牛乳かん



「草若ちゃん、抱っこしてー!」て突撃してくる元気いっぱいの子どもを、プロレスみたいに抱き上げたり下ろしたりしてたら、うちの王子様が僕もして欲しい、て顔してたから、気が付いたら交代で高い高いしてる間に、すっかり腕がくたびれてしもた。
「おい、草々、お前ぼんやり見てへんと交代せえ。」
「オレがお前と同じことそないしてやったかて、お前がやるほど喜ぶことはないやろ。同じ時間掛けるならいつもの浴衣に着替えて小噺でもやるわ。」
「あ、僕、おじさんの小噺聞きたいです!」
「……お前はほんま素直やなあ、よっしゃ、聞かせたる、何がええ?」と草々が相好を崩した。
「僕、宿屋仇がええな!」
「……そらええけど、この時間からやってたら夜が明けてまうで。」と草々がちらっとこっちを見て、お前はもう帰る時間とちゃうんか、と言わんばかりの念を送って来た。
いつもなら、おいもっと短いのないんか、て言ってるオレがやいやい言い出すと思ってんねやろ。それが、なんや、今日はいつもみたいに、はよ帰ってあいつの顔見たいとか思わんねん。
「宿屋仇なら、オレも久しぶりに聞きたいわ。なんや相撲のとこになると、お前いっつもつまづいてたやん。」
「そら昔の話や!」
「分かっとるわ。師匠がテレビで取組見てちっと勉強せえ、て言ってたのに、なんや知らんけど逃げ回ってたもんな。」
男の裸の尻見たいことないのは、まあオレも分かるけどな。
千代の富士くらいの面相の男ならともかく、どっちかいうと、あんなもん積極的に見たいていう方が何を考えとんのか分からんで。
「草々兄さんが師匠の言うこと聞かんかったことなんかあったんですか?」と麦茶持って来た喜代美ちゃんが驚いた顔をしてる。
「せやねん、オレもこいつにしたら珍しいなあ、て思ってたから覚えとるていうか。」
あ、麦茶美味い。
あいつも今頃冷やしうどんでも食ってんのかな。
「相撲なあ、あれ、オレののうなった親が好きやったんや。」
ええっ。俺らのガキの頃言うたら、野球もプロレスもテレビで見れる時代やで、それを何を好き好んで相撲て。
とまあ腹ン中ではそう思ったけど、なんや草々の真面目な顔見てたら今はそういうツッコミはあかんわな~て気になってきた。
「お父さんの親て、わたしのおじいちゃんとおばあちゃん?」
どんな人らやったん、とオチコちゃんが身体を乗り出して聞いて来た。
「そうやなあ、オレもお前のじいちゃんの話しか出来んけどな。……母親のことは、オレが生まれてすぐにのうなったから、オレもよう覚えてへんねん。その後はおかみさんが……草若の母親やった人がオレの母親代わりだったし。」と言ってから、草々がちらっと遠慮するようにしてオレの方を見た。
最期までおかんの面倒見といてかって、今更変な遠慮してどないすんねん。
話の続きしてええで、と手を振った。
「お前のじいちゃんはなあ、オレのこと男手ひとつで育てなあかんてこともあって、座布団作る、今言うたら内職みたいな仕事してたんや。貧乏でなあ、うちはテレビ買うような余裕もないから、隣の家まで行って、最後の横綱とか関取の一番のやってる時間だけ見せてもろてた。それがオレは、なんや肩身が狭いような気がして嫌でなあ。オレはじいちゃんが早うに死んで親戚の家で暮らすことになって、四六時中その、……相撲見てるときみたいな、遠慮して小さくなっとらなあかん、みたいな気持ちになってな。あんときに、相撲はもうええわ、と一遍思ったんや。まあオレもその相撲見るときの経験ていうか、父親がそういうとき、どないして隣のうちに入ってって、テレビ見せてくれ、て振舞うやり方を教えてくれたったから、どうにかなったてところもあった。それなりにはやっていけてて、中学出たらどっか工場なりと働きに行って、人の間で小そうなって一生過ごすかと思ってたんや。けど、そんなオレが、師匠の落語を聞いてるときだけは、普段の、ずっと窮屈な気持ちでおることとか忘れられた。……師匠はそんなオレのことを見つけてくれて、落語をするときの声がええて褒めてくれたんや。嬉しかったなあ。オレの住んでた町は京都にあったから、もしあないして師匠と出会わんかったら、小浜に住んでたお前のお母ちゃんと出会うこともなかったやろ。」
「へえ~。その頃、お父ちゃんて子どもの頃、京都におったん。」
「そうや。」
「京都で生まれ育ったにしては、いけずな言葉遣いとちゃうね。」とオチコちゃんが言うと、皆その場で吹き出した。
「あほな子ぉやねえ。京都の人間がみんないけずのことあるかいな。大阪におっても、あんたの周りに、話おもんないとかツッコミ出来へん子も、たくさんおんのと違う?」と喜代美ちゃんが笑いながら言った。
「おかあちゃんうまい事言うなあ。そんで、お父ちゃんその相撲の話、今やってくれるの?」
「相撲の話だけとはちゃうけどね。」と喜代美ちゃんが言って切りそろえられた前髪の額を優しく撫でた。
宿屋仇か。相撲のくだりだけはなんや調子が出てけえへん理由は分かったけど、草々は今からやるんかいな、て顔をしてる。
子どもは寝る時間やで、と言っても大人にしたらまだ宵の口や。
「草原兄さんの聞くのもええけど、お前がなんや忘れてるとこないか見たったるわ。」
「おい!」
「覚えてへんことないやろ、さっさと始めんとそれこそ夜が明けてまうで。」とオレが手を振ると、オチコちゃんが隣の部屋から小拍子と座布団持って来て「草々師匠どうぞ~!」と言って、おチビはおチビで「はい、拍手~!」て幇間よろしく草々のこと持ち上げてる。
喜代美ちゃんが『草々兄さんの落語』ならなんでもおもろいて思ってんのは昔からやけど、今日もいつもみたいに「私も聞きたいです!」て言ってキラキラの顔して盛大に拍手してるしなあ。
結局、いそいそと座布団に正座して枕を話し出してしもた。
お前なあ、浴衣着るんやなかったんかい。
まあええけど。
ほんっまに、ここの三人、みんなして草々のこと乗せるの巧いなあ。
なんやおチビはこういう調子のええとこあんま四草に似てへんし(あいつほんまねちっこいし)、ここのうちはここのうちで、この子の性格は喜代美ちゃんにも草々にも似てへんし……誰に似たんやろ。
「あ、喜代美ちゃん、オレもお茶もらうで。」と席を立った間に、いつもの枕の日本橋の話になっている。
いつものとこからコップ借りて、冷蔵庫から麦茶のボトル出してると「草若兄さん、私やりますさけ。」とやってきた。
「ええてええて、一日こないして子どもの面倒見てんのやろ、夜くらいゆっくり腰落ち着けてのんびりしたらええわ。」
「そうですか?」
そうやそうや。
「はあ~、それにしても、麦茶冷えてて旨いなあ。」
ずっとここにおりたいな、という気持ちが顔か声に出てたのか、「草若兄さん、四草兄さんと何かあったんですか?」て喜代美ちゃんに小声で聞かれてしもた。
「なななななんで そんなこと分かるんや、」
喜代美ちゃん、今日は妙に鋭いことないか?
ていうか、草々の落語聞かんでええんか?
久しぶりの宿屋仇やで、て言うて顔上げたら草々の方でもこっちのことチラチラと見てるし。
草々、お前……弟子あんだけいてるくせに、底抜けに修行が足らへんのと違うか?
「いや、いつもの草若兄さんやったら、子どもらのリクエストに『つるでええがな、とっとと聞かせたり、はようち帰るで。』って雰囲気になりますよね。四草兄さんが夜の仕事入れてる日ぃでもなし、今日はなんや帰りたないなあ、て思てる雰囲気出てるから、なんや理由でもあんのかな、て。」
「えっ、喜代美ちゃん、今日は火サスの探偵みたいやで。」
そんな~、あんまり褒めんといてください、といつもなら言うはずの喜代美ちゃんも、今日は妙に真面目な顔してるなあ。
「……オレってそんなに分かりやすいか?」
「まあそうですね。」と言われてズッコケそうになった。
あんなあ、オレは別に四草の話なんか、て言おうとしたけど、それ言うたら藪蛇ていうか。まあ、藪蛇だとしても、これ、オレが言わな離してもらえへん流れとちゃうか。
そんでそんで、という顔をされて、オレは麦茶を飲み干して、どこから切り出したもんか、と頭を掻いた。
「いや、なんかな、……この間な、オレ新しいエプロン買うたんや。」
「ええやないですか、四草兄さんへのプレゼントですか?」
「いや、オレが自分で着るヤツ買おう思ってな。駅前に行ったら、雑貨屋みたいなとこで、ちょっとよさそうなん見つけてん。今のオレの年で似つくような模様とちゃうねんけど……。」
喜代美ちゃんの方が似合いそうやな、て思ってても、最近なんやマンネリやし、て考えたら手が伸びてて、気が付いたら買うてしもうてたんや。
「四草兄さんに見せたんですか?」
喜代美ちゃん、なんや今日はいつもとちゃうなあ。グイグイ来るなあ。
「いや、あいつに見せたら喜んでくれるかなあ、て思ってたんやけど、なんや渋い顔して『子どもに変なもん見せんといてください。』て。」
そんでなんや今日帰るの気まずくなってもうて、て言ったら、ああ~、と喜代美ちゃんが、天の神さんを仰がんばかりの声を出した。
「四草兄さんて、いつもあんだけ見栄っ張りで子どもっぽいのに、時々妙に『昭和の男』て感じになりますよね。そういうたら、草々兄さんも、私この間ショートパンツていうか、短い丈の短パン買うたら、お昼はそんな太い足見せんな、て言うてたくせにその夜になんかええ雰囲気になったていうか……。」
ええ~~~~~~~。
草々お前……そこでちゃんと褒めんかい!
こんな可愛い子がお前のために可愛い格好したろて言うてんのに、ようそんな贅沢なこと出来るな……。
前々からアホちゃうかて思ってたけど、ほんまアホなやっちゃで、て思ったら、気が付いたら相撲の場面になって八卦良いとか言うてるし。
すっかり落語に夢中になった子どもに向けて侍になっとるし。
「まあなんかしたいなあ、て思たときがええんと違いますか。」
「それ、オレご馳走様て言わなあかんとこか?」と聞くと、喜代美ちゃんが目をパチパチさせた。
あかんな、……なんや喜代美ちゃん、今惚気とったことに気付いてへんのと違うか。
「草若兄さんも、似合てるやろ、てエプロン着たとこちゃんと見せたい人に見せたらええんと違いますか? こういうのは、こっちが堂々としてたらなんかいい感じになるはずやでぇ。私と草々兄さんみたいに結果オーライていうことになるかもしれませんし。」
「……せやなあ。」
いや、男の尻見たいてヤツの方がおかしいよなやっぱり、て思いながら聞いてたらなんや草々の落語に集中出来へんていうか。
もう帰ろかな、ていう気持ちになって来たところに、お邪魔します、という聞き慣れた声が聞こえてきた。
四草!
「オレ、出て来るわ、」
落語続けててええで、と草々にジェスチャーしてから玄関に行くと、不機嫌そうな顔の男が立っていた。
こいつもまあ、高座の上か外の人間相手に愛想する以外は、年柄年中、無表情か不機嫌そうではあるんやけど。
「お前なんで来たんや。」
「迎えに来たに決まってるやないですか。」
帰りますよ、と言われて力が抜けた。お前なあ、来るのが三十分遅いで。
「何笑ってるんですか。」
「お前もオレも、おチビが草々の落語聞き終わるまでは帰られへんで。」
一緒に帰ったってもええけど、と言おうとしたとこで、宿屋仇はもうちょっとでサゲに来るところやった。ここで中途半端に止めたら後で恨まれるて。
「今日は何掛けてはるんですか、草々兄さん。」
「宿屋仇や。あれはいつも枕から長いからなあ、もうちょっとかかるんと違うか?」
「そんな他人事みたいに。」と言って四草はたたきに腰を下ろした。
「中入って、冷たい麦茶飲んでちょっとゆっくりしてったらええやんか。」
「僕はええです。」
一刀両断かいな。ほんまに機嫌悪いなあ。
「……あんなあ。」
「何ですか? 草若兄さんがそうしたいならあっちで若狭と話してきたらええやないですか。」
「あのエプロンな、ほんまはお前に見せるために買うてきたんやで。」とオレも四草の横に座った。
「知ってます。僕かて、子どもに先に見せたから拗ねてるてわけじゃないですよ。」
………?
いや、お前……底抜けに拗ねとるやん。
ていうか、何や、まさかそないなしょうもない理由で子どもみたいに拗ねてたんかい、……てまあこいつもオレに言われたないやろうけどな。
「次に何か買うて来たときはいっちゃん先にお前に見せたるわ。」
「……別にええです。」
「兄さんらぁ、もう帰りはるなら今日わたしが作った煮物少し持ってきません?」
「「!!!」」
き、喜代美ちゃ~~ん。
「若狭、お前どこから訊いてた?」
「え、今草々兄さんの話が終わったとこなんで、別に兄さんらぁの話は聞いてませんけど。……あ、四草兄さん、冷えてる麦茶飲みたいことないですか? 牛乳かんもありますけど。」
「……寒天は食べてく。」と四草は言った。
お前、なんでそない切り替え早いねん。
どうせめちゃめちゃ腹減ってるくせにそんな凛々しい顔になるて、ほんま底抜けにズルいで……。
「どうぞどうぞ。子どもたちも草々兄さんも喜ぶでぇ、入ってってください。」
草々兄さんが喜ぶことないやろ、と言いながらも四草は靴を脱いだ。


喜代美ちゃん、ほんまどこから聞いてたんや?

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