軍師天鬼、利土を描く(2)
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それから半月ほど経つころには、天鬼の画力は目に見えて上達していた。
もともと作戦図を描くための観察眼はある。加えて、一度要領を掴めば異様な集中力を発揮する男だった。人体の比率、骨格、衣服の皺、顔の角度。分からないところは片端から調べ、城下の絵師に金を払って聞き、時には利吉を立たせて腕を上げさせたり座らせたり、果てには「そのまま少しこちらを向け」などと注文をつけながら素描を重ねた。利吉はそのたびに微妙な気分になった。
「天鬼殿」
「何だ」
「いつまでこの姿勢でいればいいのですか?」
「もう少しだ」
「さっきもそう仰いました」
「まだ肩の線が取れていない」
「肩の線というものはそんなに重要なのですか」
「重要だ。人体は肩で決まる」
「いつの間にそんな境地に……」
「昨日」
「昨日ですか」
そんなやりとりを繰り返しているうちに、利鬼はすっかり専属の人体資料になっていた。
立つ。
座る。
振り向く。
寝転ぶ。
相手を見下ろす。
壁に手をつく。
相手の顎へ指をかける。
「……天鬼殿」
「何だ」
「これは本当に人体資料用なんですか?」
「恋愛物は距離感が重要らしい」
「誰の受け売りなんです」
「女中だ」
またあの女中か……。
利吉は心の中で、女中への警戒順位を一つ上げた。
ある日、出来上がった一枚を見せられた女中は、しばらく無言で紙を見つめたあと、ゆっくり顔を上げた。
「天鬼様」
「何だ」
「……お上手になりましたね」
「そうか」
「この間まで後ろを向いた人に顔を生やしていたのに」
「前のことは言うな」
「いえ、本当に。あっという間に島角くらいの画力に……恐ろしい……」
「しまかど?」
「こちらの話です」
「そればかりだな」
天鬼は不審そうに女中を見た。
「島角とは何だ。地形の話か」
「配置です」
「何の?」
「本を売る場所の」
「何故本を売る場所に島がある」
「机が並ぶと島のようになるので」
「では島角というのは見晴らしのいい場所に陣取るという意味か」
「まあ、大体そんな感じです」
女中は説明を諦めた。
「ともかく、絵についてはだいぶ見られるようになりました」
「では売れるか」
「いいえ」
「まだ何か足りんのか」
即座に返されて、天鬼の眉間に皺が寄る。
「見られるようになった絵だけで人気絵師になれるほど甘くはありません」
「そうなのか……」
「むしろここからです。次に必要なのはプロットです」
「……ぷろっと?」
また知らない言葉だ。天鬼は少し考えた。
「兵法か?」
「違います」
「忍術か」
「違います」
「では何だ」
「お話の設計図です。誰が何をして、どういう出来事が起きて、最後にどうなるか。それを最初に組み立てておくんです」
「…………」
天鬼の顔つきが変わった。
「つまり、筋書きか」
「はい」
「最終的な目的を定め、そこへ至るまでに必要な出来事を配置する」
「そうです」
「途中で読む者の予想をずらし、危機を置き、感情を動かして最後まで読ませる」
「そうですそうです」
「──なるほど」
天鬼は深く頷いた。
「軍略と同じだな」
「まあ……遠からず」
「最初からそう言え」
「普通は恋愛モノを軍略で理解しませんもので」
女中はそう言ったが、しかし天鬼にはそれが一番分かりやすかった。戦と同じである。
「敵がどのように動くか予測し、誘導し、こちらの狙った場所へ追い込む。そのために伏線を置き、囮を使い、最終的に望む結果へ導く」
「言い方が物騒ですが、まあ大体そんな感じです」
「ふむ」
なんだそんなことか──と天鬼は思った。人の心を読み、感情を誘導する。相手が気づかぬうちに判断をこちらへ寄せ、最終的には自ら望んでその選択をしたと思わせる。それこそが忍の本懐である。
「つまり、色忍務のようなものだな」
「まあ……かなり乱暴に言えば」
「気づかぬうちに相手をその気にさせ、最終的には本人から動かせる。そういう筋書きを作る」
「仰る通りです」
「簡単ではないか」
「急に妙な自信が出てきましたね」
「何故今まで教えなかった?」
「人間を人間として描けるようになる方が先でしたので」
「一理あるな」
天鬼は素直に認めた。
とは言え天鬼自身、色忍務の経験が豊富なわけではないし、くノ一ほどその方面に詳しくもない。ただ──理屈は分かる。
「それで、利土ではどのように人心を誘導すればよい」
「その言い方やめません? そうですねえ……本当は描きたいものがあるのが一番なのですが、天鬼様はバズ狙いで人気カプを描こうとしている俄かなので」
「なんだか悪口を言われている気がするのだが」
「滅相もない」
女中は少し考えてから言った。
「まず、読者が何を読みたいかを考えます」
「山田利吉と土井半助が恋仲になる話ではないのか」
「それは大前提です。そのうえで、どう恋仲になるかが大事なんです」
「どう?」
「たとえば、昔から親しい二人が互いに気持ちを言えないまますれ違うとか。忍務で負傷して看病するとか。雨宿りで二人きりになるとか」
「何故雨が必要なのだ」
「雰囲気が出るので」
「晴れでは駄目なのか」
「駄目ではありませんが」
「戦なら雨天は足場が悪くなる」
「恋愛は戦ではないので。……いや戦かしら?」
「先ほど軍略と同じだと言っただろう」
「同じとは言っておりませんよ」
女中はこめかみを押さえた。
「では、まずこの二人の関係を整理しましょう。山田利吉は土井半助が好き」
「うむ」
「土井半助は?」
「好きではない」
「即答しないでください。やる気あります?」
「恋仲ではないと言っただろう」
「恋仲ではないことと、気持ちがないことは別です」
天鬼は少し黙った。
「……そうなのか?」
「そういうことにするんです」
「二次創作だから?」
「二次創作だからです」
二次創作。便利な言葉である。
「では土井半助も、山田利吉が好きだと」
「そうしてもいいですし、これから好きになるでもいいですし、最初はまだ気づいていないでもいいですね」
「気づいていない」
「はい。山田利吉の方は何年もずっと好きなのに、土井半助は弟のようにしか思っていない。でも何かのきっかけで、今までとは違う目で見るようになる」
天鬼は腕を組んだまま考え込む。
「……それでは恋仲になるまで山田利吉が不憫ではないか」
「そこが美味しいんですよ」
「不憫なのが?」
「片想いは読者が応援したくなりますから」
「なるほど……」
天鬼は真面目に紙へ書き留めた。
山田利吉、長年片想い。
土井半助、気づいていない。
何らかの事件。
認識が変わる。
恋仲。
「……これでは単純すぎるな」
「最初はそれくらいでいいんですよ」
「しかし、気づいていない男が突然恋愛感情を持つのは不自然ではないか?」
「だからきっかけを考えるんです。まず読者に、二人が互いを意識していると思わせるようなシチュエーションを作ることですね」
「しちゅえーしょん」
「例えば、妙に距離が近いとか」
「なるほど?」
「他の人にはしないことを相手にだけしてしまうとか」
「なるほど」
「誰かと親しくしているのを見て、理由も分からないまま苛立つとか」
「…………」
天鬼が黙ったが、女中は気にせずに続ける。
「何でもない一言を後になって思い出してしまうとか。触れた手を意識するとか。別れたあと一人になってから、今のは何だったんだろうと考えてしまうとか」
「…………」
「天鬼様?」
「……いや」
天鬼は少し目を逸らした。
「続けろ」
「はい。要するに、読者が『もう好きじゃん!』と思ってニヤニヤするような展開です」
「にやにや」
「本人たちは分かっていない。でも読者だけには分かる。それがよろしいんです」
「なるほど……」
天鬼は真剣な顔で頷いた。
「では、土井半助が山田利吉を意識し始めるところからだな」
「ええ」
「どうすれば意識する?」
「そうですねえ。二人きりにするのが手っ取り早いでしょうか」
「二人きり」
「夜など特によろしいかと」
「夜」
「狭い部屋で、近い距離で話をさせます」
「近い距離」
「それで、不意に目が合って、少し黙る」
「黙る」
「で、どちらかが逸らす」
「何故だ?」
「恥ずかしいからです」
「何を恥ずかしがることがある」
「相手を意識していることに気づきそうになるからですよ」
天鬼は少し考え込んだ。
「……難しいな」
「さっき簡単と仰ったばかりでは?」
「軍略なら敵が何を考えるか読めるが、恋愛は何故そこで黙るのかが分からん」
「では実際に試してみては」
「何を」
「距離感ですよ。利鬼様がいるでしょう」
天鬼は顔を上げた。
「……利鬼を?」
「人体資料にしていらっしゃるんでしょう?」
「そうだが……」
「でしたら、そのまま場面の資料にもなっていただけばよいではありませんか。台詞を読んでもらうとか」
女中は微笑んだ。──ほんの少しだけ悪い顔だった。
「天鬼様に足りないのは実践でしょう。戦には慣れていらっしゃるから相手がどう出るか読めるけれど、恋愛ではそれが分からないからプロットが立てられない。実際にやれば見えてくるものがあるかもしれませんよ」
「そうか、実戦経験が必要だと」
「字が違う気がしますが、おそらく」
「ならばやろう」
天鬼は即答した。
女中も何も言わずに頷いた。
***
「……それで」
──言われた通りに夜である。
利吉は天鬼の部屋で、一枚の紙を手にしていた。
「これは何でしょうか」
「ぷろっとだ」
「ぷろっと」
「話の設計図だそうだ」
「また新しい言葉を覚えましたね」
「軍略と同じだ」
「違う気がしますが……」
「同じだ」
天鬼は断言した。
利吉が紙に目を落とすと、そこには天鬼の筆で細かな箇条書きが並んでいた。
一、山田利吉と土井半助を二人きりにする。
二、夜。狭い部屋。近い距離。
三、目を合わせる。
四、黙る。
五、片方が目を逸らす。
六、読者がにやにやする。
「……最後だけ急に雑では?」
「そこが目的だ」
「何の目的なんですか」
「読者を喜ばせれば売れるそうだ」
「はあ……」
利鬼は何とも言えない顔をした。
「それで、私に何をしろと?」
「実演してもらう」
「またですか」
「今回は人体ではない。心理だ」
「もっと嫌なんですが」
「何故だ」
「何故だと思います?」
「分からん」
いつものやりとりだ。利吉はため息をついて言った。
「……具体的に何をすればいいんですか」
「まずそこへ座れ」
「はい」
利吉が座ると、天鬼も向かいに座る。
「もっと近くに」
「このくらいですか」
「わからん……女中はただ近い距離と言っていた」
「その女中、信用していいんでしょうね」
「詳しいぞ」
「一体何に……」
結局、膝が触れそうな距離まで近づくころには、利吉はすでに嫌な予感を抱いていた。
「次は何を……?」
「目を合わせる」
「もう合わせていますが」
「では黙る」
「……はい」
二人が黙ると、しん、と部屋が静かになり、灯明の火がわずかに揺れた。
天鬼がこちらを見ていて、利吉も天鬼を見ている。
(……何をしているんだ私は)
そう思っても目を逸らすのは負けた気がして、利吉はなかなか逸らせずにいた。
距離が近い。前にも似たようなことがあった。分かっている。この人はただ資料の一環としてこうしているだけで──それなのに何故こういう時だけ天鬼の顔を妙に細かく見てしまうのだろう。
睫毛が思ったよりも長い。
灯りが瞳に映って、ゆらりゆらりと揺らめいている。
天鬼は何も言わない。早く何か言ってほしいと利吉は思った。このままでは自分の鼓動ばかりがうるさくてかなわない。
「……天鬼殿」
「何だ」
「黙るのは、いつまででしょう」
「分からん」
「分からないんですか?」
「女中は少し黙ると言っていた」
「もう十分黙ったのでは」
「そうか?」
「そうですよ」
「では次だな」
天鬼は紙を見る。
「片方が目を逸らす」
「天鬼殿どうぞ」
「何故私が」
「私にやらせるおつもりですか」
「どちらかが、とある」
「ですから天鬼殿で」
「嫌だ」
「何故」
「私が目を逸らしては参考にならん」
利吉は黙った。
「……では私が」
そう言って視線を逸らした。その瞬間──。
「……なるほど」
天鬼がふと呟いて、利吉は再び天鬼を見た。
「何ですか?」
「少し分かった」
「何が」
「今、何となく追いたくなった」
利吉はゆっくりと天鬼を見る。
「……何をです?」
「お前の目を」
「…………」
「目を逸らされると、こちらを見させたくなるな」
天鬼は至極真面目な顔をしている。
利鬼の胸が、どくりと鳴った。
「……それは」
「これが読者のにやにやするところか?」
「私に聞かないでください」
「何故顔が赤いんだ」
「暑いんです」
「涼しいぞ」
「そうかもしれませんね」
「では何故──」
「もう次に行きましょう」
利鬼が紙を奪うように取り上げ、天鬼が不思議そうにそれを見る。
「次は何だ?」
「……ありません」
「これで終わりか」
「最後は読者がにやにやする、です」
「では成功だろうか」
「知りません」
「にやにやすると思うか?」
「私に分かるわけないでしょう」
利吉はもはや頭を抱えたくなった。けれども一方の天鬼は、顎に手を当てて何か考えている。
「しかし──」
「まだ何かあるんですか?」
「もう少しやれば分かる気がするな」
「何がです」
「恋愛が」
「やめましょう」
「何故だ」
「私の心臓がもちません」
思わずそう言ってから利吉は固まり、天鬼も止まった。
「……心臓?」
「……今のは忘れてください」
「何故心臓が」
「忘れてください」
「利鬼」
「忘れてください」
「顔が赤いぞ」
「忘れろと言っているでしょう!?」
珍しく利吉が声を荒らげ、天鬼はその声に少し驚いた顔をしたあと──何故か口元をわずかに緩めた。
その頃女中部屋では、壁際に列を作らせたことのある女が『やっぱあれ、一次創作じゃ……?』とぶつぶつと言っていた。
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