ。……お前たちに知らせることはできる」
「分かった。また何か分かったら教えてくれ」
長次は頷いて闇の中に消えていった。
留三郎は腕を組んで夜空を見上げた。屋敷町の不審な動き。蔵を狙う放火犯。そしてあの男──山田利吉の、何かを覚悟したような目。
全てが一つの場所を指している気がした。
***
屋敷に戻った利吉は、夕餉の膳にほとんど手をつけなかった。
若が明日戻る。奥方からそう聞いたのは昼過ぎのことだ。視察の日程通りであれば、明日の午後には屋敷に入るだろう。
(あと一日)
あの火消しの男の言葉が耳に残っている。次はもっと大きな蔵が来るかもしれない。犯人は段取りを試している。蔵に火が入れば混乱に紛れて中身を持ち出せる。もしくは、蔵の中にまで火を入れたいか。
(今夜かもしれない)
土井家が狙われている確証はない。けれども今日は月がない夜だ。武家の──それも大名家クラスの蔵を狙うなら、犯人にとっては今夜が最も都合がいいはずだった。
利吉は膳を下げ、帯を締め直した。懐に短刀を差し、屋敷の見取り図を頭の中に広げる。蔵筋の入口は二箇所。木戸は三箇所。見回り札は四枚。夜番の者の巡回は二刻に一度、交代は子の刻と寅の刻。全て、自分の足で確かめた情報だ。
利吉は部屋を出た。廊下の灯りが揺れている。夜番の者とすれ違ったが、利吉が会釈すると特に怪しむ様子もなく通り過ぎていった。
蔵筋に向かうのは、昨日と変わらない。けれども今夜はこれまでの見回りとは違う覚悟があった。もし何かが起きた時、自分が最初にそこにいなければならない。若の蔵を、若の家族を、自分の手で守らなければならない。護衛の任を外されていようと、それだけは変わらぬ決意だった。
利吉は闇の中に足を踏み出した。月も風もない夜だ。空には薄い雲が広がっていた。
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