好奇心は猫を殺す

 穹はその日列車で、とても奇妙なものを見た。
 奇妙――一見して奇妙なのはそのとおりだが、何かそれだけではない違和感がある。ひとつやふたつで済まない違和感で、むしろ大渋滞を起こしている、というか。
 なんだろう、と考えながら、同じく立ち尽くしていたなのかの隣に並ぶ。自他共に認める自由奔放な美少女も、ラウンジに入るなり出くわしたこの光景に呆然としていたらしい。
「なに? あれ」
「わかんない。ウチが来たときにはもうあの状態だったよ……」
 目が離せないでいるなのかの視線の先にはふたりの人間がいる。どちらも列車の客人であるからして、迎えるこちらは礼節をもって接しなければならない。と同時に客人の側も、車掌の怒りを買わぬよう、ある程度常識的な行動と列車に対する敬意が求められる。
 この場合はどう判断したらいいのだろうかと、穹はじっと考え込んだ。すなわち、次の瞬間ブートヒルが暴れ出すことを危惧してふたりを引き離すべきかということだ――アルジェンティが彼の両脇に手を差し込んで、まるで猫を抱くように持ち上げているこの状況から。
「……なに? あれ」
「だからわかんないって!」
 改めて見ても意味がわからない光景だ。アルジェンティは眩しい笑顔と眼差しをブートヒルに注ぐばかりで、一方のブートヒルは完全にフリーズしてしまったかのように目を丸くしたまま停止している。なんでもいいから列車でやらないでほしい。
「ええと……いろいろツッコミどころはあるんだけど。なんでブートヒルは文句言わないの? いかにも大暴れしそうなのに」
 こちらはフリーズから立ち直ったらしい。再起動したなのかがこそこそと耳打ちしてきた。言われて気づいた、たしかに、どうして彼はされるがままになっているのだろう。
「もしかして壊れちゃった?」
 壊れちゃった。その言葉で更に思い当たる。機械の身体のブートヒルの“体重”について聞いたことがある――身動きが取りやすいよう極力軽量化はされているものの、それでも並の人間と比べたら相当に重いのだと言っていなかったか。
 それをあの純美の騎士は軽々と持ち上げている。幼子や犬猫を抱くかのように。この光景を見た瞬間に抱いた違和感はこれかと、穹は静かに得心した。
「抱き上げると大人しくなる機能がついてる、とか」
「それってすごく……便利かも」
 案外正解なのかもしれない。大暴れするブートヒルを止めるには、実力だってそれ相応のものが必要だ。軽々と抱き上げる、くらいのことができなければそもそも止められないだろう。
 じゃあきっとアルジェンティにしかできないなぁ、と穹は思った。列車が壊されそうな事態になったらアルジェンティに止めてもらおう。そもそも彼のせいなのだし。
「おや。穹さん、三月さん。ごきげんよう」
「げっ、見つかった」
 ふたりの世界――というよりむしろひとりの世界だろうか、いつもどおりに――にいたはずのアルジェンティが不意に声をかけてきた。ブートヒルを捧げ持つような姿勢は崩さぬまま、顔だけこちらに向けてにこりと微笑む。それだけは文句のつけようがない美しさもあいまって、その構図は赤子の生誕を祝う天使の絵画に見えなくもない。祝われているのは全身サイボーグのスペースカウボーイだが。
「あのさ、その……それ、なに?」
 なのかが果敢にも問いかけるが、「それ、とは?」と首を捻られてしまった。なんでだよ。
「ブートヒルのこと! なんで抱っこしてるの?」
「ああ! ブートヒルさんですね。偶然ここで顔を合わせたものですから、しばらくふたりで談笑していたのですが……その際、彼が以前立ち寄った星での出来事をお話してくださったのです。現地の荒くれ者たちと力比べをしたそうで」
 アルジェンティが朗々と語るところによると、ブートヒルは銃を使わない“平和的な”手段でさまざまな力比べをしたらしい。どんな巨漢でも彼には敵わず、十人が束になってもブートヒルの身体を浮かすことすら叶わなかったとか。真偽不明のそんな武勇伝を、アルジェンティは我がことのように誇らしげに、彼の身体を持ち上げてくるくる回りながら語った。
 そうしてダンスのステップを踏むがごとく華麗にターンを止めたアルジェンティは、ふと恥ずかしそうに頬を染めた。
「彼の話を聞いていたら、僕も見栄を張りたくなり……ついつい言ってしまったのです。純美の騎士たるもの、このアルジェンティも力には少々自信があります、と」
 その後の光景は聞かずとも目に浮かぶ。ブートヒルが笑い飛ばして挑発して、アルジェンティが真に受けて、予想に反して軽々と抱き上げられてしまった末のこの状況、ということだろう。どうしてブートヒルがフリーズしてしまったのかはわからないが、経緯だけは理解した。
「もしかして純美の騎士って、すごーく力もちだったりする?」
「さあ、どうでしょう……個人差はあると思いますが。ただ、ブートヒルさんは羽根のように軽いですよ」
 その言葉が見栄ではない証拠にアルジェンティは再びくるりと一回転してみせ、それからソファに彼を座らせた。座面が沈み込む様子はとてもではないが“羽根のように軽い”とは思えない。
 穹はひとつ、決意と覚悟をもって頷き一歩踏み出した。好奇心と共に生き、恐れず未知に飛び込む――これも開拓である。
「俺もやってみる」
「ちょっ……やめなよアンタ、蜂の巣にされちゃうよ!?」
「まだフリーズしてるみたいだし。大丈夫」
 腕をちょんちょんとつついても反応はない。垂れ下がった腕一本だけでも重いのは明らかだ。
 先ほどのアルジェンティと同じように、両脇に手を差し込もうと、して。
 目が合った。
「……なーにやってくれてんだ、キューティ」
「……俺も試してみよっかなって……」
「そーかそーか。オレの“重さ”が気になるって?」
 穹はじりじりあとずさり、実に優美な所作で立ち上がったブートヒルがゆったりと近づく。あーあ、と額を押さえるなのかと、おやおや、と目を丸くするアルジェンティも通り過ぎ、反対側にまで着いてしまった。ソファのふちに足を取られ座り込む。
 目の前にはブートヒルの長い足。屈んで背もたれに両手をつかれては逃げ場もない。彼の長髪に遮られて周囲すら見えない。
「ま……待って、ごめん、謝るから」
「――じっくり味わえ、ベイビー?」
 サイボーグカウボーイの意地をかけた全力の頭突きは、一切の容赦なく穹の意識を刈り取った。
 痛みと衝撃でいっぱいの頭の中をひとつの疑問が駆け巡る。これ持ち上げられる純美の騎士、なに? と。
 穹が気絶したあと、ブートヒルは一言も口をきかずに列車をあとにした、とか。アルジェンティは相変わらず純美をひととおり語って去っていった、とか。目覚めてからなのかに顛末を聞かされる穹はそのとき、あることを心に決めるのだが――今まさに意識を失う穹にはまだ、知れぬことである。
 
 
 
 
 
 了

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