探偵は腹をくくる

閃光。衝撃。そして熱気。
しくじった、と悟ったのは一瞬のこと。
嵌められた。
事前準備も下調べも、情報の出処も依頼人のことをも、全てを調べきっていたはずだった。
不味い。非常に不味い、と珍しく焦りを見せながら拳銃というには物々しく大ぶりな愛銃に流れるようにして弾を込めたハルアキは俗に言う、探偵だった。

ハルアキ自身、職は自由に出来れば何でも良かったのだが世話になった人から探偵をやった方が何かと『言い訳』がしやすい。とアドバイスを貰ったからだ。
探偵という職の形に特段の拘りはない。
しかし探偵という『仕事』にはそれなりのプライドをもって取り組んできたつもりだ。失敗は許されない。完璧主義であるという自己評価をハルアキは己に対し与えていた。
だがそれが今、崩されようとしている。
追っていた存在には逃げられ、自らは炎の海となった廃ビルの地下室に閉じ込められているという絶体絶命の状況だ。

「フルカロルッ!」

ハルアキが短くその名を呼べば、何もない場所から二足を地につけたグリフォンのような獣が現れる。
グリフォンめいているがところどころに魚類じみたヒレと鱗を見せるそれは2mほどの大きさの体躯を震わせ、大きく口を開けた。

『サバ! サバを寄こせ! 対価を貰わなきゃ動かない! 無償労働は嫌!』

炎が燃え盛る四角いコンクリートの部屋の中で、キンキンと甲高い声が響く。

「契約した分は黙って働け。それとも、このまま丸焦げになりたいか?」
『それはもっと嫌だ! 焼き鳥になりたくない!』

動かなければ殺すぞ、と愛銃の銃口を向けながらそう脅せば、フルカロルは大げさに跳びあがっておびえるふりをした。
ハルアキとフルカロルは情を交えた関係ではなく、ビジネスライクな契約の元、主従関係を結んでいるだけなのでどちらが片方に嫌気をさして契約を破棄しようが殺そうが問題はない。
だが、フルカロルに銃弾を2,3発お見舞いしたところでびくともしないことくらいハルアキもわかっていたし、フルカロル自身もそれをわかってやっている。

「なら、焼き鳥になる前にそこの扉を蹴破れ。やらなければその翼を腕ごともぐぞ」
『ヤー! 仕方ない! やるしかない! 対価は後で! サバパーティー! 約束ダゾ!』

ハルアキの脅しについに観念したフルカロルはその強靭な腕をもたげ、分厚く、炎で熱された鋼鉄の扉へと振るった。
真空の刃が分厚い鋼鉄の扉へと飛び、一瞬でばらばらの鉄くずへと変えていく。

「鍵開けご苦労。ずらかるぞ」
『アイアイサー!』

いつの間にか燃え盛っていた火も消え失せ、熱気のみの残る廃ビルを後にハルアキは悠々とした足取りで帰路につくのだった。
胸中に燻るのは嵌められた、という怒りときな臭さを感じる後味の悪さだけだ。



「先生、おかえりなさい」
「…ああ」

事務所へと帰ったハルアキを出迎えたのは助手のカナメだった。
中性的な、下手をすると中学生にも見えるその幼い容姿のカナメはその特異な体質故にある事件からハルアキに保護され、ここで助手をすることになった経緯がある。

「お仕事、上手くいかなかったんですか?」

ハルアキの浮かない気分を聡く読み取ったのかカナメが事務所のソファーに腰かけながら恐る恐る、といった様子で伺ってくる。

「ああ。怪しい奴を見つけたが逃げられた」
「そんな…」

カナメはハルアキの言葉に驚く。
師事するようになってから、カナメはハルアキが『依頼』を失敗するのを見たことがない。
カナメからすればハルアキは完全無欠の完璧主義者であり、依頼を失敗するなど許さない厳しい性格だった。
仕事のためならば自らの身体を代償に、フルカロルや他の悪魔とすら契約する外道さも持ち合わせている。
だからこそ、どんなに無茶苦茶な依頼だろうと失敗するなんてことはないと思っていたのだ。
しかしここに来て悪魔と契約していても達成できない依頼とくればカナメも訝しむほかなかった。

「まさか、相手も他の悪魔を?」
「いや。悪魔じゃなかったな、あれは」

直接襲われたわけでも見せびらかされた訳でもない。悪魔を使役していたのならもっと陰湿に仕掛けてくるはずだ。廃ビルに誘い込まれたのならなおさら、陣地構築を得意とする悪魔と契約していると予測ができる。
だが、罠は仕掛けられていなかったし、ハルアキの知る限りで異能のようなものを使ったのは逃げるときの一瞬だけだ。
一般人ならいざ知らず、ハルアキを殺そうとしたにしては些か雑すぎる。
そして悪魔との契約は大抵の場合、対価と期間が存在するために、無駄遣いもできない。
あんな目くらましのようなものをするには無駄遣いが過ぎるというものだ。

「どうも、きな臭い」

懐から煙草を取り出し、口にくわえ、火をつける。
そもそもの依頼が『廃ビルに怪しい集団が出入りしているため調べてほしい』という曖昧なものだったのだ。依頼主はその廃ビルの持ち主で、取り壊しをしたいが為にハルアキに調査を持ち掛けてきたのだ。

もちろん、ハルアキが悪魔と契約しているなどと言うのは一般人にも分からないことなので依頼人はそのことを知らないしハルアキも話していない。だからこそ、依頼人が共謀してハルアキをはめたとは考えにくい。

ハルアキが調べた結果、何か証拠が出てくるわけでも怪しい儀式の痕跡もなく、ただただ普通の廃ビルだということしかわからなかった。
ただ、最奥の地下室に入った際に怪しい人物が居たため話を聞こうとしたところで目くらましとあの爆発を食らったというわけだ。
爆発物による爆破ではなく、突如純粋な炎が弾け、爆発したということは何らかの超常的な力が働いたと見るしかない。
あれは精霊使いか、それとも、外の国の異能者か。

「調査、続行しますか?」
「決まってる。やられっぱなしは性に合わねえ」

依頼人がなにも知らない表の人間であるため、偽りの調査結果を教えるのは容易いだろう。だが、鉄扉を粉砕し、地下室が焼け落ちるという物損も出している以上言い訳はできない。
最強の国守、|皆守家でない限り《・・・・・・・・・》。

「だが…」

地下室に居た人物の顔を思い出す。
あの顔を、どこかで見たような気がしたのだ。
そう──皆守家の当主を若くして継いだ、皆守イズルに酷く似ていたような。
ハルアキとて、国の暗部そのもののような存在など親しいわけではない。顔も、大物政治家の開催するパーティーでちらりと見ただけだ。
まだ19だというのに大人びた顔つきで自らの年齢の何倍もあるような権力者に囲まれても動じず、冷静に受け答えをしていたのを見て「相手取るには分が悪そうだな」と純粋に思ったのを覚えている。

ハルアキが皆守の存在、ひいてはその仕事の内容を知るようになったのは別に特別なことではない。
ハルアキも似たような家系に生まれ、しかし親の尽力によってその宿命から逃れただけだ。
ハルアキの父は、幼いハルアキに何度も言い聞かせていた。

──普通の人間として生きていたいのなら、皆守には触れるな。あれはどんな政治家や権力者よりも恐ろしい。自らを害するものだと知れば、どこまでも追ってくるだろう。

全てを捨てて普通の人間になれた「自分たちは運が良かった」のだと。
「去る者は追わず」だから生きていられるのだ、と父とは別に母はハルアキに語った。
そんな父母の尽力は、今のハルアキを見れば当然、無駄になったと言わざるを得ないが。

ガチャリ、と事務所のドアが開く音がした。
家主であるハルアキはここでいま思考しており、助手であるカナメもソファーの端でラップトップで調べ物をしている。
誰かが出ていったわけではない。
──つまり、誰かが来たということだ。そしてそれは大概まずい中華の出前を押し付けてくる近所の馴染みのヤブ医者か、依頼人だ。

「山奥にある皆守の屋敷にいる化け物を駆除しろ。目的の為ならばどんな外法を使っても構わない」

開口一番、その依頼人は客用のひとり掛けソファーに座ることなく立ったままでそう告げた。
スーツを着ていて髪をワックスで固めている、遊びも隙もないまるで冷徹で機械のような男だった。冷徹な部分はハルアキとは似ているが人間味に欠けており、そこが決定的に違う。

「おい。ここは駆除業者じゃねえ。探偵事務所と書いてあるのが見えなかったのか?」
「金さえ出せばなんでもするのだろう。"悪魔憑き”」

抗議の声を出せばハルアキが悪魔と契約していることを見透かすような答えが返ってくる。
なんでもお見通しか──。
内心で舌打ちをし、ハルアキは座り直して男に座るよう促す。

「まあ座れよ。──そこまで知ってるってことはアンタ、どこの使いだ?」
「詮索は長生きできんぞ」

男は勧められたソファーに座ることもなく、ちらりと客用のコーヒーを用意してきたカナメを見やる。

「あれは“御子”か。育てて食らうつもりか?」
「...アンタも、人に知られたくない割には知りたがるんだな? 残念ながらその予定はない。悪魔どもに食わせるのは俺だけで十分だ。下手に詮索すると喉元食いちぎられるぞ」
「確かに、貴様はあの女狐の血筋だったな」

まるでカナメとハルアキのことを何から何まで知っている、と言わんばかりの男にハルアキは気味の悪さを感じていた。
信田などと言う苗字はこの国に腐るほど居る。そして、ハルアキという名前もだ。
『信田ハルアキ』は、この国にありふれていて、そう少なくない名前だ。だというのに、この男はハルアキのことをよく知っていた。

「──いずれ相対する羽目になるのだから、お膳立てされた舞台で踊るのも悪くはないだろう」

偉そうに上からソファーに座るハルアキをねめつけながら男は言う。
ハルアキの存在など、ちっぽけでどうにでもできると言わんばかりに。

「期間と成否は問わん。犬のように尻尾を巻いて逃げるならそうすればいい」

男はハルアキに口を挟ませることなく、まるで命令を下すように告げる。

「貴様に拒否権はない。もう一度言う。皆守家の化け物を駆除しろ。わかったな?」

ちょうど皆守のことを調べようとしていたので調査の手間が省けた、等とは口が裂けても言えない。
皆守家当主であるイズルのような人物を目撃してすぐに、示し合わせたかのようにこんな依頼を持ってきたこの男のことが信用ならないの一言に尽きる。
だが、拒否権もないらしい。
この男だけなら、武力で黙らせることは可能だろう。しかしこの男が皆守家に詳しそうであるということはハルアキ相手にそれなりに戦える可能性も否定できない。
外の様子も分からないため、本当にこの男が一人で来たのかもわからない。何も情報がない状態で動くのは得策ではないことくらい、ハルアキは分かっていた。

ハルアキの返答を聞くこともなく、言うことだけを言い切ったらしい男はそこそこの厚みのある茶封筒を置いて事務所から出ていった。

「おいカナメ! 塩撒いとけ、塩!」
「は、はい!」

封筒の中身をサッと覗き、それが札束であることを確認したハルアキは今度は隠しもせずに舌打ちをした。

「チッ…化け物ってのは当主のことか? それとも、別の何かでも居るのか?」

それも探偵なので自分の足で調べろ、ということなのだろう。だが、次は無いと思える態度のクソッタレな依頼者だ。
嫌な縁が出来てしまったものだ、と短くなった煙草を灰皿に擦りつけてかき消したハルアキは仕事は仕事だと腹をくくることにした。

「皆守家、か…」

決して一筋縄ではいかないだろう。
予感がなくてもわかるこの厄ネタあふれる家名をハルアキは復唱するのだった。

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