押しかけ


「内弟子部屋って、内弟子が住むとこらしいですよ。」
「知っとるわ!!」
兄さん内弟子に戻るんですか、と続けようとする前にさっさと遮られて、僕が鍵を開けた内弟子部屋の中に我が物顔をして入っていく。
お宅拝見とばかりに物見遊山の気分でやって来たはずの兄弟子は、元々罵詈雑言のレパートリーに乏しい男だが、久しぶりにおかみさんと食卓を囲んで、次はあれ食いたいこれ食いたいと甘え倒したのが効いたのか、さっきまでは妙に素直な顔つきをしていたというのに、今はもう、酒も持ち込めんのやった、と普段のようにボヤいている。



餅巾着に牛すじ、ごぼう天に卵。
ちくわと大根、厚揚げだけのほとんど煮物になってしまっているいつもの夕飯とは違い、いくつもの材料が入った関東炊きの夕食が終わり、おかみさんから、食事の後にお茶の一杯でも飲もうかと言われたのも久しぶりのことで、普段なら、そうしましょう、と言って僕が薄い茶を入れる方に回るのだが、今日はとりあえずおかみさんのしたいようにさせることにした。
年齢的には徒然亭の末っ子になっていてもおかしくない男は、今夜は妙に聞き分けが良く、四草にも優しくしたらなあかんよ、というおかみさんの窘めるような声にも、おん、とひとこと、子どもに戻ったような顔で頷いていた。
そんな様子を見ていると、いつも見ているはずのおかみさんの何気ない仕草までが、いちいち、離れて暮らす子供のことを思っての一挙手一投足のように思えて、食事をしている間は、それを当然のように享受している兄弟子の素知らぬ顔がずっと腹立たしかった。
それでも、兄弟子ふたり、というより、年の近い方の兄弟子といないときはこういう顔が出来るのか、と知るのは妙な気分で、その腹立ちも、いつものようには長くは続かない。
雪が降っているせいか外も妙に静かで、それでいて落ち着かないという訳でもない。
目の前で親子がぎこちない会話を交わしている間、僕はほとんど空気のような存在で、ここが自分の居場所のようで自分の居場所でないように思いながらも、兄弟子の様子をぼんやり眺めながら食事を食べた。
師匠が千鳥足で戻ってくるまでの夕食が、ひどく長く感じられた。
四草、今日は小食やね、とおかみさんには笑われたけど、いつもはこの兄弟子が横からさらっていくから、自分の食い扶持を確保しなければならないような気分で、無理をして食べているのである。正直、普段の食事などは動くためのエネルギーを摂取するためのもので、一食一食は、きつねうどんを食べてそれで終いにしてもいいくらいだった。
僕が食事を片付けるのを手伝っている間もひたすら静かだった。
一心不乱に皿を洗っていたと思ったら、師匠が帰って来たタイミングでおかえりと一言だけ言って、「片付け終わったし、部屋行くで部屋。」と勢いを付けてこちらの背中を押すので、ああ今のがやりたかったのかと気が付いた。

勝手にやって来て、今はこちらの顔を見ることも出来ず、さっさと布団敷いて寝るで、と人の部屋の布団を並べて敷いている。
いつまで経っても子どものような男の背中を見ていると、背中を蹴飛ばしてやりたいような気持になった。
「僕はもう少し稽古しますけど、兄さんどうします?」
戻って来た師匠は稽古を付けられるような状態ではないと分かっていたから元から一人で稽古するつもりだったが、この兄弟子が母屋のふたりに格好を付けて稽古をするというなら、譲らねばならないだろうとも思っていた。
「……今お前、何やってんねん。」
「天災です。」
時うどんも覚えられてない男は「そらええこっちゃ。」と他人事のように言って、さっさと僕の寝ている布団の方に丸まってしまった。背丈だけは規格外のサイズなので、こんな風に丸まらないと手足の先が出てしまうのだろう。
「小草若兄さん、そっち、僕の布団ですよ。」
机の抽斗から小拍子と手ぬぐいを取り出すと、兄弟子は布団の中から亀のようにしてひょっこりと顔を出した。
「……ええやんか、今日くらいオレに譲れ。」
好きに親に甘えられる環境にあって、それをほとんど無駄にしている男は、世界はいつまで経っても、何もオレに報いてくれへんとでもいうような顔をして、こちらをひたと見つめていた。
どうやら、他の兄弟子ふたりとは違い、弟弟子の面倒を見るつもりもないらしい。
「……次はないですよ。」と言うと、小草若兄さんはまた布団を頭から被って、今度こそ寝ると言わんばかりに長い身体を丸めている。
天から降って来た新しい災いは、これまでに被ったどの災いよりも腹立たしい存在だった。
その災いに良く聞こえるように、僕は覚えたてのアホらしい話を、大音声で繰り返すことにした。

powered by 小説執筆ツール「notes」

25 回読まれています