未知

「いや、俺みたいなのが言うのも変だと思うんだが」
 トレイ・クローバーがそんなことを言い出したのは、レオナ・キングスカラーのベッドの上でのことだった。
 一体何を言うつもりだ。とレオナは思った。この男は、時々妙に抜けているところがある。それを知ったのは、三ヶ月前、顔が好みだから。という理由で交際を持ちかけられてからのことだった。



 男子校であるナイトレイブンカレッジでは、同性同士の恋愛は珍しくない。珊瑚の海や陽光の国では一部の人魚の種族特性に合わせ、婚姻に性別の開示が必要なく、薔薇の王国や輝石の国の一部地域には同性婚制度がある。そのためそうした国の出身者はオープンリーなゲイやバイ、パンセクシャルといった者達が多く、また学園側も生徒のプライベートだからと余程のことがない限り、恋愛に関与はしないからだ。
 そしてレオナの故郷である夕焼けの草原でも、様々な種族の獣人が利用できるように、性別・人数を問わない婚姻制度が運用されている。レオナ自身も同性との恋愛に抵抗はない。
 そんな中で、狭い世界となりがちな学園では、いうまでもなく目立つ存在は恋愛対象になりやすい。各寮長、副寮長はいうまでもなく、クラブ活動で目立つ相手にも、そうしたアプローチは珍しくなかった。
 故にレオナに交際を持ちかける者は後をたたず、しかしトレイに声をかけられるまでは、面倒だからとその全てを一蹴していたレオナである。トレイもそのことを知っていたのだろう。お前の顔が好みだから、俺と付き合って欲しいんだが。と言われたレオナがトレイの提案を受け入れた時、間抜けな顔を晒していた。普段は隙を見せない男が見せた珍しい顔に、レオナは内心ほくそ笑んだ。それが罰ゲームの一貫であることは知っていたが、相手の思い通りになってやるほど、レオナは優しくも物分かりが良くもなかったからだ。
 とはいえ、つまらなければすぐに別れようと思っていたのだ。
 しかし、交際は思いの外順調に進んだ。副寮長として忙しくしているトレイを連れ出すことにレオナは優越感を覚えていたし、トレイは己が作ったものをレオナに食べさせることを楽しんでいた。一方でトレイはレオナのわがままをそれとなく退けてみせたし、レオナはトレイのつまらない主張には付き合わなかった。
 ここまで。とお互いに引いた線を踏み越えたり押し戻したり、また相手に合わせて引き直す。相手を自分の思い通りに動かすのも恋愛の醍醐味だが、一方で相手を知って、相手に合わせることも恋愛だった。
 そしてそれは、身体的な接触においても同じことだった。
 キスがしてみたい。と言い出したのはトレイだった。レオナが実家から押し付けられたチケットを使い、二人で美術館へ行った帰りのことだ。黄昏時で、寮の門限がある為、学園に続く道には寮長・副寮長であるが故に門限後も寮へ簡単に出入りできるレオナとトレイしかいなかった。
 したことないのか? と揶揄を含んだレオナの問いに、ナイトレイブンカレッジに入学する前に、当時の恋人とは。とトレイは苦笑を返した。
「受験で別れた後、入学して一年はバタバタしてたし、副寮長になってからは恋愛どころじゃなかったからな」
 昨年度から今年度の初めまで続いたリドルの暴政は、副寮長であるトレイと、彼をサポートするケイト・ダイヤモンドなしには誰の退学・休学もなく成立しなかっただろう。あの体制はリドルの規律を守ることへの依存と、ハートの女王の法律が最悪の形で融合されたものだった。横目で見ていただけのレオナがトレイの行動に対して何かを言うつもりはないが、一年のうちに、彼が多くの時間を暴政の為に犠牲にしたのは明らかだ。
 まあ、そうか。とレオナはあっさりと揶揄うことをやめ、それで? とトレイに聞いた。
「したいのか?」
「レオナが嫌じゃないなら」
 トレイの言葉に、レオナは鼻で笑ってみせた。頑固な部分が見え隠れする割に、他人に選択を委ねようとするのはトレイの悪い癖だった。とはいえつい先日、マレウス・ドラコニアの起こした『自然災害』により、トレイの抱えるトラウマを知ったレオナである。大人によって踏み躙られたトラウマは、レオナの中にも存在する。それ故にわざわざ指摘する気にはなれなかった。
 更に言えば、レオナは恋人を甘やかしたいタイプである。
「目ぇ閉じろ」
 片手で顎を掬い上げればトレイは目を丸くした後、ぎゅっと硬く瞼を閉じた。その仕草に初々しさを感じつつ、レオナは軽く唇を合わせてやる。鼻筋に当たったメガネが軽い音を立て、外させるのを忘れていた己に苦笑する。一度唇を離した後、甘えるようにもう一度。唇を擦り合わせるだけのそれは、レオナからすれば児戯のようなものだった。けれどトレイの身体からは徐々に硬さが抜けていく。しかしちろりと唇を舐めればトレイが面白いほどびくついたので、レオナは思わず吹き出してしまう。
「笑うなよ」
「いや、悪いな」
 言いながら、己のリップグロスの色とトレイのそれが混ざった唇を指で撫でてやる。魔法で直してやるのは簡単だが、こうしたことは早めに覚えさせた方が良い。うっかりそのまま寮に帰れば同級生達の揶揄いの的だ。
 頬に赤みを刺したトレイは己の唇をなぞるレオナの指に、ハッとしたようにマジカルペンを取り出した。身体を離したレオナもトレイに見られないようにこっそりと魔法を使う。
「感想は?」
 レオナが聞けば、トレイはひとつ息を吐いて、聞くなよ。と言った。こうした接触に恋や愛とは別のところで嫌悪を感じる者もいるが、トレイはそうではないようだ。
 ならば。とレオナはトレイに身を寄せて、その耳元に囁いた。
「なあ。トレイ坊ちゃんは、まさかキスがアレで終わりだとは思ってないよな?」
 パッとレオナを見たトレイの瞳に揺れる期待を見て取って、レオナはリップグロスが塗り直された唇に、再度己のそれを重ねてみせた。



 その日からは、逢瀬の際にキスをすることが増えていった。しかし研修の準備や寮の引き継ぎ、何より魔法士養成学園対抗競技会の練習で、お互いに割ける時間は多くない。それでもチャンスはあるもので、レオナはトレイを寮の己の部屋に連れて来た。トレイの合意は取ってあり、事前に外泊許可証も出させている。トレイが年下の幼馴染に何と言って許可を得たのかは知らないが、休暇に実家に帰ることも多いトレイだ。うまく言い訳はしたのだろう。
 トレイは鏡を通ってサバナクロー寮に来た時から、どこか落ち着きを失っていた。トレイのユニーク魔法とレオナの認識阻害魔法によって、誰に知られることなくレオナの部屋前まで来た彼は、部屋に入る時、少しだけ躊躇う素振りをみせた。その背を押すのは簡単だったが、レオナはそうしなかった。トレイは小さく深呼吸をして、レオナの部屋に足を踏み入れた。
 電気の付いた部屋で、所在なさげに目を泳がすトレイを見て、ベッドに座って良いぞ。とレオナは言った。言ってから、そのために連れて来たとはいえ、あからさま過ぎたか。と少しだけ後悔した。
「あ、おう」
 とか細い声で呟いたトレイが、わずかに顔を赤くして、おずおずとベッドに座ったからだ。
「緊張しすぎだろ……」
「悪かったな……」
 トレイにも自覚があるらしく、被っていた帽子を脱いで、顔を隠すようにする。
「……前の恋人とはキス止まりだったから、仕方ないだろ」
「別に悪いとは言ってねぇよ」
 言って、レオナは備え付けの冷蔵庫から出したミネラルウォーターをトレイに手渡した。トレイがそれに気を取られている間に、事前に用意していたものを戸棚から取り出した。つまりはコンドームやローションだ。
 水を飲んで一度落ち着いたように見えたトレイの瞳が、ベッドに放り出されたそれらに釘付けになる。生唾を飲む音が聞こえた気がする。
 その姿を見ながら己もベッドに座ったレオナは、そういえば。とふと思った。当たり前のようにアナルセックス前提で考えていたが、バニラセックスのみを望まれていた可能性がある。話を聞く限り以前の恋人と性行為はしていなかったようだし、初心な反応からして嘘はついていないだろう。そしてこの様子ではアナルセックスのことを知っていても、尻込みされる可能性もあった。
 レオナも王族として官房術を習っていても、アナルセックスは講師相手に必要最低限の知識を教えられ、トップとしての経験をしただけだ。恋人との性行為に夢を持つような性格でもないし、恋人相手に無理をさせるつもりもない。さらにリドルの暴政への献身から分かるように、トレイは無理をしてしまう傾向がある。
 一応アナルセックスの説明だけして、少しでも抵抗があるようならペッティングに変更するか。と考えてレオナがコンドームを引き寄せたところで、トレイがレオナの名を呼んだ。
「どうした?」
「いや、俺みたいなのが言うのも変だと思うんだが」
 と眉を下げて笑う男に、一体何を言うつもりだ。とレオナは思った。トレイは時々妙に抜けているところがある。付き合う前までは抜け目のない男だと感じていたが、恋人になってからはそうでない部分を知ることになった。オーバーブロット事件を経てリドルとの関係が改善され、さらにマレウスのユニーク魔法を体験してトラウマを少しずつ克服しているのも一因だろう。常に肩肘を張る必要がなくなったトレイは、十八歳の大人になりきれない青年らしい柔らかさを、恋人であるレオナに見せるようになっていた。
 その柔らかな部分を可愛いと思うか厄介だと思うかは時と場合によるのだが。
 レオナが話の続きを促せば、トレイはわずかに口籠った後、一応な。と言った。
「一応、男同士の性行為については調べたんだ。お前は笑うかもしれないが、薔薇の王国は同性婚制度があるだろう。性教育に関しても他の国よりは熱心だから、医者監修の性行為に関する子供向けのホームページやQ&Aなんかがあるから、それで」
 あまりにも素直に言われるものだから、レオナは揶揄うタイミングを見失い、視線を彷徨わせながら、俺も官房術やその手のことは王宮で習ったから人のことは言えないが。と言った。するとあからさまにトレイがホッとした気配がしたので、次の言葉を待つ。効率重視ですぐに結果を求めたがるレオナだが、今のトレイに関しては急かす気にはなれなかった。
「それで、まあ、男同士だとバニラセックスかアナルセックスが多いってのは知ってるんだが、その、アナルセックスだと、どうしてもトップとボトムに別れるだろ?」
「そうだな」
 実際は役割を固定するか交代するかはカップルによるが、話の腰を折らないためにレオナはトレイの言葉に頷いた。
「で、その……。レオナと付き合う前にも、俺に声をかけてくれた子たちはいて、とはいえ忙しいから全員断ったんだが、稀に身体だけの関係を求めてこられることもあって」
 それは予想できた話だった。なにせ十代後半といえば性に興味を持つ年頃で、さらにナイトレイブンカレッジ生だ。性行為だけの関係を結ぶ生徒も多い。だがそれが拗れた時、駆り出されるのは大抵が寮長か副寮長だ。トレイがロイヤルソードアカデミー生かというほど真っ当なルートで性行為について学んでいるのも、リドルやRSAにいるという幼馴染の影響の他に、年に一、二度起こる恋愛もしくは性的関係絡みの騒ぎに巻き込まれているのも大きいだろう。レオナもその気持ちは分からないではない。何が悲しくて性器の怪我や尻の怪我や薬で変化した場所の怪我、または粘液を出すタイプの植物や、スライムを性玩具として使った生徒の面倒をみなければならないのか。結局、正しい知識がないと怪我も拗れもしやすいのだ。
「それも全部断ったから、経験はなくて」
「さっきも前の恋人とはキス止まりだったって言ってただろ」
「あー。うん……。ただ、相手が自分に何を求めてるのかは嫌でも知ってしまってな」
 と言ったトレイは、レオナから目を逸らして、その。と言った。
「トップを、求められることが多い、というより、それしか求められたことがない……。いや、俺もリドルみたいな可愛さとか、ヴィルみたいな美しさとか、……れ、れおなみたいな魅力とか、ないから、それは分かるんだ……。だから、そんな身で言うのは変だと思う、ん、だが……」
 徐々に小さくなっていく声で、トレイは小さく、ボトム。と言った。
「ボトム、に、興味があって」
 やはりレオナと目を合わせないまま、トレイは言った。
「抱いて、貰いたんだが……」
 と、告げられたそれは、もはや消え入りそうな声だった。俯いているが故に見える首筋も、耳も真っ赤で、レオナは思わずため息を吐きたくなった。
 すんでのところで堪えたが。
 そしてレオナが口を開く前に、トレイがばっと顔を上げた。
「あ、でも、俺みたいな普通の男でレオナが勃つか分からないよな! もし勃たないようだったらやめてくれて良いし、レオナがボトム希望だったり、アナルセックスには興味ないって言うならお前に合わせる! というより今の俺の言葉も気持ち悪いな! すまない! 今日はやめて一回仕切り直しっ、てっ!?」
 どさり。とベッドマットにトレイの身体が沈み、急に室内が静かになった。
 レオナがトレイの腕を掴んで押し倒し、そのよく回る口を己の口で覆ってみせたのだ。驚きで閉じられたトレイの口をレオナは舌でこじ開け割り開く。縮こまった舌を己の舌で掬い出し、表面をぬるぬると重ね合わせた。レオナにされるまで、唇を合わせるキスしか知らなかった男はすでにレオナのやり方を覚えている。急なことに驚きながらも、トレイはレオナの後頭部に手を回し、必死になって彼の口付けに応えようとする。
 レオナが唇を離した時には、すっかりと先程とは違う意味で顔を赤くしたトレイがいた。
 思わず舌舐めずりをしてしまうような光景だ。
「トレイ」
 レオナはトレイの名を呼んで、もう一度、今度は唇を重ね合わせるだけのキスをした。そして過去、キスを教えてやった時のように、その耳元に囁いた。
「なあ。トレイ。俺はお前のことを抱くつもりでここに呼んだ。って言ったら、どうする?」
 トレイはびくりと身体を震わせて、震える声でレオナを呼んだ。焦点が合わぬほど近くで見詰めたトレイの瞳は欲と期待で濡れており、レオナは笑いながら、その期待に応えてやることにした。










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