柚子
「毎日冬至やったら金掛からんでええな~、南瓜とうどん食べて無病息災を願うて、こないして柚子湯に入って。」
そらまあ、クリスマスの準備や言うて、狭い部屋に新しいクリスマスツリー買ったりなんだりしてたら金は飛んでくやろうと思ったが、藪蛇になるように思ったので言わないことにした。
家に子どももおらへんのに今更ツリーなんかを買ったところでどうするという話ではあるのだが、クリスマスが終わればまた若狭と草々兄さんと新弟子のいる家での大掃除が待っていると思えば、気が塞いでくる前に何かしたろうと思ったのだろうとはなんとなく分かった。
「まだ入ってへんでしょう。」
「そうやけど。」
僕がジャケットを脱いでる間に兄さんはぱっとセーターと肌着を一緒に脱いでいる。
いい年をして小学生並みに行儀が悪い。
「柚子入れてる湯船だけ、人でいっぱいかもしれませんよ。」
「ここまで来たんやから、ちゃんと入れよ。お前。」
「金出したんだから、一応入りますよ。」
「そうかあ……? 湯船が人でいっぱいやったら、やっぱ入らんでええわとか言いそうや。」
「言いませんて。」
「まあ気持ちやけど、柚子風呂入ったら、その冬は風邪引かんていうからな。いっぺん肩まで浸かれば、それでまあええんとちゃうか?」
クリスマスの仕事で風邪貰って来たらあかんぞ、と言う男に、風邪が移るようなことでもしてくれる予定があんのですか、と言いそうになったが明らかに場所が悪い。
お互い年明けにも仕事入ってますもんね、と言うと、まあな、と煮え切らない返事が返って来た。
長期計画であの土地に常打ち小屋を建てると皆で決めたまではいいが、そうは言っても年末に仕事が入ってるのは僕だけで、まだ襲名前の小草若兄さんの次の仕事は、松の取れた時期の小浜である。
その仕事も、そもそもが草々兄さんの下座で日程がバッティングした妹弟子の代打に近い。
新年のスタートダッシュからして、予定はスカスカ。
高座を去っていた人間――しかもタレントとしても名前が忘れられつつある落語家がカムバックするのは、思っていたより難事業のようだった。それならとっとと襲名したらええやろうと考えるのも短絡で、草若の名を受け継ぐのは簡単な話でもない。
寿限無、時うどんと来てはてなの茶碗。愛宕山もおぼつかないような『小さい草若』には、最低これだけは覚えておけという話が多すぎるのである。
お前がやる気になったっちゅうなら、オレもこれからはビシビシやったるで、と筆頭弟子の草原兄さんが気炎を上げているうちに、色々と詰め込む必要があった。
まあその合間にちゃんとした仕事あるなら、全くないよりはええし、冬の小浜の日本海でカニ三昧したる、と本人は豪語してるが、その日の報酬が一か月の食費と光熱費になるというのに、冬の日本海でカニ三昧みたいな美味い話が、どこまで実現するかという話だ。
まあ若狭の実家の実入りが急に良くなった時期に重なれば良し、そうでなければ難しいだろう。
あるいは、大阪を出て放浪していた間は、それまでの貯金を切り崩して生活していたというからおそらく今回もその手でいくつもりなのかもしれないが、その貯金もほとんどは常打ち小屋に回すことが決まっている。
この先スポンサーが付けばよし、そうでなければ、全員の口座がほとんどすっからかんだ。そういうことで、この人は今でも僕の部屋を出られないでいるのである。
「金ないし、この際、銭湯のサウナでもええわな。」
ぽいぽいと服を脱いでいる。
「昨日までサウナ行きたいてうるさくゴネてたでしょう……。」
「なんか言うたか?」
「いえ、何も。」
そんで、ふたり一緒に来てて、なんでそんな遠いとこで脱いでるんですかと言いたい。
肘がぶつからない距離に離れると言うならまだ分かるが、ほとんど脱衣所の籠のある端と端である。
こっちが入口から遠いところに陣取ったら自分は手前て。
気持ちは分からんでもないけど、こんなとこで盗み見とかする人間と思われてる訳か……。
まあ見えたら見えたで見るだろうとは思うので反論はしないが、そもそも風呂に入るタイミングで真っ裸になるというのに、こんなところでグズグズしてても仕方がないだろう、と思っていたら、「したらオレ先に中に入っとるわ。」と一言、タオル片手に浴場に行く引き戸を開けている。
頭隠して尻隠さずとは言うが、ほんまに見えている。
精神年齢がどっかのタイミングで永遠に止まっていそうな男に今更何の言うこともないが、人の前でぽいぽいと服を脱ぐのは気にするくせに、それなら腰にタオルくらい巻いたらどうやていう話である。
「やっぱ銭湯はええな~。」と満足した様子で柚子湯に肩まで浸かっている男の隣で、僕は同じ黄色とは言っても、アヒルを大量に浮かべた風呂に入っている。
子どもはしゃいであちこち走り回ってうるさいが、そもそも子どもはうるさいものだし、狭い風呂よりはマシだ。
「悪いなあ四草、こっちオレ出たらお前入ってもええで。」
兄弟子が言う柚子湯の風呂には、ほとんど隙間がないような形で交互に人間が詰まっていて、明らかに入りづらい。
写真写りが良く、柚子をたくさん入れているように見えるようにか、掃除を楽にするためかは知らないが、一番小さい浴槽に、あわよくば、冬じゅう健康でいたいという人間がみっしりと、ほとんど、『二人癖』の樽に詰まった大根のように詰まっていた。
細くて長い身体をした年下の男はちょっとこの隙間にええですかと仁義を切るようにして入っていったが、僕はもうその光景を見ただけで諦めた。
広い風呂で寛ぐのが銭湯の醍醐味である。
「こっちなら足が延ばせますけど。」
「アヒル浮かんどる風呂に入ったかて、邪気は払えんやろ。」
ウヒョヒョヒョヒョ、と笑う声が銭湯の高い天井にこだましてる。
風呂に浮かべた柚子で骨のような身体は隠れるが、声までは隠せない。
あっという間に壁で隔てた女湯からは「アレ、今の小草若ちゃんやない?」と声が聞こえて来た。
「まさか、誰かのモノマネやろ。」「モノマネならそのうちソコヌケて聞こえて来るわ、こんなとこにおらんと今頃早見優ちゃんみたいにハワイ辺りで楽しくやっとるんちゃう?」という声が反響して聞こえて来た。
どない優秀な耳をしてたら笑い声だけでひとを特定することが出来るのかと思うが、目の前の人は、しまったという顔で口にチャックをしている。
「地方では忘れられてるみたいやけど、こっちはまだ覚えとる人間おるみたいですね。」
「……いやあ、まあそらひとりかふたりはおるやろ。」と言って湯船に浮かんでいる柚子をつついて転がしながらも、顔は喜色に溢れている。
ここで底抜けに嬉しいとか言うたら出てって貰いますからね、と言おうとしたタイミングで、「もう交代したるからお前こっち入ってええで。」
場所空けたるわ、と兄弟子が立ち上がった。
まあ大概分かりやすいていうか、今ので健康になったわ、とか言うんやろうな。
もっと空いたら入ります、とこちらが言うと、兄弟子は、今日みたいな日に大人しく待っとったとこで、いつになっても空きが出えへんぞ、と言って楽しそうに笑った。
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