ねえねえ、譲介さん




「譲介さん、カレー食べませんか? 今日は、イシさん特製のサグカリーがあるんです。」
そう言って人懐っこい笑みを浮かべた白衣の男が腕を広げると、僕の前には、見たこともない謎の食事と、診療所の食卓に使っていたテーブルが現れた。
食欲をそそる黄色のサフランライスをダムのように盛り付けた中に、湯気が立つ緑のどろどろが入っている。
サグカリーというのは、確かほうれん草入りのカレーだったはずだが。イギリスからやってきた誰かが作っていた出来損ないのポリッジにも似た何かが、かつて僕や一也、宮坂が使っていたのと同じカレー皿の中にてんこ盛りになっているのを見ながら思う。
この皿だけでなく、スプーンとフォークにも見覚えがある。それなのに、この食卓には、K先生も麻上さんも村井さんも、出来立ての食事の給仕は自分の仕事だ、という顔をしているはずの当のイシさんもおらず、譲介の前には、この頼りなさそうな同年代の男がひとり座っているきりだ。
「うちの先生のことで話したいことはもっとあるけど、イシさんのカレーはあったかいうちに食べちゃいましょう。イシさん、譲介さんのカレーがきっかけになったらしくて、今はもう、ビリヤニにガオマンガイ、トムヤムクンスープに麺を入れたりとか、エスニック料理の魔女……いや、魔法使いっスよ。東京まで行って買って来てくれてるスパイスが調合されているんだから、そこらの店の味にも負けないですし。」
譲介の次に診療所にやって来たというこの男は、研修医の高品龍太郎です、と自己紹介した。さっきまでは、オレは医師の名乗りに値するのかな、などと意気消沈し、これ以上K先生がいない日が続くなら、オレは医者じゃなくて大工に転職した方がいいのかもしれない、と愚痴を零していたのが嘘のように生き生きとしていて、まるで自分の手柄のように誇らしげにイシさんの料理を褒めたたえている。
しかも、こいつはK先生のことを「うちの先生」と呼ぶのだ。
なんて手が込んだ夢だ、と僕は呆れてしまった。
僕がいた頃のイシさんは、エスニック料理に手を伸ばしたりしていなかった。せいぜい、カレーに入る肉が時々マトンになったり、肉の代わりに魚が入ったりするくらいで、後はタンドリーチキンがせいぜい。それが、今やエスニック料理全般?
確かに、時々一也経由で聞こえて来る村の近況で、イシさんが料理のバリエーションを増やしたという話は聞いていたけれど。
ずっと元気でいて欲しいと思っている人の元気の度合いが、さすが自分の夢という感じだ。
「譲介さん、遠慮しないでください。……ってオレが言うのもあれですけど、それとも、もう昼は食べちゃったんですか?」と言う龍太郎の呑気な顔にはちょっとカチンときた。
だいたい、さっきから何なんだこいつは。
イシさんとの付き合いは僕の方が長いんだ、と反発の気持ちが湧いてくる。
とはいえ、こんな風に相好を崩した相手に、怒りを持続させるのは難しい。
延び切ってない襟足でなんとなく分かってしまう。
村井さんやK先生を見ていてもそうだったけれど、あの村にいると、なかなか泉平辺りまで出て行く機会がないせいで、毎月この日と決めてあらかじめ予定を組まないことには、否が応でも髪は伸びて行く。けれど、先代の先生の頃から働いていたという村井さんや、年長のK先生はともかく、自分は弟子の身分だというのにだらしない格好は避けたいという気持ちがあって、僕も一応、書店に寄るついでなどと口実を作って、月に一、二回は山を下りてはいたのだ。前髪を伸ばし始めた頃でも、それは変わらなかった。
それにしても、今が昼飯の時間とは。
いくら夢にしたって、こっちとの時差ってものがあるだろう、とは思ったけれど、相手もまた、夢の中にいるのかもしれなかった。
往診の時間で、朝や昼がおにぎりひとつになることも多かったけど、イシさんが作ってくれる昼飯はある日は本当に豪華だった。
それが今や、この緑色のヘドロのようなどろどろカレーだ。いや、見た目がどうあれ、中身がイシさんが作ったものだというなら、きっと味は保証付きだろう。
「食べましょうか、龍太郎先生。」と半分は嫌みのつもりで答えると、研修はもう三年目に入ったという目の前の男は、この海老が美味いんすよねぇ、と言って口もとを緩めた。







事の発端は、朝倉先生が持って来たチーズだった。



祝杯を上げよう、せっかくの機会なんだから譲介君も一緒に付き合って、といつものように誘われ、ホテルの先生の部屋で一杯飲むかという流れになった。
長丁場の会議が終わった夕方や、クエイド財団の関連のパーティーが終わったばかりの夜更け。譲介は、そうした時には、乾杯の最初の一杯など、失礼にならない最低限のタイミングを除いて、大抵はミネラルウォーターで付き合うことにしている。
グラスの中身を彼と同じようにワインやシャンパンにするのは、帰宅時間を心配する必要のない日に限ると決めている。
つまりは、今日のように、ロスを離れた場所での学会の出席に、勉強を兼ねて付き添うような場合であり、はた目からすれば元気はつらつという言葉に近い状態とはいえ、直前の徹夜続きのテンションが上がっているだけで、夜にちゃんと寝れるかどうかは分からない、という夜のことだ。
彼が軽く飲むのに使うというワインバーは有難いことに譲介が予約したホテルからも近く、そこで自宅用に白をテイクアウトして少し飲もう、と言われて頷いた。

バーの中で軽い食事を済ませてから部屋に戻って来るなり、仕立てのよい濃紺の三つ揃いを脱いでいつものシャツとジーンズという気楽な格好になった朝倉先生は、臙脂の革張りのソファに腰かける前に、テーブルの上に買って来たものを広げた。
ワイン二本の他にもなにか買っているなとは思っていたけれど、基本的には朝倉先生の慰労会なので好きなものを選んでもらえばいいだろうと思って口出しはしなかった。ドライフルーツと、チーズに、ソーセージと呼ばれるハムの盛り合わせ。ガーリックシュリンプはテイクアウト出来ないって店員に言われたから妥協してしまった、と朝倉先生は言うけれど、これだけの量が合ったら十分じゃないかと僕は思ってしまう。既に互いの胃の中には食事が収まっているのだから、ワインと人間がもう一組は必要な量だ。
「そういえば、店でチーズを選んでる時に勧められたから、せっかくだからと思ってこれを買って来たんだ。譲介君も一緒に食べないか。」
世界の三大ブルーチーズのひとつ、と言われてるらしいね、と言われて出されたスティルトンという名のチーズには妙ないわくがあって、夜に食べると奇妙な夢を見ると言う。
先生が子どものように「Ta-da!」と言う効果音を口にして、満を持して、といった調子でチーズの入った容器のふたを開けたので、僕は笑ってしまいそうになる口元を抑えて、バーカウンターの棚から皿を取り出した。
こういう部屋にはどこに何が収まっているものかは、今では大体見当が付く。
ワインとチェイサーを入れるためのグラスを選んでいる朝倉先生の横で、僕はカトラリーボックスの中からフォークを出してハムとドライフルーツを並べた。
今夜の宿には箸は準備していないらしい。なんとなくいい感じに見えるようにつまみを並べながら、枝の付いた干しブドウは全部先生に譲ろうと思う。
チーズは、カマンベールと、その青カビチーズと、もう一つゴーダチーズのような色をしている何か。
こうした酒と合わせるチーズは、これまでにも何度か食べる機会があったけれど、昔からあさひ学園でおやつに食べつけていたプロセスチーズが一番美味しく感じる。
残念ながら僕にとってのチーズの価値というのは、ワインと一緒に食べていて格好が付く何か、という以上の付加価値はない。強いて言うならカマンベールが食べられないことはない、と言う程度で、ブルーチーズになると明らかに苦手の部類だった。とはいえ、細かく刻んでカレーの中に入れて貰えれば食べられます、と恩師に言うことは難しい。
僕は、朝倉先生がスティルトンにまつわる話を、怪談話を披歴するような語り口調で話す様子に耳を傾けながら、スライスしてあるチーズの一切れを取って、干しブドウや干しあんずと一緒にそれを食べてみた。
このチーズを食べると、自分が思いもよらない、頭のどこから引っ張り出して来たのかという奇妙なシチュエーションの夢を見ることができるらしい。チーズの中のどんな成分がそうした効果を人の脳にもたらすのかはまだ解明されてはおらず、いわゆる淫夢とか、死んだ人が出て来ると言った、ポルノや怪談話に良くあるシチュエーションのひとつ、と言う話ではないのを残念がる人も多いらしいけど、普段の自分じゃ思いもつかないような夢を見る方が面白いに決まってる、と朝倉先生は言った。
「それって、食べて大丈夫なんですか?」
「まあ、これが何かの病因ともなれば、発見ではあるかもしれないけど、それこそ夢のない話になりそうだし、残念ながら、取れたところでイグノーベル賞だと思うよ。聞いた限りの話でも、夢を見る以外に副作用はなさそうだ。ちなみに、私も覚えている限りでは、食べるのは今日が初めてかもしれない。まあ、スティルトンなんて珍しいものでもないし、これまでも気づいてないうちに食べていたかもしれないけど、普段とは違うおかしな夢を見たところで、酒を過ごしたのが原因だと思うだろうなあ。……うわっ凄い匂いだ。譲介君、君、さっきからぱくぱく食べているけど、ちゃんとこの匂いを確認してみたかい?」
そう言われて、恐る恐るという手つきでまだ皿に残っているそれを鼻先まで近づけると、スティルトンは、奇妙な夢を見るという風聞に相応しい匂いをさせていた。どうして気が付いてなかったのか、と思ったけれど、きっと疲れているのも理由のひとつだろう。
そもそも、カビの付いた乳製品を最初に食べようと思った人間は勇気がある。
だからこそ、僕のようなチーズに興味のない人間は、こうして酒のつまみという形でしか口にすることがないのだ。
「確かに、強烈な匂いですね。」
「……そんなに嫌そうな顔をしないでも。」と朝倉先生は苦笑した。
最近の君のそういう顔、早々見なくなってしまったなあ、パーティーでどんな難物と顔を合わせても表情を崩さないんだから恐れ入るよ、と海千山千の人生の先輩から言われて、譲介も笑ってしまう。
レセプションなどのパーティーへの出席は、朝倉先生が財団の経営の顔として参加する会議や学会への参加と比べれば気楽な方だ。
覚え間違えが怖い専門用語もほとんどなし、自分と相手との即興の会話劇。
朝倉先生も、知り合いに僕のことを紹介する時は、下の名前で呼んでいる。日本にいた頃は和久井君と苗字で呼ばれていたけれど、こちらに来た途端に、彼に付き従うほとんどの場面で、対外的にはジョーと呼ばれ、普段もこんな風に、下の名前で呼ばれるようになった。免許を取ったら和久井先生と呼ぶからね、とは言われているけれど、気が遠くなるほど先の話だ。
まあ、それはそれとして、あちこち連れ回されるうちに、僕も大概度胸が付いた、と言うか、場慣れしてきたせいか、地が出る場面も最初に比べれば少なくはなった。
考えてみれば、高校の頃からあの保護者の下で、特殊な世界で働く大人と知り合う機会を「作って貰って」いたのだ。否が応でも、あの頃に出会ったいくつかの顔と比べてしまう。
それに、会議や学会と違って、今日の自分は何点だったとか、素面のままで気の滅入る評価をする必要がないのも気楽で良かった。ワインを飲みながら、今夜会った人についての情報を収集していると、ふと朝倉先生が思い出したように「ちなみに、このチーズは寝る直前に食べる方がいいらしいよ。」と言った。
「それ、今言っちゃうんですか……?」
「早々に食べるものなくなりそうだなと思って、出したんだけど、考えたら、これ、最初は譲介君に手土産に持たせようとして買ったんだった。」
「あの、ひとりじゃ食べられませんよ、こんな匂いのするものなんて。」
今も、ただ朝倉先生の勧めに従って食べたに過ぎない。とりあえず、残った最後の一欠けは、ハムに巻いて食べることにした。
「そうだね、こういうのって好き嫌いがあるから。」
こういう時、今食べられたじゃないか、とは言わないところが朝倉先生の良いところだ。
「おかしな夢を見たら、お互いに報告し合おう。で、この部屋は、言えば余分のベッドが出して貰えるけど君はどうする?」と聞かれたので「僕はソファでも構いません。」と答える。
学会はまだ明日もある。連泊する予定のホテルには、事前に支払いを済ませていたが仕方ない。
帰るのが億劫になってきたし、酒に誘ったのは朝倉先生で、その朝倉先生がいいと言うのだから、まあ構わないだろう。
フロントに電話を掛けて、次の早朝には戻ると言って、僕は、朝倉先生の助言に従って、ペンと便箋を引き出しの中から出しておいた。
あまりに変な夢を見たとしても、きっと朝起きたら忘れてしまうだろう、と思いながら。







夢の中で、僕は、見知らぬ男と向かい合って、ほうれん草入りのカレーを食べていた。
サフランライスはぱらぱらとしていて、そのどろどろのカレーとマッチしているような気がした。
匂いも味も分からないはずなのに、これがイシさんのカレーだという意識があるからか、確かに美味しいと思う。向かいに座った龍太郎も、幸せそうな顔をしてサフランライスのカレーを頬張っている。
あっという間に空になってしまったこちらのカレー皿を見て、ちゃんと嚙まないと先生に怒られちゃいますよ、と龍太郎は笑った。そのまま「おかわりありますよ。」と言って席を立ち、見知った柄の炊飯ジャーからおかわりをよそっている。
「まだその炊飯器なのか?」と尋ねると、「これっすか? 今はまぜご飯作る時の専用で、普通の白米は、ちゃんとオレがこっち来る前に買ったっていう新しいので炊いてますよ。」と龍太郎は答える。
「あ、時々、炊飯器のスイッチ入れるの忘れたって、鍋でご飯炊いてるときもあるな。」
土鍋で?
とっさに美味しそうな炊き立てご飯の様子が頭をよぎったけれど、気にするところはそこじゃない。
「イシさんに健忘の様子はあるのか?」
「いや、譲介さんが心配するような話じゃないっすよ。他の同じ年の人ならそろそろボケてんのかな、って思うだろうけど、イシさんはホントに直前まで別のおかず作ってるからで。あの日も鮭に卵焼きに味噌汁に青菜の煮びたし、……他には漬物かな。時々写真撮っとけばよかったな、って思うんスけど、忘れちゃうんですよね。」
後でアドレス送るから僕にも送ってくれ、と言いそうになってしまった。
夢なのに。
山盛りに盛られたサフランライスの上に、エビがほとんどなくなってしまったほうれん草カレーがたっぷり掛かっている。少なくなった鍋に余ったご飯を入れてドライカレーにするのが美味しかった、と当時の思い出を振り返ると、それ、オレも時々してます、と龍太郎は笑う。
良く噛んで食べろ、と言うイシさんの顔を思い出して食べていると、龍太郎が冷蔵庫から飲み物を出している。
懐かしいガラス容器に入った冷たい麦茶がふたつのコップに注がれる。
席に着いて麦茶を飲んでいた龍太郎は、人心地付いた様子で満足そうにしている。
この夢に、麻上さんと先生、村井さんが出てこないのは、そもそも、これが僕の夢じゃなくてこいつの夢だからじゃないだろうか、と思い始めて来た。
どうやら、龍太郎は麻上さんが怖いらしい。
うちの親みたいながみがみ言うタイプじゃない分、グサッと言われると効くんスよね、と龍太郎がそう言うのを聞いて、さもありなん、という今の診療所の日常風景が目に浮かんで来た。
そもそも、麻上さんという人は、時折、厳しいことや皮肉を言うことがないでもないけど、僕にとっては、優しい人だった。夜に退出する前にコーヒーを淹れてもらい、勉強をしているところに声を掛けてくれた。あの頃の僕が十代だったことを差し引いても、人の本質は早々変わらないはずだ。
まあ、僕が出会って早々に先生にビンタされたり、村井さんから手厳しい助言を得たことを思い出せば、むしろ、先生たちが優しく接することをしない代わりを麻上さんが引き受けていたのかと思う。
そのことを思えば、今の先生や村井さんが、研修医の年になって村にやって来た龍太郎に対して、いい年をした大人なら、こちらが叱りつけるより先に気付け、と言う態度でいるとしたら、麻上さんが厳しい教師役を引き受けている可能性はあった。
まあ、村に来たばかりの龍太郎が彼女の前でどんなドジを踏んだのかは、本人が話したくならない限りは、訊かない方が無難だろう。
そんな風に考えながら龍太郎を見ていると、ふと目が合った。
「ねえねえ譲介さん。」と呼ばれて、僕は落ち着かないような気持になった。
これまで僕の人生に現れたのは、暮らした記憶のほとんどない家族、恩人と思える人たちと、ふたりの友人、そのほかは、敵と他人、同僚と患者さんたちという名の付いた箱に入れてそれっきり。最初に入れた箱のラベルを変えることは滅多にない。
そして、目の前の男は、そのどれでもないような気がしていた。
こういう相手を、世間ではどんな風に呼ぶのか頭では知っているけれど、全く未知の存在だった。
「たまには村に顔を出しに来ませんか。オレとこんな風にメシ食ってくださいよ。」
全く相槌も打たない、カレーを食っているだけの正体不明の男に、よくもまあ短期間でこれほど懐けるものだ。
そんな風に呆れる一方で、恐らく、龍太郎は、こういうところから、村の人に馴染んでいったのだろう、と納得する自分もいる。さっきはもう大工に転職するしかない、と大袈裟になげいてはいたけれど、脚立に乗って電球を替えて欲しい、くらいのことは、僕もよく頼まれたものだ。
医者という第一の存在意義以外だけでもなく、こいつの大工仕事に助けて貰えて有難いという人たちも、きっといるはずだ。
「まだ村には行けないけど、もし僕と食事がしたいと思うなら、時々はイシさんに凝ったやつじゃなくて、普通のカレーもリクエストしておいてくれ。僕は、イシさんが作るいつものカレーが一番好きなんだ。」
「へへ、やった。」
楽しみにしてます、と龍太郎は言って、口の端に米粒を付けたまま笑っている。





目が覚めると、ホテルの部屋だった。
「……変な夢だったな。」
「今日は良く寝てたねえ、譲介君。チーズの効果かな?」
「……朝倉先生!」
どこから出て来たんだこの人、と思ったけれど、そういえば先生の部屋のソファをベッド代わりに借りて寝たのだった。しかも、こんな日に限って、珍しいことに朝倉先生は身支度を終えている。
着替えます、と言って立ち上がると、急に立ち上がったせいか立ち眩みがした。
「すいません、おはようございます。」
「ゆっくりでいいよ、調子が悪いなら、朝食も部屋に運んでもらおうか?」とこともなげに言うので、僕は、慌てて、そこまでではないです、と首を振る。
ただでさえ、酒の上での無礼講がないかとひやひやしているのだ。
ここがアメリカで、フランクな付き合いを好む朝倉先生相手とはいっても、これ以上甘えてしまうことは出来ない。吊るして置いたハンガーから今日着るシャツとトラウザーズを手にして洗面所に行こうとすると、「どんな夢を見たか覚えてるかい?」と朝倉先生に呼び止められる。
夢、そうだ。
「……え、あ……あれ? ついさっき、寝起きには覚えていた気がしたんですが。」
足元に、寝起きに使おうと思っていたペンと便箋が落ちているのを見て、そういえば、と昨夜のことを思い出した。ワインのつまみに食べたきつい匂いのチーズ。
夢は、確かに見たはずだった。譲介は夢の中で、誰かといた。
今となっては、名前も顔も分からない。
ただ、相手が自分より年が下だったことだけは覚えている。
「さっき、寝言でカレー、って言ってたよ、譲介君。」
「え!?」
いや、言われてみれば、カレーを食べていたような気がするけれど、今の僕には、それがどんなカレーだったかも思い出せない。
「夢の中でも食べているくらいカレーが好きなら本物だ、また定期便を送って貰えるように、あの女性に頼んでおこう。」
そう言って、朝倉先生は楽しそうに笑っている。



powered by 小説執筆ツール「notes」

135 回読まれています